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で、ホリエモンのどこが問題なのか

ライブドアや、ホリエモンこと堀江貴文・同社社長の自宅を、東京地検特捜部が家宅捜索しました。きょう(2006年1月17日)の全国紙各紙は、朝刊1面でこのニュースを大きく伝えています。

各紙とも1面だけでなく、経済面や社会面も関係記事であふれています。毎日はさらに、社説でもライブドアを取り上げているのですが、これがかなりひどい内容なのです。

今回の家宅捜索では、ライブドアの関連会社が、株価を上げるためにうその情報を流した疑いなどがもたれています。企業買収などの際に、証券取引法に引っかかるようなことをしていたのではないかと見られているわけです。

言わずもがなですが、ライブドアがこれまでに証券会社などを次々とM&A(合併・買収)したことや、近鉄バファローズの買収を狙ったこと、フジテレビを買収しようとしたことなどは、今回の容疑とは関係ありません。また、証券取引所の時間外にニッポン放送株を取得したことや、自社株の分割を繰り返したことが、問題視されたわけでもありません。ましてや、堀江氏が昨年の総選挙に立候補したことや、タレントのようにテレビに出演すること、報道を軽視する発言をすること、ネクタイなしのスタイルで若者に人気があることなどは、家宅捜索とはまったく無関係です。

ところが、きょう毎日の社説〈不正な市場操作は論外だ〉は、上記のことがらすべてを、ずらずらと列記。そして、〈マネー万能主義に落とし穴がなかったか、確かめてみる必要がある〉と結んでいます。

一方で、今回の容疑に直接関係する記述は、〈企業買収の際に事実と異なる情報を公表した疑いがあるという〉というのと、〈株価形成に重大な影響を与えるM&Aに関連する情報に疑いが持たれている〉というのの、わずか2つだけです。

なんだか、ふだんホリエモンを見ていて「いけすかねぇーなー」と不満をため込んでいる人(たち)が、ここぞとばかりに、〈マネー万能主義〉者を踏みつけている感じです。興奮のあまり、今回の捜索の焦点を、すっかり後回しにしている印象も受けます。

家宅捜索したばかりなんだから、容疑について詳しいことはわからず、だから書けなかった、と毎日は説明するかもしれません。でもだったら、はじめから社説で取り上げるな、という話です。社説なんですから、もう少し情報を得られるのを待って、1日や2日後にあれこれ論じたって問題ないはずです。

もしかしたら、ライブドアや堀江氏について社説で列記したことは、すべて今回の容疑につながっているんだ、という考えなのかもしれません。社説は主張や見解を述べるコーナーなので、基本的には何を書いてもいいとは思います。でも、新手でトリッキーながら合法的な経営手法や、型破りながら法律的には何ら問題のない堀江氏の個性と、今回の犯罪容疑を結びつけるのであれば、読者がその関連についてわかるよう、ちゃんと説明をすべきです。

堀江氏や、堀江氏のすることになんとなく嫌悪感を覚えるのは、理解できるような気もします。しかし、そうした感情と、堀江氏にかけられた個別の犯罪容疑を、ごちゃまぜにして論じるべきではないと思います。

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きょうの読売の社説も、ライブドアをテーマにしています。こちらは、今回の容疑についての説明や論考に、半分ぐらいを割いています。
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by tmreij | 2006-01-17 23:59 | 本紙

「わが社の大会が1番」と言いたいのはわかるけど

きょう(2006年1月16日)の読売新聞朝刊は、囲碁の棋聖戦(読売新聞主催)がベルリンで始まったことを、写真と盤面図つきで第2社会面で伝えています。

記事はこの棋聖戦について、〈囲碁界の最高実力者を決める一戦〉と位置づけています。似たようなタイトル戦がいろいろあるなか、自社主催のものを、最高のタイトル戦と呼びたい気持ちはわかります。

でも、それってかなりカッコ悪いですし、何より、妥当な位置づけといえるのでしょうか。気張り過ぎて、読者に誤った認識を植えつけてはいないでしょうか。

囲碁のタイトル戦には、新聞社が主催するものが少なくありません。「7大タイトル戦」と呼ばれるものはすべて新聞社が噛んでいて、今回の棋聖戦のほか、名人戦(朝日)、本因坊戦(毎日)、十段戦(産経)、王座戦(日経)などがあります。囲碁がまだ人気娯楽だったころ、部数拡大を狙って各紙が大会スポンサーになったというのが経緯のようです。

これら著名なタイトル戦がいくつもあるなかで、読売は何をもって棋聖戦を〈囲碁界の最高実力者を決める一戦〉と呼ぶのでしょうか。

考えられるのは、優勝賞金です。メジャーな大会の優勝賞金を比べると、棋聖戦が4500万円で最高です。名人戦は3700万円、本因坊戦は3200万円などとなっています(日本棋院ホームページより)。

