サッカーのワールドカップが終わり、フランスのジダン選手が最優秀選手(MVP)に選ばれました。きょう(2006年7月11日)の朝日新聞朝刊は、1面でこのことを伝えています。
このジダン選手、決勝で相手選手の胸にガツンと頭突きを見舞わせ、一発退場処分を食らった人物です。その選手がMVPだなんて、子供でもおかしいと思うのではないでしょうか。国際サッカー連盟(FIFA)の判断は、大いに批判されるべきです。
それなのに、この日の朝日にはFIFAをちゃんと批判する記事がまったくありません。それどころか、〈ジダン 憂愁のMVP〉という見出しをつけ、シラク大統領と並んで笑顔を見せる写真を載せるなど、祝福ムードです。
なに考えているんでしょうか。
相手選手がジダン選手に人種差別発言を浴びせたのではないかといった憶測が出ていますが、もしそうだとしても、強烈な頭突きを正当化する理由にはなりません。侮蔑的な発言に対しては暴力行為が許されるのであれば、国際試合の多くは流血の事態に至るでしょう。スポーツは激しく体を動かして相手と競い合うだけに、もともと一触即発の性格を帯びていて、それゆえ暴力や危険行為は厳しく禁じられているはずです。
新聞がジダン選手を厳しく批判しない背景には、〈大会を取材した各国記者が10人の候補の中から投票〉し、同選手をMVPに選んだという事情がありそうです。他人の行為に厳しく身内の振る舞いに甘い、というのは新聞も同じということでしょう。自分や身内を擁護するためには、スポーツマンシップなどは簡単に犠牲にしてしまえるようです。
情けないです。
加えて情けないのは、次の説明です。
〈投票は決勝のあった9日に行われた。10日午前0時まで受け付けられたが、実際は決勝の開始前に投票を済ませた記者が多く、ジダンのMVPにつながったと見られる。ジダンの退場を見た後に投票する記者が多ければ、違った結果になっていた可能性がある〉
だから仕方ない面もあるんだ、と理解を求めている(理解を示している)のかもしれません。でもこれ、なおさらおかしくないでしょうか。
決勝の開始前に投票を済ませるなんて、MVPを真剣に考えているのかどうかが疑わしくなります。決勝で大活躍する選手が出ることだってあるでしょう。逆に、決勝で大失態をさらす選手だっているかもしれません(今回は実際にいました)。そういう事態に対応することを、はなから放棄してしまっているわけです。
そういう記者がごく少数だったというならまだしも、多かったというのですからひどいものです。こんな人たちの投票で決まる賞にどれだけ価値があるのか、という気にもなってきます。
朝日に比べ、読売はもうちょっとまじめに書いています。スポーツ面の記事は、〈ジダンのMVPには、違和感が残る〉と疑問を提示。〈決勝戦の頭突きは言い逃れのできない蛮行であり、退場によって試合の流れを失わせた”戦犯”ともいえる〉とジダン選手を非難しています。
しかし、MVPについては朝日同様、〈投票は決勝当日の9日午後11時59分に締め切られたが、決勝前、あるいは延長戦に入る前に提出した記者もいただろう〉との事情を説明するだけ。もう一歩踏み込んで、ふらちな投票行為に疑問を投げかけることはしません。
新聞にすれば、原稿の締切やなんやかんやで忙しく、試合前投票はやむを得なかったなどの事情もあったのかもしれません。そこにはわずかながら同情の余地はあります。
ただ、そうであれば、投票締切を少しぐらい延ばすことだってできるはずです。あわてて、結果的に不適当な選手を選出するより、発表が半日〜1日ぐらい遅れたって、MVPの栄誉に値する選手をじっくり選んだほうが、ファンにとっても選手にとってもいいはずです。
不適当な人物が名誉ある賞に選ばれたとき、新聞はしばしば、賞の取り消しやはく奪の提案を含めた厳しい批判を浴びせます。今回のMVPも、そうした批判を受けるべきものだと思います。
新聞はまず、ジダン選手の頭突きを断固として否定し、そのうえでMVPが誤りであったことを主張すべきです。