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記録の提供を受けながら、記事にしなかったのはなぜ?

きょう(2006年4月12日)の全国紙各紙の夕刊は、高松塚古墳の壁画を文化庁の職員が誤って傷つけ、公表せずに補修していたことがわかった、と一斉に報じています。

文化庁が損傷の事実を公表していなかったため、各紙ともこの点を非難する内容になっています。もっとも力を込めているのが毎日で、1面と社会面で記事を展開。見出しにも、〈隠ぺい〉〈ひそかに修復〉〈強い不信感〉というキツイ言葉を並べています。

その毎日の記事には、いったいどういうこと? と疑問に思う記述が出てきます。疑問に思うといっても、文化庁に対してではなく、新聞に対してです。以下に、その記述を引用します。

〈同庁(文化庁)によると、壁画の損傷隠しの事実は石室内の記録書類に写真入りで記載していた。昨年夏、求めに応じて複数の新聞社だけに記録を提供したというが、積極的な発表はしなかった〉

なんと、損傷について情報を得ていた新聞が、すでに去年の夏の時点で、複数あったというのです。

新聞が文化庁に、〈「なぜ黙っていた」〉(毎日、社会面見出し)と怒りをぶつけたくなるのと同様、〈複数の新聞社〉の読者も、「なぜ報じない」と新聞に怒りをぶつけたくなるような話ではないでしょうか。

毎日の記事は、〈複数の新聞社〉がどこかということや、なぜ記事にならなかったのかといったことについては書いていません。朝日と読売はそもそも、複数の新聞が約1年前に情報を得ていたことについては、まったく触れていません。ですので、3紙を読む限り、これ以上のことはわかりません。

でもいったい、記録の提供を受けた〈複数の新聞社〉は、何をしていたのでしょうか。

考えられるのは、(1)提供された記録から損傷の事実を読み取れなかった(2)損傷の事実に気づいたが、ニュース価値がないと判断した(3)損傷の事実に気づき、ニュース価値もあると判断したが、何らかの理由で記事にしないことに決めた——といったことでしょう。

どの場合であっても、新聞にとっては深く恥じ入るべきことだと思います。もし(3)が理由で、しかも背景に政治的な配慮でもあれば、それ自体が大ニュースになり得るような話です。

新聞社の要請を受けて記録を提供していたからといって、文化庁が国宝の損傷という大きな出来事を進んで公表しなかったことが正当化されるわけではありません。やはり、損傷が起きた02年1月の時点で、文化庁はできるだけすみやかに発表すべきだったと思います。

ただ、複数の新聞が損傷についての情報提供を受けながら、どの新聞も記事にしていないというのは、このブログの筆者にとっては、国宝の損傷よりショッキングな話です。今回の毎日の記事を読んで、同じように、肝心のニュースより、新聞の体たらくに気を取られた人も少なくなかったのではないでしょうか。

どの業界にも「武士の情」のようなかばい合いがあるように、新聞業界にも他紙のミスや欠点をあえてえぐり出さない文化があります(もちろん問題によりますが)。ですので、今回書いてきたようなことも、うやむやのまま終わってしまう可能性が高いと思います。でも、毎日は、ここまで書いたのですから、読者に疑問を投げつけたままで放置せず、メディア欄などで、記事にならなかった経緯をフォローしてほしいと思います。

 ———

記録の提供を受けた〈複数の新聞社〉は損傷についてちゃんと記事にしたものの、それに全国紙がまったく気づかなかった、という可能性もあります。その場合、今回書いてきたことは、あまり意味をなさなくなります。すみません。ただ、そうなると今度は、全国紙(をはじめ主要な新聞)は何やってたんだ、ということになりますが。
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by tmreij | 2006-04-12 22:50 | 本紙

「可能性が高い」と「証明された」は一緒か

韓国から北朝鮮に拉致された男性と、横田めぐみさんの娘が、父子である可能性が高いと政府が発表しました。きょう(2006年4月11日)の全国紙夕刊は各紙、この話題を1面トップと社会面で報じています(※)。

韓国人拉致被害者がめぐみさんの娘の父親ということになれば、すなわち、めぐみさんの夫は韓国人拉致被害者ということになります。そうした話は少し前から出ていましたが、日本政府がDNA鑑定という科学的根拠をもとに可能性が高いとしたのは初めてです。大きなニュースですので、各紙そろって、〈「夫」は拉致韓国人〉(朝日)、〈めぐみさん夫は韓国人〉(毎日)、〈めぐみさん夫 拉致韓国人〉(読売)と大見出しを掲げるのも、わかるような気がします。