しかし、1大会で手にする賞金の高さをもって、実力がナンバーワンだというのは妥当でしょうか。テニスやゴルフなどの世界で、優勝賞金が世界最高の大会で優勝した人が世界最高の実力者かというと、必ずしもそうではないと思います。それに、今後の賞金額の変更で、最高賞金を出す大会が変わるたび、最高実力者を決める大会も変わるとすれば、なんか変な話です。

棋聖戦が最も歴史ある大会かというと、そうでもありません。一番古いのは本因坊戦で、1936年に始まっています。王座戦は53年、十段戦が56年、名人戦は62年(当初は読売主催)が開始年で、それぞれ40〜50年の時を重ねています。一方、問題の棋聖戦は76年スタートと、7大タイトルのなかでは碁聖戦(新聞囲碁連盟主催)と並んで最も後発です。どうも、「歴史」は理由ではなさそうです。

もしかしたら、「棋聖」というタイトル名がスゴイのでしょうか。でも、「碁聖」というのも厳かな感じがします。「本因坊」というのは何やら重みを感じますし、「王座」「名人」というのはとても強そうです。

こうしてみてきた限りでは、棋聖戦を〈囲碁界の最高実力者を決める一戦〉と呼べるような根拠は見当たりません。日本棋院がそうした見解をもっているかと思って聞いてみたら、そんなことはありませんでした。棋聖戦を頂点をかけた大会とみなしているのは、読売ぐらいではないでしょうか。

そんな状況で、〈囲碁界の最高実力者を決める一戦〉と書くのは、読者をミスリードしているように思います。そもそも、どのタイトルが最高かと比べること自体、ナンセンスな気もします。

高い賞金を出し、ドイツまで行って大がかりな対局を開いているわけですから、読売が「ウチが1番だ」と言いたい気持ちはわかります。でも、あまり説得力はありませんし、現実を反映しているとも思えません。

それでも、どうしても1番だと言いたいのであれば、〈囲碁界の最高優勝賞金がもらえる一戦〉というのはいかがでしょうか。
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by tmreij | 2006-01-16 23:43 | 本紙

サラ金の「違法金利」には、新聞も加担している(2)

(きのうの原稿「サラ金の「違法金利」には、新聞も加担している(1)」のつづきです)

結果からいうと、全国紙3紙とも、消費者金融の広告は問題なしという考えでした。掲載しておきながら問題ありと表明するわけにはいかないでしょうから、当然といえば当然です。しかし、それでいいのか、という話です。

ここで、各社の見解を個別に紹介してみましょう(いずれも03年12月時点の広報担当者の言葉です)。

朝日は、「貸付利率が利息制限法の上限を超えている場合でも、貸金業規制法第43条の規定に沿ったものであれば、当事者間の自由な意思にもとづく契約と考えています」と答えました。消費者金融が繰り出すのと同じ論理を展開し、契約に問題がないのだから広告も問題ないとの立場でした。

「出資法で認めている上限年率は29.20%であり、同法の主旨、並びに貸金業規制法の規定に則って広告を掲載しています」と述べたのは、毎日です。これまた業者の答えかと思うような返事でした。

読売は、「(同社の)広告掲載基準は、日本新聞協会の広告倫理綱領などに基づいて作られているものです」と、掲載基準を持ち出し、それをクリアしているのだから問題なしとの説明でした。ただ、掲載基準がどういったものかは明らかにしませんでした。

15〜20%を超える利息は、完全に違法とはいえないのだから、それを掲げる広告を出すことも問題ではない、という理屈はわかります。こうした金利は「グレーゾーン金利」と呼ばれることからもわかるように、白とも黒ともいえないグレーなわけですから、「問題なし」と言ってしまえば、それで済ますことができたのです。

ただ、消費者金融の利用者保護を訴える弁護士らを中心に、15〜20%を超える金利は法律違反(利息制限法違反)だから、認められるべきではない、という主張がずっとあったのも事実です。

こういう状況を考えると、ポイントとなるのは詰まるところ、新聞は貸金業者の肩をもつのか、それとも借金をする人や返済に苦しむ人の味方になるのか、ということではないでしょうか。そして、少なくとも結果的には、新聞は貸金業者の肩をもち続けてきたように思います。

新聞は、「何も悪いことはしていない」と主張するかもしれません。確かに、法律に引っかかるようなことはしてはいなかったでしょう。しかし、増加が深刻な問題となっている自殺者には、借金苦が原因と思われる人が少なくありません。一方で、消費者金融の社長らは、高額納税者リストの上位にずらりと名を連ねています。新聞は弱者を見捨て、強者を支えてきたといえるのではないでしょうか。

