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こんな「妊娠報道」をずっと続ける気か

紀子さん(日本人だけど名字なし。旧姓川嶋)が妊娠したようです。きょう(2006年2月8日)の全国紙各紙の朝刊は、1面トップでこのことをでかでかと報告。社会面や総合面などにも関連記事を詰め込んでいます。

朝日と毎日は、社説でも妊娠を取り上げています。朝日は〈出産のご無事を祈りながら、静かに見守りたいと思う〉と抱負を表明。毎日も〈何よりも、紀子さまがすこやかに過ごされるよう、静かに見守りたい〉と説いています。また、読売は社説ではありませんが、社会面記事で紀子さんの高校時代の恩師を登場させ、〈「周囲がとやかく言うのではなく、静かに見守ってほしい」と訴えた〉と書いています。

各社そろって、「静かに見守る」という言葉が好きなのはわかりました。ただ、これだけ大々的に妊娠について報じ、前日には号外まで出しておきながら、「静かに見守る」もなにもあったもんじゃないような気がします。

べつに、「静かに見守る」のがよくないと言っているわけではありません。でも、本当にそうする勇気も落ち着きもないのに、口先でだけそんなこと言うのは、何となくうそつきっぽい感じがするのです。

新聞が、母体やその他の家族への気づかいを表明すること自体は、間違ってないと思います。しかし、一方で人間的な配慮を口にしながら、他方では「ついに男か、はたまた女か」とすぐやり出すのは、矛盾もいいところです。きょうの全国紙は3紙が3紙とも、1面記事のリード部分で、〈男児が誕生すれば〉(朝日)、〈男子が生まれれば〉(毎日)、〈男子誕生の場合は〉(読売)と、生まれてくる子の性別に強烈な興味を示しているのです。

読売名物の相談コーナー〈人生案内〉(くらし面)には、「夫の親や周囲からとにかく男の子を期待され、プレッシャーに参りそうです」といった類の相談がしょっちゅう出ていますが、そういったものを読むまでもなく、〈男児が誕生すれば〉なんて新聞に書かれれば、紀子さんの身心に大きな影響を与えることは明らかではないでしょうか。(それを覚悟で子作りに臨んだとしても)

今回のケースでいえば、雅子さん(やっぱり名字なし。旧姓小和田)に与える精神的ショックだって大きいでしょう。いよいよ待ちに待った男子か、もしそうなら男系天皇を守ることができるし、皇室典範の改正も必要なさそう、などと紙上で盛り上げれば盛り上げるほど、男の子を生んでいない雅子さんにみじめな思いをさせるのではないでしょうか。結局、私は男子製造機なの? といった怒りや悩みをしたため、読売の〈人生案内〉に送りたくなったとしても、無理ありません。(送らないでしょうが)

こんな風に、新聞がやさしい言葉を吐きながら、同時に個人の身心を圧迫しズタズタにするといった矛盾は、生身の人間を国家の象徴にするなどという制度がある限り、いつまでも続くと思います。だいたい、新聞が皇族の妊娠を「静かに見守る」なんてのはムリです。新聞の役割のひとつとして、読者の関心に応えることがあり、天皇の「お世継ぎ」は、いつの時代もある程度の人々の関心事だからです。芸能人やアナウンサーの妊娠・出産だって記事にしている時代に、公人中の公人の妊娠について何も報じないなんてできないでしょう。第2社会面の短信程度で報じるといったことも、読者離れが怖くてできないと思います。

皇族妊娠報道の矛盾を解消するには、問題の根源に向き合うしかないと思います。ある一家に苦しい思いを強いながら、国や国民の統合の象徴になってもらっているって、どうよ? という問いに、正面から取り組むしかないはずです。問題の本質は報道側にあるのではなく、皇室という制度にあると思います。

いま皇室典範を改正しないと、またいつか「女子女系天皇もあり?」という問題が起きると懸念する声があります。きっとそのとおりでしょう。同様に新聞も、「静かに見守りたい」などと言っているだけでは、またいつか必ず、皇族になっている人々の人格を踏みにじり、身心を傷つけるようなことをしてしまうと思います。

新聞は、皇室典範の改正といった小さな事柄に気を取られるのではなく、国の象徴とは何かという根本的な問題を見据えるべきです。
by tmreij | 2006-02-09 03:01 | 本紙


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