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マスコミは、信用度で警察に負けている

犯罪被害者の実名を警察が発表しないケースがいっそう増えそうです。実名か匿名かは警察が判断するという項目を盛り込んだ犯罪被害者等基本計画が、閣議決定されました。きょう(2005年12月28日)の各紙朝刊は、この項目について批判的な記事を掲載しています。

例えば朝日新聞は、〈安易な匿名化は避けよ〉という見出しの社説を掲載。社会面にも、〈警察判断「極めて残念」 新聞協会・民放連が声明〉という見出しの記事を載せています。

新聞側の主張は、この日の朝日の社説が書いている内容でほぼ一致しているといえるでしょう。要点を以下に引用します。

〈実名発表を受けて取材し、被害者の意向も踏まえた上で、報道の際に実名にするか匿名とするかをメディアに判断させてほしい〉

結果的には、この願いは聞き入れられませんでした。

なぜでしょうか。決定したのは国会議員(大臣)たちなので、自分たち国家権力に都合のよい方向に事を運んだと考えることはできます。もちろんそうした面もあるでしょう。しかし今回は、大臣たちが国民の間にある「空気」を感じ取っていて、それを反映したということもできるのではないでしょうか。

その空気とは——マスコミのやることはひどい。警察とマスコミだったら、まだ警察のほうが自分たちのことに配慮した対応をしてくれるだろう——というものです。

つまり、信用度において、新聞を含めたマスコミは警察に負けているわけです。

警察という組織は、国民の安全や財産を守るために立派な仕事をしますが、一方で、特権を利用して様々な人権侵害や不正もします。ただ、いまだ根強いお上意識もあり、多くの国民は警察に強い信頼を寄せています。そのこと自体は本来、悪くはないと思うのですが、権力は必ず腐敗するものだということも国民は知っておかなくてはならないはずです。信用しつつ、監視の目をもつことが大事なはずです。

しかし、ふつうの国民には警察権力の監視などなかなかできません。それで、その監視の役割を担うのが、マスコミです。警察を含めた権力へのアクセスを許可され、国民の立場で質問をぶつけることが期待されているのです。

これは、国民がマスコミを信頼しているからこそ機能する仕組みです。警察は悪いこともする。だから国民は、自分たちと同じ立場にいる(はずの)マスコミに信頼を寄せ、警察など権力に対して警戒させ、追及させる。それが本来の構図のはずです。その構図の中に、実名発表もあるはずです。

その信用の構図が、いまは逆になっています。警察さん、やりたい放題のマスコミを何とかしてください、という雰囲気が広がっています。そして、議員らはそうした空気を敏感に察知しているのです。

今回の基本計画に反対の声を挙げているのはマスコミばかりで、国民の多くは無関心、または歓迎といった感じです。このことは、マスコミが国民の共感や支持を得られていない何よりの証拠です。

警察に実名発表を求めることは間違っていませんし、当然のことだと思います。マスコミとして、がんばりどころでもあります。

しかし、ただ声高に「判断はこっちに任せろ」と主張したってダメです。マスコミ報道の受益者であるはずの国民は白けています。この白けた空気を、メディアへの信頼に変えることが先です。

そのためにどうするか。まずは新聞をはじめマスコミが、自分たちの行き過ぎや間違いについて具体的に例を挙げて率直に反省することが必要です。そして、今後の取材方法や記事の書き方などについて指針を打ち出し(もちろん公開し)、それをチェックする第三者機関を設けることだと思います。

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以下の文章でも実名・匿名発表のことについて書いています。

実名発表のために新聞は何をするのか
おじいちゃんの名前は書かなくていい
# by tmreij | 2005-12-28 23:55 | 本紙

読者をナメたままで、朝日の信頼回復はない

虚偽メモ報道などで今年大いに揺れた朝日新聞は、きょう(2005年12月27日)の朝刊1面で、再生に向けた改革案をまとめたと報告しています。

〈読者のみなさまへ〉〈信頼回復へ抜本改革〉といった見出しをつけたこの記事は、〈みなさまの信頼を損なってしまったことを反省し、時代を担うジャーナリズムとして再生することをめざします〉と宣言。読者による記事評価制度をつくり、東京本社の編集局長を2人制にすることなどが中心だと書いています。

へー、読者による記事評価って興味深い取り組みだけど、どうやってするんだろう。そう思いながら100行近いこの記事を読み進めたのですが、結局最後まで具体的な説明はありません。唯一あるのは、〈読者代表の方々に、記事の良い点、至らぬ点などを丹念にお聞きしようと思っています〉という漠然とした記述だけです。内側のページに詳しく書かれているのかとも思いましたが、お決まりの「○面に詳細」といったことわり書きはありませんし、実際に中身をめくっても関係記事は見当たりません。

こんなんで、朝日新聞は本当に信頼回復する気があるんでしょうか。

記事は、お題目や目標は高々と掲げています。〈●読者の声に耳をすます新聞に〉という小見出しがついた文章では、〈私たちは読者の声に耳をすまし、時代に切り込む新聞をつくりたいと思います。質が高く、個性的で、独自性に富み、勢いのある紙面です〉と、目をキラキラさせて希望を語っています。

結構なことです。でも、夢を語るだけなら誰だってできます。こうしたい、ああなりたいと目標ばかり聞かされたって、具体的に何をするのかを言ってもらわなくては、信頼したいと思ったとしても、しようがありません。ふだんは役人やビジネスマン、議員などに向かって、とにかく具体的な説明を求めているのに、自らのことになると、ふわふわした願望や制度名を公表するだけで、詳細についてはちっとも語る気がみられないのです。