新聞にしてみれば、広告は大事な収入源です。コンスタントに、ときに大型の広告を入れてくれる消費者金融は、大事なお得意様といえるでしょう。そうした上客をがっちりつかんでおくため、広告内容にケチをつけるようなことなどせず、出稿されたものをできるだけそのとおり載せるよう努めるのは、企業としては自然なことかもしれません。

しかし、そうした企業努力の裏には、何万人にも及ぶであろう消費者金融利用者の苦しみを、見て見ないふりをするような行為があったと言えるのではないでしょうか。一般企業であればまだ、そうした利潤最優先の考え方でいていいのかもしれません。けれど、社会の木鐸を自認する新聞社が、もうけのためには借金地獄に苦しむ人々を踏みつけ、スーパーリッチのご機嫌をうかがうようなことをしていていいわけがありません。

今回の最高裁判決では、貸金業者が15〜20%を超す金利を取ることを実質的に認めませんでした。ただ、外形的には高裁への差し戻しですから、最高裁の判断が確定したわけではありません。それをいいことに、消費者金融などは、相変わらず高金利を掲げた広告を出稿してくる可能性はあると思います。

そのときどうするか。信頼に値する新聞かどうかは、その対応に大きくかかっていると思います。

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在京テレビ局にも、違法との指摘がある15〜20%を超える金利が表示されているコマーシャルと、利息は20%以内と定める利息制限法との整合性についてどう考えるのか、聞いてみました。回答を以下に紹介します(いずれも03年12月時点の広報担当者の言葉です)。

▽フジテレビ 「当初より最高と最低の金利の明示を義務づけることで、視聴者への注意喚起を徹底しています」
▽日本テレビ 「我々がお答えするものではないと考えます」
▽TBS 「整合性をうんぬんする立場にはないと考えております。しかし、法改正等の動きに対しては注意深く見守っていきます」
▽テレビ朝日 「(利息の上限を29.2%としている)出資法の上限金利を下げる方向で法律の改正がされることが望ましいと考えます」
▽テレビ東京 「法律の整合性を判断する立場にはございません」
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by tmreij | 2006-01-15 23:58 | 本紙

サラ金の「違法金利」には、新聞も加担している(1)

消費者金融(いわゆるサラ金)などの貸金業者が、法律の定めを超えた利息を取ることを、最高裁が実質的に否定しました。きょう(2006年1月14日)の朝日、毎日両紙朝刊は1面トップで、読売朝刊は第2社会面で、この判決を大きく報じています。

〈借りて保護、鮮明に〉(朝日)、〈業界全体に重大な影響〉(毎日)といった見出しが示すとおり、借金をしている人やこれからする人には、負担が大きく減る画期的な判断ですし、貸金業者には現在の商慣行の見直しを迫るものです。

と同時に、新聞にとっても、深刻に受け止めなければならない判決であるはずです。

まず始めに、貸金業の利息についてざっくりと説明します。

金を貸すときの利息については、その名もずばり「利息制限法」という法律があります。この法律で、年利(1年の利息)は15%から20%まで(借りた額によって違う)と規定されています。

それなのに、消費者金融や商工ローンなどの業者は、25%とか27%とかいった年利を徴収してきました。これは、利息について定めた法律が別にもう1つあり、貸金業者はそちらの法律——「出資法」=年利の最高は29.2%と規定——を利息の上限とみなしているからです。

貸金業者が高い金利を取っていることについては、「利息制限法違反で、借り手を非常に苦しめている」として以前から問題視する声がありました。しかし、業界について定めた「貸金業規制法」という法律が、借金人と「特約」を交わしてさえいれば、利息制限法は無視して、出資法の上限金利である29.2%まで利息を取れると規定。貸金業界は、これをタテに批判をかわし、借金苦に悩む人々から高利をむさぼってきたわけです(「特約」というと大げさな感じがしますが、消費者金融で借金をするとほぼ必ずつけられます)。

さて、お気づきの方も多いと思いますが、主要な新聞には、消費者金融の広告がひんぱんに掲載されています。ニッコリ笑う制服姿の女性や、黒目がちで小さな犬などの写真とともに気軽な借金を呼びかける広告は、スポーツ面などに小さく載っている場合もあれば、複数の業者で全面を埋めていることもあります。銀行と消費者金融の提携が深まってからは、広告量はいっそう増えた印象です。

広告には、社名や電話番号、ウェブアドレスなどとともに、とりわけ小さな活字で貸し出しの条件が書かれています。貸金大手4社すべての広告が出ている1月10日付朝日新聞朝刊のスポーツ面から、この4社の利息に関する記述を取り出してみましょう。

