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宮崎被告の死刑を警察と一体となって望むとは

連続幼女誘拐殺人事件の宮崎勤被告に対する最高裁判決が近づいています。きょう(2006年1月12日)の読売新聞朝刊は、宮崎被告を取り調べた現職の警察官へのインタビューをもとにした大型記事を、社会面トップで掲載。〈「自供直前、小鼻動く」〉〈取り調べた捜査員語る〉〈「精神疾患じゃない」 ウソ混じり「呵責あるから」〉といった見出しを並べています。

恐ろしい記事だなー。久しぶりにそう感じました。

記事は、1989年8月に大峯泰広・警視庁捜査1課理事官(58)=当時は捜査1課警部補=が宮崎被告を取り調べた様子を、以下のような文章を連ね長々と再現しています。

〈「まず性格を知ることが大事」と考え、午前中は、白いジャケット姿の宮崎被告にお茶を勧めながら、好きな食べ物を尋ねるなど雑談に終始した〉〈「本当のことを話してごらん」。しばらく沈黙した後、宮崎被告は「私の話を黙って聞いてくださいますか」と切り出した〉〈「ウソが多く混じり、決して『殺した』とは言わなかった。しかし、細かいウソを問い詰めると、しどろもどろになりながら、事実を話した」という〉

やがて、記事が終わりに迫ったところで、今回の目玉となる談話が出てきます。

〈「自供する直前には、必ず右の小鼻がピクピクと激しく動いた」と、大峯理事官は思い出す。そして、「宮崎被告に人格障害はあったと思う。そうでなければ、あんな事件は起こさない」と分析。「しかし、取り調べでウソをつくのは、良心の呵責があるから。決して精神疾患ではなかった」〉

そして、〈(大峯理事官は)約16年半前の宮崎被告の姿を思い浮かべながら、最高裁判決の日を待つ〉で結ばれています。

強烈です。もう、警察べったりもいいとこ。べったりの極致です。

幼女4人を殺したとされる宮崎被告は、1、2審で死刑判決を受けています。弁護側は精神疾患を主張していて、最高裁では被告に責任能力が認められるかに注目が集まっています。

そうした状況で、精神科医でも専門家でもない警察官の〈「決して精神疾患ではなかった」〉という見立てを、大々的に取り上げているのです。

さらにすごいのは、その警察官の意見を検証したり相対化したりする姿勢がまったくない点です。ふつう新聞は、見解が分かれる事柄について記事にするときは、きっちり5分5分とまでいかなくても、ある程度バランスを取ろうとするものです。今回のように、片方のインタビューを軸に記事を書くときは、そちら側の見解に大きく偏るのは仕方ない面はあるでしょう。しかしそれでも、もう片方の見方や反論もほんの数行でも載せるのが、不偏不党をうたう新聞のはずです。

宮崎被告が犯したとされることは、度を越して凶悪だといえるでしょう。精神疾患が認められなければ、死刑判決は維持されることと思います。それを待ち望んでいる人は、かなりの数に上るようにも思います。

ただ、精神疾患だったと主張することは、どの被告にも法律で認められている行為です。そして、裁判所がその主張を検討している間は、被告は精神疾患だった可能性もあるということです。

きょうの読売は、そうした点への配慮がまったくありません。それどころか、記事を読んだ人に「やっぱり宮崎被告は精神疾患なんかじゃないのだ」という印象を植え付けようとしているかのようです。見ようによっては、「死刑が当然。死刑じゃなきゃおかしい」という世論の形成を狙っているようにも映ります。

警察は、自分たちが逮捕した被告の有罪を喜びますし、有罪にするために時に職権乱用や人権侵害などの無茶もします。今回でいえば、宮崎被告の死刑を望んでいるのは、火を見るより明らかです。

そうした組織の現役幹部の「個人的見解」を、この時期に無批判にばばーんと出す読売には、「権力の犬」という呼び名を贈りたいと思います。

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念のためですが、この文章は宮崎被告を擁護しているわけではありませんし、精神疾患だったと主張しているわけでもありません。あくまで新聞としての報道姿勢を問うています。
by tmreij | 2006-01-12 23:58 | 本紙


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