しかし、記事を読んでいくと、危なっかしいけど大丈夫なの、という感じを覚えます。特に読売と毎日の紙面からは、冷静さを失って興奮し、暴走している印象を受けるのです。

原因のひとつは、強引な言い換えです。

読売の1面本記は、〈横田めぐみさんの夫が韓国人拉致被害者の金英男さんである可能性が高いとするDNA鑑定の結果を(政府が)まとめた〉と始まります。これに続く文章でも、〈金英男さんとキム・へギョンさんは親子関係にある可能性が高いことがわかった〉と書いています。

それが社会面になると突然、〈めぐみさんの娘キム・へギョンさん(18)との親子関係が、日本側のDNA鑑定で証明された韓国人拉致被害者の金英男さん……〉となっています。〈可能性が高い〉とされたはずの仮説が、ページを進めるうちに、〈証明された〉ことになっているのです。

可能性が高いのと、証明されたというのは、果たして同じにしちゃっていいんでしょうか。

DNA鑑定は、かなり確度の高い結論を出せるようです。でも例えば、人物の特定においては、指紋ほどの限定力はないと聞きます(つまり、同じようなDNAの型をもつ人が複数人いるらしい)。今回の鑑定がどんなものなのか、詳しく書いていないのでよくわかりませんが、決定力に欠けるDNAというものを使って調べた結果、〈可能性が高い〉とされたものを、新聞社が勝手に〈証明された〉にグレードアップするのは、問題ないんでしょうか。

こうした言い換えは、毎日もしています。1面では、〈父子関係にある可能性が極めて高いDNA鑑定結果〉〈政府は2人が父子にほぼ間違いないと結論づけ〉などと、疑いの余地を残しておきながら、社会面に移ると、〈めぐみさんの夫は、韓国人拉致被害者だった——〉〈(日本政府はめぐみさんの夫が)金英男さんと結論づけた〉と断定しています。

他方、感情をあらわにすることで気分が少しスーッとする、といった程度の効果しかないような言葉使いも、どうかと思います。

読売の社会面は、〈またも嘘 憤る家族〉という大見出しを掲載。前文でも、〈北朝鮮側の嘘がまた一つ明らかになった〉と決めつけています。

これは、北朝鮮がこれまで、めぐみさんの夫は〈「自国の特殊機関勤務員」と説明してきた〉ことに照らし、なんだ実は韓国人拉致被害者じゃないか、この大ウソつきめ! と言いたいのでしょう。

この部分については、前述のとおり、〈可能性が高い〉ではなく、〈証明された〉という前提に立って話を進めているところが、まず気になります。さらに、仮にめぐみさんの夫が韓国人拉致被害者だとしても、長年にわたって北朝鮮に住み、特殊機関に勤めていたであろうことを考えれば、北朝鮮がその拉致被害者について「自国の特殊機関勤務員」だと強弁することは、フェアとは言えないでしょうが、可能なように思います。

こうした状況で、新聞が「大ウソつき!」と声を張り上げることが、拉致被害者の救済に効果的かというと、大いに疑問です。クロだと詰め切れていないときに、「お前はクロだ!」と感情的に迫っても、相手は態度を硬化させこそすれ、軟化することはないように思います。

新聞にとって、拉致被害者家族の怒りの声を伝えることも、その怒りに共感することも、大事なことだと思います。しかし、家族と一緒になって感情を噴出させることは、新聞の役割ではありません。とくに今回のように、感情を優先して事実を犠牲にしているかのような報道は、それがいかに国家的な問題であろうと、決してしてはいけないことだと思います。

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(※)各紙とも、記事は発表前に書いているため、「これから発表する」という書き方になっています。
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by tmreij | 2006-04-12 02:38 | 本紙

政治記者たちだけで、面白がっていないか

民主党の代表に小沢一郎氏が選ばれました。きょう(2006年4月8日)の全国紙朝刊は、1面や総合面、政治面などに、今回の代表選に関する記事を多数載せています。

日本で2番目に議員数が多い政党の党首が変わったのですから、大きなニュースです。新聞が大展開するのも、もっともでしょう。

ただ、読んでいて、あまり伝わってくるものがありません。言い替えると、おもしろくないのです。なんでだろうと考えたところ、どうも記事が読者に向けて書かれていないからではないか、という気がしてきました。記事が内向き、または横向きなのです。政治の世界にどっぷりとつかっている政治部の記者が、自分たち(それと政治家、政治をメシの種にしている人たち)だけでおもしろがっているような感じがします。

