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「貧乏」を書いているのに視点が高い

日本でも貧富の差がどんどん見て取れるようになってきている。そんなことを感じさせる記事が、きょう(2006年1月3日)の朝日新聞の朝刊1面に載っています。

〈就学援助 4年で4割増〉という見出しがついたこの記事は、家計の苦しさから、学用品や給食費について自治体から援助を受けている公立の小中学生の人数が、04年度までの4年間に全国で約37%増えたと伝えています。

新年早々、憂うつになりそうな話題です。しかし、いまの日本がどういう社会に向かおうとしているのかを思い知らされるようなデータとして、意味のある記事だと思います。1面トップという扱いも妥当だといえるでしょう。

ただ、とても大事な話題なのに、読んでいて心に伝わってくる度合いが弱いように感じます。うーん、こんな社会はまずいんじゃないか、という気持ちがあまり高まらないような内容になっているのです。

なぜでしょうか。それを考えるとき、記事に出てくるデータの情報源をみてみると、原因がみえてくるように思います。

情報源に関する記述を、記事の先頭から並べてみましょう。〈文部科学省によると〉〈厚生労働省の調査では〉〈この学校で6年生を担当する男性教員は〉〈同区の公立中学校の50代男性教員は〉——となります。このほか、東大教授のコメントが、記事本文とは別に添えられています。

このとおり、貧乏な家庭(とそこで育つ子ども)が増えているという話題でありながら、そうした家庭の目線でとらえた実態の記述がまったくないのです。

〈鉛筆の束と消しゴム、白紙の紙を持参して授業を始める。クラスに数人いるノートや鉛筆を持って来ない児童に渡すためだ〉〈「3、4時間目にきて給食を食べて、またいなくなる子がいる」とも話した〉といった教員たちの話も、それなりには心に響いてきます。ただ、やはり当事者である困窮家庭の話にはかないません。

そうした家庭を探し出し、取材に応じてもらうことは困難を伴うでしょうが、決して不可能ではりません。それをしてこその新聞記者ともいえるでしょう。

朝日新聞は上から見下ろすような記事が少なくない、という感想をしばしば見聞きします。きょうのように、役所や学校側(と大学教授)の話に頼り切り、実際に困っている人や力の弱い人たちから直接話を集めようとしない記事に触れると、そういう批判も当たっているなあと感じます。

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あけましておめでとうございます。
by tmreij | 2006-01-03 21:20 | 本紙


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