なぜ容疑者写真が、こんなにデカイのか

秋田県で小学1年生が殺害された事件で、近所の女性が死体遺棄容疑で逮捕されました。きのう(2006年6月5日)の全国紙各紙の朝刊は、1面トップと社会面トップでこの逮捕について大きく報じています。

小さい子どもが狙われる事件が相次いでおり、今回の殺害事件にも大きな関心が集まっていることでしょう。新聞が大展開するのも、もっともだと思います。

ただ、各紙が1面に掲載した容疑者の写真は、あまりにでか過ぎると思います。

一番大きいのは朝日です。容疑者の頭からひざまでほぼ全身が写っている6段(約20センチ)のたて長写真が、紙面の中央部にででーんと出ています。毎日は5段、一番小さな読売でも4段の上半身写真が、やはり紙面の真ん中付近に配置されています。

いったいなぜ、これほど大きな写真を載せるのでしょうか。

容疑者がどんな顔をしているのかを知らせるのが目的であれば、顔写真であってもいいはずです。体つきや服装も読者に知らせたいということなのかもしれませんが、そのサービス精神が果たして妥当なのかは大いに疑問ですし、仮に妥当だとしても、今回ほど大きくなくても十分にその目的は果たせるはずです。

写真がここまで大きくなった理由のひとつに、抑圧されていた新聞側の欲求の噴出があるように思います。各紙によると、容疑者は早い段階から警察にマークされ、それを受けて新聞などのメディアは容疑者の自宅や実家を張り込むように取材していました。週刊誌が〈早い段階から○○容疑者を「犯人」と断定するかのような報道を繰り返した。○○容疑者の私生活についても、うわさ話を含めて赤裸々につづった〉(読売総合面)といった動きをみせるなか、新聞は正確性の尊重や人権への配慮などから、容疑者についてはなかなか書くことができなかったはずです。

「この人がやったに違いない」「この人は本当は凶悪犯だ」とほぼ確信し、本人へのインタビューも含めて取材データを蓄積しながらも記事にできない。そうしたことからくる新聞の不満やうっぷんが、容疑者の逮捕によって一気に噴き出し、今回の大型写真につながった部分があるのではないでしょうか。

そうであれば、感情的に過ぎると言えるでしょう。読者の興味に応えるふりをして、新聞側の生々しい思いを出したということになれば、かなりタチが悪いと思います。

今回の事件現場でも、容疑者や被害者に集団で強引に取材を迫るメディアスクラムがあったようです。最近はそうした過熱報道になるとすぐ、各社が申し合わせて取材の一部自粛などをするのが流行となっていますが、この日の大きな容疑者写真を見ると、本質的な対応ができていないように感じます。

メディアスクラムの問題では、取材方法の規制も必要かもしれませんが、もっと大事なのは、今回のように一時の感情にとらわれたヒステリックな紙面づくりをやめることではないでしょうか。容疑者がどんな顔をしていて、どんな体型で、どんな服を着ているかといったことは、本来それほど大切な情報ではないはずです。それをさも重要な情報として扱うから、現場のデスクや記者たちが興味本位の取材にはしらざるを得ず、容疑者に絶えず密着すべしという判断をしてしまっているように思います。

感情的でやじ馬根性最優先の紙面づくりをやめ、抑制を効かせて事件の本質を重要視する紙面づくりをすることで、初めて現場レベルでも冷静な気持ちで取材することが可能になるように思います。今回のような容疑者の大型写真を載せ続けている限り、メディアスクラムとその被害者はなくならないように思います。

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そもそも、容疑者(や被害者)の写真を掲載する必要があるのかという議論もあるのですが、今回はそれは置いておきます。
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# by tmreij | 2006-06-06 21:37 | 本紙

1面トップが、こんなに雑でいいのか

小泉首相の靖国神社参拝が、日米関係にまで悪影響を及ぼしかねないとの考えが米国内で広がっている。きょう(2006年4月30日)の朝日新聞は、そんな内容の記事を1面トップに載せています。

記事のねらいや視点については支持します。しかし、記事の手法については疑問を覚えます。

〈「靖国」日米に影〉〈「対日批判増す」専門家ら懸念〉〈米の歴史観・アジア戦略と対立〉という見出しをつけたこの記事は、次の文章で始まります。

〈日本の歴史問題への対応が、日本と中韓両国との関係だけでなく、日米関係にも悪影響を及ぼしかねないとの懸念が米国の日本専門家の間で広がっている〉

これを読んだ人は、当然ながら、「懸念が広がっている」様子についてのデータを期待するでしょう。アメリカでどんな現象が起きているのか、どれぐらいの人々の間で、どんなふうに懸念が広がっているのか、といったことが気になると思います。