アイフル〈お利息12.775%〜28.835%(実質年率)〉
プロミス〈お利息13.50%〜25.55%(実質年率)〉
アコム〈貸付利率(実質年率)/13.14%〜27.375%〉
武富士〈お利息(実質年率)/13.5%〜27.375%〉

このように、全社の広告で、利息制限法の上限を超えた利息が明記されています。これは別に朝日に出ている広告に限ったことではなく、どの新聞の広告も同じです。法律違反で、借金地獄の元凶だとの批判があるなか、15〜20%を超える年利について、新聞はじゃんじゃん広告を載せ、容認するばかりでなくお墨付きを与えてきたのです。

なぜお墨付きを与えることになるかというと、新聞は各社、公序良俗に反することのないよう、広告について掲載基準を設けています。ですから、新聞に広告が出るということは、その内容について新聞が公正だと認めたことを示しています。また、こうした理屈抜きに、新聞に出ているものは広告も含めて、間違いのないものだと思い込んでいる人は多いでしょう。「新聞に出てるぐらいだから、利息に問題はないのだろう」と考える人もいると思います。

そうした、新聞がOKを出してきた広告の最高利息を、今回の最高裁判決は認めませんでした。別の角度から言えば、新聞は、法律的に問題ありと判断された内容の広告を、長い間出し続けてきたのです。

新聞社は、こうしたことについて、どう考えていたのでしょうか。このブログの筆者は2年ほど前に、消費者金融の広告掲載について、全国紙に取材したことがあります。

(あすに続く)

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読売はきょうから、朝刊社会面で、〈問い直す 宮崎事件〉という連載を始めました。1回目は、〈起訴 一転 妄言奇行〉〈死刑逃れの詐病?〉という大見出しが踊っています。

記事では、捜査に当たった警察官2人(うち1人は現役)を登場させ、〈「精神病ではない」〉〈「死刑になりそうだと知り、詐病を始めたのか」と感じた〉などの発言を引いて、責任能力はあったという主張を長々と展開しています。

その一方、精神疾患があったとの見方もあることについて触れているのは、〈公判では、「心神耗弱で責任能力が減退していた」とする鑑定意見も出されたが、97年の東京地裁判決は保崎鑑定を採用して死刑を選択」〉という部分だけです。

このブログの筆者は、2日前の原稿「宮崎被告の死刑を警察と一体となって望むとは」で、〈読売には、「権力の犬」という呼び名を贈りたいと思います〉と書きました。きょうの読売の記事を読み、大変失礼な表現だったと反省しています。犬に謝りたいと思います。
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by tmreij | 2006-01-14 23:27 | 本紙

訂正を出せる新聞が、信頼に値する

きょう(2006年1月13日)の全国紙各紙朝刊の東京版(ローカルですみません)には、女性に対する強盗強姦と監禁の疑いで、千葉県の男性が警視庁に逮捕されたという記事が載っています。

逮捕容疑や調べの内容については、毎日がもっとも詳しく伝えています。

〈調べでは、○○容疑者は昨年12月20日午後4時ごろ、ホステスの女性(22)を渋谷区道玄坂1のホテルに連れ込み、ナイフを突き付け「抵抗したら殺す」などと脅し、両手を縛り、同6時40分ごろまで監禁して性的暴行を加え、現金約2万円を奪った疑い。○○容疑者は同日午後1時半ごろ、同所で女性に援助交際を申し込み、携帯電話の番号を聞き出していた〉

昼間にきっかけをつくり、夕方に犯行に及んだ、というわけです。

ところが、朝日をみると、そうは書いていません。

〈捜査1課の調べでは、○○容疑者は渋谷区内の歩道で声をかけた女性(22)から携帯電話の番号を聞き出し、05年12月20日午前4時ごろ、女性を呼び出してホテルに連れ込み、室内でナイフを突き付けるなどして脅迫。女性を手錠で後ろ手に縛って乱暴し、現金2万円を奪った疑い〉

犯行は、夕方ではなく未明のことだったと伝えているのです。

読売はどうでしょうか。

〈調べによると、○○容疑者は先月20日未明、渋谷区道玄坂の路上で飲食店従業員の女性(22)に援助交際を申し込み、近くのホテルに誘い込んだ後、いきなりナイフを突き付け「抵抗したら殺す」などと脅迫。手錠をかけるなどしたうえで乱暴し、現金2万円を奪った疑い〉

未明にきっかけをつくり、犯行については厳密には特定できませんが、やはり未明にあったと読める書き方です。

数のうえでは、朝日・読売が正しく、毎日が間違っていると推測できますが、断定はできません。ただ、どちらかは間違っているはずです。記者は恐らく、4時という犯行時間について、午前と午後を勘違いしたのでしょう。