ちょっと細かいですが、〈読者代表の方々に、記事の良い点、至らぬ点などを丹念にお聞きしようと思っています〉という文章も気になります。なぜ〈……丹念にお聞きしようと思っています〉なのでしょうか。どうして「……丹念にお聞きします」ときっぱりと言えないのでしょうか。もしかすると、読者の声を聞こうかとも思っているけど、やっぱりやめるかもしれない、といった程度の計画ではないのかとも思えてきます。

考えようによっては、新制度の中身を読者に知らせる必要なんかない、と判断している可能性もあります。いろいろ言われると面倒だから、細かい方法については知らせたくない、という気持ちがあるのかもしれません。後日書くつもりなんだから、ちょっと待っててよ、ということなのかもしれません。そうであれば、そう明記すべきです。

何にしろ、読者の信頼を損ないこそすれ、回復に役立っているとはいえない内容です。

記事にはまた、記者教育の場として「朝日ジャーナリスト学校」なるものを創設するとの記述があります。しかしこれについても、具体的にどんなことをするのかといった説明はゼロです。読まされるほうにしてみれば、疑問と疑心が募るような内容です。

こんな告知記事を1面を割いて載せるなんて、朝日は根っこのところで感覚がズレているように思います。根っことは何かというと、読者との向き合い方です。読者と対等に、誠実に向き合う姿勢や心持ちが感じられないのです。

朝日に期待している人は少なくありません。社内ではなく、もっと読者を向いて再生を考えるべきです。
# by tmreij | 2005-12-27 23:11 | 本紙

女子フィギュア「最強の陣容」との評価は都合よすぎ

トリノ五輪(来年2月)に出場する女子フィギュアスケートの日本代表選手3人が決まりました。きょう(2005年12月26日)の全国紙各紙朝刊は、スポーツ面などでこの話題を大きく取り上げています。

代表を選出するにあたって、日本スケート連盟は今回、初めてポイント制を導入しました。今季だけでなく、昨季の成績ポイントも加点して代表選考をすすめ、安藤美姫、村主章枝、荒川静香の3選手に決めたわけです。

このポイント制による選考結果について、読売と毎日はまるっきり異なった見解を載せています。

〈現戦力で最強の陣容が整ったと言える〉と高く評価したのは読売です。スポーツ面の署名記事で、〈連盟には「勝てる選手を出す」という隠れた基準もあったのだが、今回のポイント上位3人は、この点もクリアに近い〉と支持し、さらに〈荒川が言うように「タイプが違って、レベルが高い3人」がそろった〉と代表選手を持ち上げています。

これに対し毎日は、同じくスポーツ面の署名記事で、〈最強の3人を選んだかというと疑問が残る〉と主張。五輪代表の顔ぶれに批判的な見方を示し、〈現時点では、試合ごとに急成長している中野(友加里)や、復調した恩田(美栄)の方が、不調の安藤より力が上だ〉と、その理由を挙げています。

このように、新聞によって評価や意見が違うのは、結構なことだと思います。事実関係が新聞によって異なるのは困りますが、何らかの事実をどう見るかというのは人によってばらばらで当然ですから、新聞が違えば見解が違うのは自然なことです。読者にとっても、幅広い意見に触れた方が、自分の考えをまとめるうえで役に立つと思います。

ただ、きょうの読売の記事が読者にとってよい参考になっているかというと、そうはいえないと思います。どうも、自らの主張に都合の悪いデータを省いて、論を展開しているように見受けられるからです。

例えば、代表の座を逃した中野選手は、〈今季、安藤にはNHK杯、GPファイナル、全日本選手権と直接対決ではすべて勝利し、今季の獲得ポイントだけを見れば、五輪代表候補の中ではトップ〉(朝日)でした。スケーターとしての勢いと、今季に限った実力でみれば、安藤選手よりも中野選手の方が上だといえるわけです。

毎日の記事は、このことにちゃんと注目しています。記事中、〈ポイント4位の中野は今季、安藤にはNHK杯、GPファイナル、全日本と3戦すべて勝利し、今季の獲得ポイントは最多〉と紹介しています。

ところが読売には、この点に関する記述は見当たりません。

また、読売の署名記事は、〈自らの査定方法を信じるなら、獲得ポイント1位の安藤を選ぶのは当然〉と書いています。では、日本スケート連盟が今回のポイント制による選出方法を信じているかというと、その点についての説明はありません。〈安藤を選ぶのは当然〉と言い放つだけで、その前提となる〈自らの査定方法を信じるなら〉という部分についての検証がないのです。

なぜないのかは、朝日と毎日を読むとわかります。朝日は〈(連盟の)小野(長久)フィギュア部長は「現行のポイント制には問題もある」と話した〉と記していますし、毎日も〈小野部長が「ポイント制には問題もある」と認める〉と伝えています。連盟には、査定方法を信じない声が出ているのです。

このように読売の記事は、今回の選考について読者が考えるうえで大事なデータを落としています。〈最強の陣容が整ったと言える〉という結論に行き着くため、わざと言及しなかったのではないかという気もします。

新聞が個性を出して意見を表明するのはよいことだと思います。しかしその際、自らの主張に合わないからといって、重要なデータを省くべきではありません。そうした行為は、読者に対して不誠実ですし、読者をミスリードします。自論に不都合な事実もちゃんと紹介したうえで、それを上回るデータや理屈で読者に向き合うべきだと思います。

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この日の朝日は、読売や毎日のように明確には意見を表明していません。した方がよいと思うのですが。
# by tmreij | 2005-12-26 21:59 | 本紙