ところが、今回の記事に出てくる〈米国の日本専門家〉は、〈ジョンズ・ホプキンズ大学ライシャワー東アジア研究所のケント・カルダー所長〉と、〈ジョージ・ワシントン大学アジア研究所のマイク・モチヅキ所長〉だけです。この2人が靖国問題を心配するコメントをしていることをとらえて、〈懸念が米国の日本専門家の間で広がっている〉と解説しているのです。

これは、ちょっと乱暴ではないでしょうか。

〈広がっている〉という「動き」を伝えるのであれば、その様子がわかるデータを示す必要があるはずです。靖国問題を懸念する論文や寄稿文の数が増えているとか、靖国問題を取り上げる学会やセミナーが多くなっているとか、靖国問題は大丈夫なのかと日本の専門家や関係者などに問い合わせる人が増えているとか。

しかし、今回の記事で〈広がっている〉ことを感じさせるのは、〈「歴史問題が原因で、日本に対する批判的な見方が強まっている」〉というモチヅキ氏のコメントぐらいです。ただ、これとて一専門家の分析であって、〈広がっている〉ことを客観的に示す事実ではありません。

〈外交を担う国務省内には……日中首脳会談もままならない日本に対するいらだちがある〉という記述も出てきます。しかしこれも、詳しい説明はなく、〈日本に対するいらだち〉が米国内にあるかないかを述べているだけで、〈広がっている〉ことの裏付けにはなっていません。

今回の記事にあるデータでは、「懸念が出ている」「懸念の声が挙がっている」などとは言えても、「懸念が広がっている」とは言えないと思います。邪推すれば、モチヅキ氏ら高名な学者のコメントを使うことで、記事が提示する「事実」に説得力をもたせようとしているのではないかとも考えられます。

1面トップで、しかも論説委員が書いているだけに、今回の記事は雑なところが気になります。新聞は、何らかの「事実」を伝えるときには、ちゃんとデータでそれを示すべきです。
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# by tmreij | 2006-04-30 23:26 | 本紙

「証拠隠滅の恐れ」に甘くないか

きょう(2006年4月27日)の全国紙各紙朝刊は、東京地裁が、ライブドア前社長の堀江貴文被告の保釈を認めたと報じています。

逮捕は1月23日だったので、すでに3カ月以上も東京拘置所で身柄の拘束が続いていることになります。ちょっと長過ぎるんじゃない? と感じる人も多いと思うのですが、この日の記事には、そういう素朴な疑問にこたえるような記述はありません。

この程度の勾留など、特に問題なし、ということなのでしょうか。それならそれでいいのですが、であれば、なぜ3カ月以上も身柄を拘束する必要があるのか、読者にていねいに説明すべきだと思います。

被告は起訴事実について争っているので、保釈してしまうと証拠を隠滅する恐れがある、というのが検察の理屈でしょう。しかし、この理屈をすんなりと受け入れていくと、検察に刃向かう被告は全員、保釈が認められないことになってしまいます。間違って逮捕・起訴された場合、被告は当然、検察と争うわけですが、そんな場合も、ずっと身柄を拘束されたままになるのです。そうした長い勾留が、えん罪の温床になってきたのは、歴史的にも明らかです。

新聞は、「証拠隠滅の恐れ」に安易に理解を示すのではなく、もっと懐疑的になるべきではないでしょうか。検察が起訴したということは、有罪に持ち込むだけの証拠をそろえたということです。その後にもなお、被告が証拠を隠滅する恐れがあるというのは、具体的にどういうことを指しているのか。もしかして、口が達者な被告に取り調べなどについてマスコミでぺらぺらしゃべられたら困る、といった別の意図はないのか。そうしたことを、しっかりチェックすべきです。

今回の堀江被告の長期勾留にずばっと異論を唱えたのは、朝日の4月17日付朝刊の社説〈長い勾留 自白の無理強いでは〉ぐらいのように思います。この社説は、〈ライブドア時間では、全面否認の堀江貴文被告だけが今も勾留されている。「起訴事実を認めていないので、関係者と口裏を合わせて証拠隠滅をする恐れがある」という検察の言い分を、裁判所が認めているからだ〉と説明。そのうえで、〈だが、いまさら堀江被告が証拠を隠して回るだろうか〉という当然の疑問を投げかけています。

同じ視点で、裁判所や検察の判断の妥当性を厳しく検証する一般記事が、なぜないのでしょうか。

堀江被告は、証券取引法に違反した「悪人」なのかもしれません。しかし、いくらその可能性が高かろうと、裁判所や検察の横暴を大目にみていいことにはなりません。新聞は、被告がだれであろうと、権力のチェック機関としての役割を、淡々と果たすべきだと思います。
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# by tmreij | 2006-04-28 00:28 | 本紙