例えば、〈「壊し屋」民主救うか〉(朝日)、〈「壊し屋」最後の大勝負〉(毎日)、〈破壊の人「私は変わる」〉(読売)などの大見出しをつけた記事。強権的とされる小沢氏について、民主党や政界の受け止め方などをまとめています。〈最後の機会 総力戦〉(朝日)、〈「変わる」に若手支持〉(毎日)などの見出しを掲げた記事では、小沢氏と菅直人氏が、党内でどのようなかけ引きや働きかけを繰り広げ、どのように票を集めたかといったことを伝えています。毎日はさらに、党内のどのグループの票がだれに投じられたかという〈得票の構図〉を、表にまとめて掲載しています。

こうした内容の記事も、新聞にはあっていいと思います。関心のある人は、きっとおもしろく読むでしょう。でも、そういう人がどれだけいるのかというと、あまり多くはないような気がします。

それよりも、多くの読者は、小沢氏が代表になって民主党はどう変わるのかについて、なるべく具体的に知りたいと思っているのではないでしょうか。各紙は、この日の小沢氏の演説や記者会見の内容について要旨を載せていますが、そこでの発言内容やそれに対する追加取材で得た話などをまとめ、分析や解説をしたほうが、読者としてはよっぽど得るものが多い記事になるように思います。

この日の新聞は、在日米軍の普天間飛行場の移設や、フセイン政権崩壊から3年目を迎えたイラクの内戦化、尊厳死など、政治家として考えなければならない問題についても、大きく報じています。しかし、そうした具体的なことがらと絡めて今回の代表選出を伝える記事は、ほとんどありません。

政治記事は、政治のクロウトだけにわかればそれでいい、クロウトをおもしろがらせてなんぼだ、という発想で新聞をつくっているのであれば、今回の紙面はうまくいっているように思います。政治部記者的にも、なかなかおもしろい内容になっているのではないでしょうか。

でも、政治のシロウトだってたくさん読んでいることを考えれば、そんな発想は間違いだと思います。新聞は常に、シロウトを喜ばせてなんぼ、という考え方で紙面をつくるべきだと思います。
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by tmreij | 2006-04-08 20:13 | 本紙

大銀行の悪さに、甘すぎない?

JPモルガン信託銀行が、業務の一部を停止するよう金融庁に命じられました。きょう(2006年4月6日)の読売新聞朝刊は、このニュースを経済面で報じています。

まず、このブログの筆者が経済に(も)明るくないことを、あらかじめ表明します。ですので、信託業務や証券取引など、込み入ったことはさっぱりわかりません。

それでも、仕事をするな! と会社が国に命令されるなんて、ただならぬ事態だという感じがしますし、実際、ただならぬ事態のはずです。

ところが、この日の読売の記事は、紙面の下のほうでベタ見出し、25行。注意して見ないと、読み飛ばしてしまうぐらい地味な扱いです(実際に初めは気づかず、他紙で今回の命令のことを知ってから、改めて読み直して、今回の記事を見つけました)。

経済オンチですが、こんな程度のニュース価値しかないんでしょうか。

記事によると、JPモルガン信託銀行は、不動産の証券化商品を〈実際の価値より高い値段で機関投資家に販売していた〉とのこと。さらに、販売した商品には、〈建築基準法に違反しているなど、証券化に適さない100件程度の物件も含まれていた〉というのです。

経済オンチですが、いいんですか、実際より高い値段で商品を売ったりして。多分、よくないはずです。実は、かなりよくないんじゃないでしょうか。相当けしからんことだから、業務ストップ! と金融庁が強権を発動したのではないでしょうか。

それなのに、新聞が不当販売の実態や被害について詳しく書かず、銀行のコメントも載せず、ベタの見出しで紙面の下のほうに寝かせるというのは、どういうことなのでしょうか。

大きなニュースが重なった結果、地味な扱いしかできなかったかというと、そんなことはなさそうです。この日の経済面にどーんと大きく出しているのは、自民党税制調査会が本格的な議論を始めた、という記事。囲みをつけて目立たせているのは、USENの宇野康秀社長のインタビュー記事です。ともに、ビッグニュースとはいえません。

経済通にいわせれば、今回の程度の不当販売やそれに対する業務停止命令はよくあることで、だから目立たない扱いでいいのさ、ということなのかもしれません。でも、実際より高い値段で商品を売るなんて、よくあっていいことなのでしょうか。しかも、片田舎の個人商店が90円のパンを100円で売っていたといった話ではなく、〈米大手金融グループのJPモルガン信託銀行〉が、不動産関連の商品に高過ぎる値段をつけて販売していたというのです。仮によくある話であるのなら、そうしたことがあるたびに、新聞は大声で非難すべきです。