私的な散文ではなく新聞記事という「記録」を書いているわけですから、間違いを犯さないよう細心の注意を払うべきなのは当然です。しかし、ミスはどうしたって起きます。大事なのは、ミスをした後にどうするかでしょう。

一般的に新聞は、容疑者と被害者の名前を取り違えたとか、生きている人を死んだと書いたとか、1万円と表記すべきところを1円としてしまったなど、大きな間違いについては、すみやかに訂正を出します。また、1面や社会面トップといった目立つ記事のミスについても、比較的訂正を出しやすいといえるでしょう。影響の大きさや深刻さを考慮するからです。

逆に、影響はたいしたことないと判断したミスについては、知らんぷりをすることが珍しくありません。関係者や読者から指摘があっても、紙面的にはほおかむりを決め込むこともあります。

背景にあるのは、「訂正は欠陥商品の証だから恥であり、できるだけ出すべきではない」という新聞社の発想です。これがまだ、「訂正は恥だから、ミスしないよう注意しろ」という意味で広まっている分にはよいのですが、「訂正は恥だから、ミスしても可能な限りネグれ」という意味でも浸透してしまっているのです。

今回の逮捕記事は、地方版ベタで、実名が出てくるのは逮捕された男性1人だけです。逮捕容疑の時間関係を間違えたところで、実害はわずかだといえるかもしれません。ミスをしても、ネグりたくなるタイプの記事でしょう。

しかし、読者の多くは、小さな記事だから内容に間違いがあるかもしれないとか、大きな記事だからミスはないだろう、などとは考えていないはずです。新聞に書いてあることは、記事の大小に関わらず、そのとおりなんだろうと思って読んでいるのではないでしょうか。つまり、新聞を信用しているのです。

読者は信用を寄せているのに、間違った事実を伝えた新聞がそれに気づきながら訂正も何もしないとすれば、それは読者に対する裏切りといえるのではないでしょうか。「あんたたちは誤った事実認識をしたままでいいんだ」と、読者をコケにしているとも受け止められます。実際、今回のような比較的地味な記事で、新聞がミスをなかったことにしてしまったことは、これまで数限りなくといっていいほどあったはずです。

新聞はいま、警察の匿名発表をめぐって、「われわれを信頼してほしい」と国民に訴えています。しかし、普段こんな風に読者をバカにしておきながら、「信頼を」と呼びかけるのは、空々しさを覚えます。

新聞社には、「下手に訂正を出してミスを公にすることで、気づかれずに済んだはずの間違いまで気づかれてしまい、読者の信頼を損ねて部数が減ってしまう」といった考え方があり、これもミスの知らんぷりを支えています。

もちろん、ミスの程度や多さにもよりますが、基本的には、この発想は逆ではないでしょうか。小さなミスでも積極的に公表することで、発信した情報に対して新聞がしっかりと責任をもっていることや、読者を大切にしていることが伝わり、その新聞への信頼や評価につながるように思います。災い転じて福となすというやつで、一般企業や役所などの危機管理と同じです。新聞はよく、他者のことは「危機管理がなっていない」と批判しますが、自らの危機管理も相当危ういように思います。

米ニューヨーク・タイムズには、読者の目につきやすい2面に訂正コーナーがあり、連日訂正記事が並びます。日によっては、その数が10以上になり、かなりのスペースを割くこともあります。だからといって、すべてのミスを公表しているとは限らないでしょうし、同紙の方法がベストだと言うつもりもありません。ただ少なくとも、読者に誠実に向き合おうとしている姿勢は、日本の全国紙各紙より強く感じられます。

日本の新聞も、同紙の方法などを参考に、もっとしっかりとした誤報訂正をすべきです。とりあえずは、今回の逮捕記事でミスった新聞が、ちゃんと訂正を出せるかどうか、注意していたいと思っています。

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今回の事件で逮捕された男性は、容疑を否認しているとのことです。
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by tmreij | 2006-01-13 23:43 | 本紙

宮崎被告の死刑を警察と一体となって望むとは

連続幼女誘拐殺人事件の宮崎勤被告に対する最高裁判決が近づいています。きょう(2006年1月12日)の読売新聞朝刊は、宮崎被告を取り調べた現職の警察官へのインタビューをもとにした大型記事を、社会面トップで掲載。〈「自供直前、小鼻動く」〉〈取り調べた捜査員語る〉〈「精神疾患じゃない」 ウソ混じり「呵責あるから」〉といった見出しを並べています。

恐ろしい記事だなー。久しぶりにそう感じました。

記事は、1989年8月に大峯泰広・警視庁捜査1課理事官(58)=当時は捜査1課警部補=が宮崎被告を取り調べた様子を、以下のような文章を連ね長々と再現しています。

〈「まず性格を知ることが大事」と考え、午前中は、白いジャケット姿の宮崎被告にお茶を勧めながら、好きな食べ物を尋ねるなど雑談に終始した〉〈「本当のことを話してごらん」。しばらく沈黙した後、宮崎被告は「私の話を黙って聞いてくださいますか」と切り出した〉〈「ウソが多く混じり、決して『殺した』とは言わなかった。しかし、細かいウソを問い詰めると、しどろもどろになりながら、事実を話した」という〉

やがて、記事が終わりに迫ったところで、今回の目玉となる談話が出てきます。

〈「自供する直前には、必ず右の小鼻がピクピクと激しく動いた」と、大峯理事官は思い出す。そして、「宮崎被告に人格障害はあったと思う。そうでなければ、あんな事件は起こさない」と分析。「しかし、取り調べでウソをつくのは、良心の呵責があるから。決して精神疾患ではなかった」〉

そして、〈(大峯理事官は)約16年半前の宮崎被告の姿を思い浮かべながら、最高裁判決の日を待つ〉で結ばれています。

強烈です。もう、警察べったりもいいとこ。べったりの極致です。

幼女4人を殺したとされる宮崎被告は、1、2審で死刑判決を受けています。弁護側は精神疾患を主張していて、最高裁では被告に責任能力が認められるかに注目が集まっています。

そうした状況で、精神科医でも専門家でもない警察官の〈「決して精神疾患ではなかった」〉という見立てを、大々的に取り上げているのです。

さらにすごいのは、その警察官の意見を検証したり相対化したりする姿勢がまったくない点です。ふつう新聞は、見解が分かれる事柄について記事にするときは、きっちり5分5分とまでいかなくても、ある程度バランスを取ろうとするものです。今回のように、片方のインタビューを軸に記事を書くときは、そちら側の見解に大きく偏るのは仕方ない面はあるでしょう。しかしそれでも、もう片方の見方や反論もほんの数行でも載せるのが、不偏不党をうたう新聞のはずです。

宮崎被告が犯したとされることは、度を越して凶悪だといえるでしょう。精神疾患が認められなければ、死刑判決は維持されることと思います。それを待ち望んでいる人は、かなりの数に上るようにも思います。

ただ、精神疾患だったと主張することは、どの被告にも法律で認められている行為です。そして、裁判所がその主張を検討している間は、被告は精神疾患だった可能性もあるということです。

きょうの読売は、そうした点への配慮がまったくありません。それどころか、記事を読んだ人に「やっぱり宮崎被告は精神疾患なんかじゃないのだ」という印象を植え付けようとしているかのようです。見ようによっては、「死刑が当然。死刑じゃなきゃおかしい」という世論の形成を狙っているようにも映ります。

警察は、自分たちが逮捕した被告の有罪を喜びますし、有罪にするために時に職権乱用や人権侵害などの無茶もします。今回でいえば、宮崎被告の死刑を望んでいるのは、火を見るより明らかです。

そうした組織の現役幹部の「個人的見解」を、この時期に無批判にばばーんと出す読売には、「権力の犬」という呼び名を贈りたいと思います。

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念のためですが、この文章は宮崎被告を擁護しているわけではありませんし、精神疾患だったと主張しているわけでもありません。あくまで新聞としての報道姿勢を問うています。
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by tmreij | 2006-01-12 23:58 | 本紙

原田(スキー・ジャンプ)の心を都合よく使うな

スキー・ジャンプのトリノ五輪代表に、原田雅彦選手が選ばれました。きょう(2006年1月10日)の朝日新聞朝刊は、スポーツ面で〈原田 5大会連続 五輪へ〉という見出しの記事で、このことを報じています。

この記事には、原田選手のカラー写真がついています。白のスキーウェアを着た原田選手が、両手を耳のそばに近づけ、目をぎゅっとつむりながら大きな笑みを見せているもので、〈選考試合を終え、ほっとした表情の原田雅彦=8日、プラニツァで〉という説明がついています。

日付や服装、背景から、これとほぼ同じときに撮られたと思われる写真が、きのうの読売新聞のスポーツ面に出ています。原田選手は同じスキーウェアを着け、同じように両手を上げています。こちらでは目は細く開き、軽くほほえんでいるように見えますが、ともにれんが色の建物を背にしている点も含め、似通った写真といえます。ただ、写真説明は、〈2回目に進めず、苦しい表情を見せる原田〉になっています。