今回の一部業務停止命令については、朝日と毎日も経済面で取り上げています。ともに、3段見出しをつけている点では読売よりもましだといえますが、どちらも不当行為の詳細や銀行側の反応については書いていません。個人的には、大いに不満です。

つい最近(3月30日)も、業法で禁じられている有価証券の売買をしたとして、さわかみ投信が一部業務停止命令を受けるという不祥事がありました。朝日はこれを、ベタ20行で報道(3月31日付朝刊)。その記事の下には、JPモルガン・アセット・マネジメントが、損失の付け替えなど業法に違反する行為をしていたとして業務改善命令を受けたという記事が出ていましたが、行間をつめたさらに目立たない扱いで済ましていました。

これらや今回の読売の記事を読んで感じるのは、新聞の大企業、有力企業に対する甘さです。はやり言葉を使えば、勝ち組への甘さとも言えます。加えて、経済事件に対する甘さというか、鈍さというのも感じます。物を盗んだとか人を刺したとかいった暴力的な違法行為に比べ、相手をだまして不当に金をもうけたといった頭脳的な違法行為は、犯罪としてレベルが高く、悪質度は低いといった、へんな認識があるようにさえ思えます。

世界的な金融大企業が、ずるいこと(少なくとも違法なこと)をやって金を稼いでいたというのは、さらりと流すようなことではないはずです。経済オンチですが、新聞も、ニュース判断のバランス感覚を失っているように思います。
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by tmreij | 2006-04-06 23:38 | 本紙

皇居の掃除より、新聞のほうが心配

きょう(2006年4月5日)の毎日新聞朝刊は、皇居の清掃ボランティアが減少しているという記事を、社会面に掲載しています。

おそらく独自ネタということもあるのでしょう、囲み記事で目立つ扱いにしています。読んでみると、これがなんとも、宮内庁べったり。タダの労働力をあてにする役所に全面的に協力し、読者に「勤労奉仕」を呼びかけているかのような内容です。

このような記事に触れるたび、批判精神が持ち味であるはずの新聞の行く末に、大きな不安を覚えます。

〈参加者減少 勤労奉仕ピンチ〉〈「皇居の清掃成り立たぬ」〉という見出しをつけたこの記事は、〈80年ごろまでは年間2万〜3万人で推移していた〉ボランティアが、〈昨年は7408人で、宮内庁が受け入れ窓口を設けた1947年以降最も少なくなった〉と伝えています。

皇居やその周辺の掃除は、もともと宮内庁職員の仕事です。ところが、なにせ敷地が広いので、ボランティアの人たちに大きく頼っている、というのが実情のようです。

こうした状況を受け、毎日は、〈無償奉仕は、広大な皇居の整備に欠かせない側面もあり、宮内庁はホームページなどを通じてPRに努めている〉と、ボランティアの重要性を説くとともに、宮内庁の努力を紹介。さらに、〈人数は減っているが、参加者らの評判はいい〉と書いたうえで、〈「勤労奉仕の助け抜きにして皇居の清掃は成り立たない。職員が代わりをすれば、予算も人員も大規模な拡充を求められる」〉という宮内庁幹部のコメントで記事を結んでいます。

ここに欠けているのは、掃除を「勤労奉仕」に頼っている現状に対する疑問です。役所が仕事をこなすうえで、最初からボランティアの労働力を当て込み、それゆえボランティアが減ると職務を果たせなくなるというのは、おかしくはないか。「勤労奉仕」をあてにするなんて、天皇やその家族が住む家の周辺の掃除なんだから日本国民として参加して当然だ、という宮内庁の勝手な発想が基礎になってはいないか。そういう素朴な「?」は、記事からは感じ取れません。

〈「職員が代わりをすれば、予算も人員も大規模な拡充を求められる」〉と、宮内庁と一緒になって読者に「脅し」をかけている点も問題です。このコメントは、宮内庁職員が掃除をすることになればみなさんの税金をさらに投入することになるんですよ、それでもいいんですか、いやですよね、だったらみなさんすすんで掃除にいそしみましょう、と言っているわけですが、これはちょっとおかしいように思います。本来、皇居の掃除は宮内庁の仕事なのですから、その仕事をするのに宮内庁が必要な職員を確保し、人件費などの税金を使うのは当然のことです。それをよくないことのように言うのは、なんかへんです。