時をほぼ同じくして撮られたであろう2枚の写真が、ひとつの新聞では〈ほっとした〉瞬間とされ、もうひとつの新聞では〈苦しい〉思いをしている場面だとされているのです。

どちらが正しいのかはわかりません。どちらも正確ではないという可能性はあるでしょうが、どちらともあっているということはまずないでしょう。

なぜこんなことになるのかというと、記事本文の内容に、写真説明が引っぱられているからのように思います。

きょうの朝日は、五輪代表選出を伝える明るいトーンの記事です。それで、大騒音に耳をふさぐようなポーズの写真が、〈ほっとした表情の原田雅彦〉になるのではないでしょうか。一方、きのうの読売は、ジャンプの大会で2回目に進めなかったことを報じる暗いタッチの記事です。だから、口元がゆるんでいるような顔をしていても、〈苦しい表情を見せる原田〉になっている面もあるのではないでしょうか。

こう考えると、撮影されたときの原田選手が何を感じていたのかという〈事実〉は、記者にとっては二の次なのではないかという気がしてきます。悪くとれば、記事本文とマッチするよう記者が写真のイメージを勝手に作り上げ、読者の印象を誘導しているのではないかという疑念も浮かんできます。

これは、〈ほっとした表情〉〈苦しい表情〉といった、主観的であいまいな言葉で説明をしていることが原因です。絶対に間違いがないときを除いて、こうした表現を使わないようにすべきです。

この日の朝日には、原田選手の写真の右側に、スキー・モーグルの里谷多英選手の写真が出ています。写真説明は、〈W杯ティーニュ大会を欠場した際に報道陣の質問に答える里谷多英〉と、事実関係に徹しています。面白みには欠けますが、誘導や虚飾のない正確な説明だといえるでしょう。

写真説明だって、記事の立派な一部です。今回のように、少なくともどちらかの新聞が、事実とは違う方向に読者の印象を誘導するようなことはせず、ちゃんと事実を伝えることを大切にすべきです。
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by tmreij | 2006-01-10 23:59 | 本紙

報道協定は、警察に言われてするものなのか

仙台市の病院から連れ去られていた新生児が、無事親元に戻りました。きょう(2006年1月9日)の全国紙各紙は、いずれも1面トップで、新生児の保護と容疑者3人の逮捕について大きく報じています。

この事件は、身代金目的だったということで、報道各社は「報道協定」を結び、取材と報道を自粛していました。

各紙はこの協定について、やはり1面で、〈おことわり〉と書いた小さな囲み記事を掲載。例えば朝日は、〈朝日新聞社は当初、山田柊羽ちゃんが病院からさらわれた経緯などを報道しました。しかし、その後、身代金目的略取事件の疑いが強まったため、それ以降は柊羽ちゃんの安全を第一に考えて無事が確認されるまで報道を控えていました〉と説明しています。

一読すると特に問題はないように思えます。新生児の安全を最優先し、協定を結んだという説明は、多くの読者にとって納得できるものでしょう。

ただ、きょうの毎日の3面にある〈ドキュメント〉を読むと、協定のあり方としてこれでいいのか、という気がしてきます。一連の出来事を時系列で記したこの記事には、以下の記述が出てきます。

〈(7日)14・00(午後2時) 沼田刑事部長が身代金目的の誘拐事件の概要を発表。「男児の生命に危険が及ぶ恐れがある」として、報道自粛を申し合わせる報道協定の締結を県警記者クラブに申し入れ〉
〈(同)17・30 県警記者クラブが報道協定を締結〉
〈(8日)6・55(午前6時55分) 県警が報道協定の解除を県警記者クラブに申し入れ〉
〈(同)6・56 県警記者クラブが報道協定を解除〉

このように、報道協定は警察の申し入れによって結ばれ、警察の申し入れによって解かれたことになっているのです。

本来は申し入れではなく、身代金を求める脅迫状が届いたといった事実関係について警察から聞いた時点で、報道機関側から自発的に、報道の自粛について検討すべきだったのではないでしょうか。協定の解除も、警察の申し入れではなく、新生児保護と容疑者全員逮捕の連絡を受けて、報道機関側が自主的に判断すべきことのはずです。

今回、一時的に報道を控えたという判断は、読者の理解を得られるものだと思います。しかし、警察の申し入れでそうしたとなれば、それはすなわち、報道機関は自らすすんで被害者らの安全を配慮することはできず、警察から要望を受けてはじめて気を配る程度だということを示しています。

もしかしたら、警察が事件の状況説明と同時に協定についての申し入れをしてきたので、報道機関側が自発的に検討を始めることができなかった、という事情があったのかもしれません。しかしそうであれば、形式的にでも、警察の申し入れを拒み、あくまで報道機関として自主的に協定の締結や解除を検討することで、報道機関としての自立性を保つべきだったと思います。そのようにして、報道機関が良識ある判断を主体的にできることを示することで、国民の信頼を得ることができたように思います。

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今回のケースでは、報道協定に関する読者への〈おことわり〉は、協定締結の時点ですべきだったのではないかという気がしています。この点については、折りをみて説明できればと思っています。
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by tmreij | 2006-01-09 23:59 | 本紙

似顔絵が、スゴイ

仙台市の産婦人科医院から生後11日の男児が連れ去られました。きょう(2006年1月7日)の朝日新聞朝刊は、犯行当時の状況や病院側の反応などを伝える記事を、社会面トップに載せています。

〈赤ちゃん早く助けて〉という大見出しをつけたこの記事は、病院で捜査をする警察官たちの写真とともに、〈宮城県警が公表した、乳児を連れ去った男の似顔絵〉を載せているのですが、この似顔絵がなかなか強烈です。

額や耳を髪で覆い、ふちのくっきりしたメガネをかけ、鼻の頭までカバーする大型のマスクをかけた男の似顔絵なのですが、劇画調というか雑というか、やたらに細かい線が重ねられ、目なんかはどれが瞳かわからないぐらいに線が書き込まれています。率直に言って、もし本当にこれに似ている人がいたらかなりコワいよ、といった感じで、似顔絵としてはあまり効果的だとは思えないのです。

もちろん、これを書いたのは宮城県警ですから、掲載した新聞に非があるわけではありません。朝日としては、捜査に協力することが公共の利益になるという判断で、公表されたものをそのまま載せたのでしょう。

ただ、新聞として、紙面に載るものに気を使うのも当然だと思います。公表された段階で、「もうちょっと何とかなりませんか」と直言し、もう少し劇画度の弱い似顔絵を得る努力をしてもよかったのではないかと思います。(していたら、ごめんなさい)
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by tmreij | 2006-01-07 21:06 | 本紙

「だまって信じろ」では通用しない

きょう(2006年1月6日)の全国紙各紙朝刊は、横田めぐみさんは辛光洙という北朝鮮の工作員に拉致されたと、拉致被害者の曽我ひとみさんが話していた、と伝えています。

横田さんを拉致した人物が具体的に浮かんだのはこれが初めてとのことで、ビッグニュースといえるでしょう。読売が1面トップと社会面トップで展開し、朝日は社会面トップ、毎日が第2社会面に4段見出しで扱っているのも、わかる気がします。

このように力の入った記事なのですが、その報道ぶりには、2つほど気になる点があります。

1つ目は、3紙とも「曽我さんが話した」と書いているのに、曽我さんに直接確認を取ったり、コメントを求めたりした形跡が、どの新聞にもないことです。それでいて、3紙とも、曽我さんが工作員について話したのは「事実」だと断定して記事を書いているのです。

当事者に当たらずとも、複数の証言や証拠を得て、事実認定することは可能でしょう。しかし、きょうの各紙の記事を読む限り、そのようなことがあったようには思えません。もしかしたら、曽我さんに取材を試みたものの、応じてもらえなかったのかもしれません。ただ、もしそうであったのなら、そう書くべきです。読者にしてみれば、なんで当事者にちゃんと確認を取らないの? と不思議に感じるばかりです。

2点目は、ニュースソースについてです。毎日は〈曽我さんが警察当局の事情聴取などに話した。曽我さんのこれまでの話によると……〉と、警察を情報源としているような書き方をしています(ただ、本当の情報源を隠すためにこう書いている可能性は大)。一方、読売は〈関係者の話で明らかになった〉と、「関係者」という非常にあいまいな肩書きの人物をニュースソースにしています。これはもう、誰とでも解釈できるような表現で、情報源をまったく書かないのとほとんど変わりありません。

そして、本当に情報源をまったく書いていないのが朝日です。記事では、〈(曽我さんが)めぐみさんの両親ら、関係者に話していたことがわかった〉と書くだけで、どこからの情報でそれがわかったのか、全然触れていません。これは、極めて問題です。

今回、各紙が同じタイミングで記事を掲載していることから、各社そろって同じニュースソースから情報を得たことは恐らく間違いないでしょう。何らかの事情で、その人の氏名や肩書きを出せないということは、あると思いますし、今回はそういうケースなのでしょう。しかし、その場合であっても、読者がある程度納得できる書き方をすべきです。

「これが事実だ」と言っておきながら、その拠り所をまったく示さなかったり、「関係者」といった極度にいいかげんな肩書きを使ったりするのは、読者をあまりにバカにしています。「我々が書くことをだまって受け止めろ」といった、新聞側の勘違いな感覚も透けてみえます。

記事に出てくる当事者に当たる。ニュースソースはちゃんと明示する。それらができないときには、できない理由を読者に説明する。ニュースの大小や政治性の強弱に関わらず、新聞は読者の側に立ってこれらの基本を実行すべきです。
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by tmreij | 2006-01-06 23:59 | 本紙