ただ、できるだけ税金を使いたくないという考えはわかりますし、多くの読者も支持するでしょう。でも、だから皇居の勤労奉仕参加者を増やせというのは宮内庁の発想であって、新聞が一緒になって唱える必要はありません。

それより、例えば、広すぎて掃除が大変なのであれば、一部を自治体管理の公園にするなどして皇居の面積を削ればいいのではないか▽掃除するのは天皇一家の住宅周辺なのだから、宮内庁の予算だけ増やして対処するのではなく、天皇家の財布からも清掃費を出したらいいのではないか▽なにも宮内庁職員を増やすのではなく、人材派遣会社のスタッフに掃除に入ってもらえば費用を抑えられ、民間の仕事を作り出すことにもなるのではないか——など、役所とは違った見方で眺めることが、新聞には期待されているのではないでしょうか。

今回の記事〈参加者減少 勤労奉仕ピンチ〉は、新聞が役所と同じ思考回路で物事をみてしまっていることの表れのように思います。本当のピンチは、勤労奉仕ではなく、新聞に訪れているように思います。
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by tmreij | 2006-04-05 20:11 | 本紙

テレビの二番煎じが、新聞の役目か

「靖国神社参拝をやめれば首脳会談に応じる」という中国の胡国家主席の発言に、日本の政治家たちが反発しています。きょう(2006年4月3日)の朝日新聞朝刊は、そうした様子について報じる記事を1面に掲載しています。

読んでみると、76行もある割に、えっこれだけ? と物足りなさを感じます。なぜかというと、テレビで放送された内容を追うだけで、独自の取材や解説がまったくないのです。

〈中国首席発言〉〈安倍・麻生氏が批判〉という4段見出しをつけたこの記事は、安倍官房長官と麻生外相がそれぞれテレビに出演し、胡氏を非難する発言をしたことを伝えています。比較的長めの記事だけに、〈「政治目的を達成するために、首脳会談をしないことを条件として出すのは間違っている」〉(安倍氏)、〈「国家の代表である総理大臣として、(他国に)言われれば言われるほど難しい話になっていく」〉(麻生氏)といった2人の発言を、ていねいにひろっています。

テレビ番組における発言でも、報じる価値があると判断すれば、新聞はどんどん記事にしていいと思います。靖国参拝は、中国や韓国などとの間における懸案ですから、それに関する大臣らの発言に敏感に反応するのは、新聞に求められている役割でもあります。そういう意味では、朝日はしっかりと仕事をしているといえるでしょう。

でも、独自取材で得たコメントやデータをまったく盛り込むことなく、テレビで流れた言葉を書き並べるというのは、どんなもんでしょうか。オリジナルの記述といえば、〈ポスト小泉の有力候補とされる2人がそろって不快感を表明した形だ〉といった位置づけと、〈……と中国側の方針を批判〉〈……と強調し〉〈……と語った〉などの言葉だけです。これでは、テレビ番組の紙上再放送です。番組を見た人は、こんなの知ってるよ、と言いたくなるのではないでしょうか。

番組を見なかった人だっているじゃないか。それに、見た人にとっても、ニュース価値のある発言を選び抜いて、活字として記録しておくことには大切な意味がある、という意見もあるでしょう。それには賛同します。

ただ、新聞ってのはそれだけでいいのか、という話です。

今回の記事は、ちょっと極端に言えば、家でビール飲みながら寝転がってテレビを見ている人でも、メモを取ったりビデオに録画したりさえすれば、書くことができちゃう内容です。といっても、実際にはもちろん、記者が自宅でごろごろしながら書いたわけではないでしょう。安倍氏にしても麻生氏にしても、番記者らがテレビ局に同行し、それぞれの発言を近くで確認したはずです。そのうえで、その記者がデータなり記事なりにまとめたはずです。

そうであれば、番組出演後に、記者は安倍氏や麻生氏らに発言について突っ込んだ質問をし、少しでも両者の認識や考えについて掘り下げ、それを記事に盛り込むべきではないでしょうか。もしかすると、政治家のスケジュールが過密で、質問のひとつさえする間もなかったのかもしれません。それなら仕方ない、という考えもあるかもしれませんが、結果だけみれば、番記者も家で寝転がっているお父さんも、得た情報量は変わりません。となると、番記者の役割っていったいなんなのでしょうか。

読者は、テレビで見られることを新聞に期待しているわけではありません。テレビでは聞けなかった発言の意味や意図などを取材し、それを読者に伝えてこそ、記者が政治家に密着している意味があるはずですし、新聞が役割を果たしていることになるはずです。
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by tmreij | 2006-04-03 23:32 | 本紙