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勝手に皆川選手を「ダメなやつ」にしていない?

トリノ五輪のアルペンスキー男子回転で、北海道出身の皆川堅太郎選手が4位、湯浅直樹選手が7位に入賞しました。きょう(2006年2月27日)の北海道新聞朝刊は、1面トップでこのニュースを取り上げています。

競技結果だけではなく、2選手のレース後の感想や、それぞれけがに悩まされた経緯、スキーへの熱い思いなどを、本人たちの言葉を交えながら伝えていて、地元ならではの充実した紙面になっています。(社会面には地元で応援する人たちの記事を大きく掲載)

ただ、1面記事を読んでいくと、文章の締めの部分がすっきりしていないため、読後感が落ち着きません。力を込めた紙面なだけに、残念な感じがします。

皆川選手の苦労や努力を伝える記事は、次の文章で締めくくられています。

〈銅メダルに0秒03差。皆川は申し訳なさそうに言う。「子どもたちがスキーを目指せるような看板に僕はなりたい。メダルを取っていれば、もっと注目されたんだろうけど」。そんなことはない。日本が半世紀も忘れていた興奮を思い出させてくれたのだから〉

一見、巧みな文章で、読者としてはちょっとした余韻に浸りたいところではありますが、どうも素直にそうすることができません。というのも、〈そんなことはない〉という言葉に引っかかってしまうからです。

〈そんなことはない〉というぐらいですから、これを書いた記者は何かを否定しているのでしょう。では、何を否定しているのかと思って文章をさかのぼると、構成上、考えられるのは、〈「メダルを取っていれば、もっと注目された」〉、または〈「看板に僕はなりたい」〉という皆川選手の発言です。

〈「メダルを取っていれば、もっと注目された」〉というのを否定すれば、「メダルを取っていたって、いまより注目されることはなかった」ということになります。絶対に可能性がないとは言いませんが、記者がそんなふうに思ったとは考えにくいです。また、〈「看板に僕はなりたい」〉という本人の意向を〈そんなことはない〉と否定するというのも、なんだかよくわかりません。

記者が〈そんなことはない〉で打ち消そうとしていたのはおそらく、「自分はヘマをしたダメなヤツだ」といった選手の思いでしょう。〈日本が半世紀も忘れていた興奮を思い出させてくれたのだから〉という最後の一行からも、そのことが推測できます。「あなたはダメな選手なんかじゃない」と、そっと背中に手を当てて慰めようとしたのではないでしょうか。

しかし、果たして皆川選手が「自分はダメだ」と思っているかどうかというのは、今回の記事からは明確ではありません。〈「メダルを取っていれば、もっと注目されたんだろうけど」〉というコメントは、至極当たり前な内容です。残念そうな気持ちはうかがえますが、自己否定に沈んだり落ち込んだりしている様子は、あまり感じ取れません。本人はたいして落ち込んでいないのに、記者が勝手に落ち込んでいると思い込んじゃったんじゃないか、とも思えてきます。

もしかしたら、記者は記事にある以外の皆川選手の言葉を聞いたり、そばで表情を観察していたりして、自己否定に陥っている印象を受けたのかもしれません。ただ、そうであればそのことを書かないと、読者にはその雰囲気が伝わりません。

文章に対する考え方は、いろいろあると思います。書かれていないことも文章の流れで想像し、飛躍やねじれがあっても、行間を埋めるがごとく、読者が情報を補いながら読むのが当然だ、という考えもあるかもしれません。詩や小説、論文、台本など、ジャンルによっても、様々な違いがあると思います。

ただ、新聞の文章は、書いてあることがすべてで、紙面で完結するのが原則だと思います。読者の想像力や推理力、親切心などに頼った、独りよがりで甘えた文章は、紙面からは排除すべきだと思います。前後のつじつまが合わず、理屈がすっきりと読者の頭に入らない文章も、あってはいけないと思います。

新聞記事は、複数人の目によってチェックされたうえで紙面に載るのが普通です。それなのに今回のような文章が出たのは、記者もデスクも校閲も整理も、地元選手の活躍や思いに気を取られ、冷静さに欠けていたからではないかと想像できます。

新聞は、たとえ自らが感動し、読者の感情をゆさぶるような文章を書こうと思っても、どこかで冷めた目をもち続け、飛躍や破たんのない文章を読者に提供することが大事だと思います。

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簡単にもうひとつ。

この日の道新社会面には、〈元ドリカム西川容疑者〉〈また覚せい剤所持で逮捕〉のベタ記事が載っています。その記事は、以下のように書かれています。

〈警視庁牛込署は二十六日までに、覚せい剤を所持したとして……西川隆宏容疑者(41)を逮捕した。/西川容疑者は覚せい剤について「先週、渋谷で買った」と供述している。/調べでは、西川容疑者は……〉

この書き方は、記者が直接、容疑者の供述を聞いたときだけに許されるはずです。本当に容疑者から聞いたのならいいのですが、そうでないとしたら、こんな前近代的な書き方をいまだにしているとは、驚きです。(道新が書いたか、共同通信などの配信なのかは不明)
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by tmreij | 2006-02-27 23:56 | 津々浦々

「格差」直結は強引では & 永田議員にダメ出しを

きょう(2006年2月26日)の北海道新聞は、1面トップで〈経済格差 学力に反映〉という見出しのアンケート集計記事を掲載。その下では〈「永田氏謝罪で収拾」〉という見出しで、民主党の送金指示メール問題の続報を載せています。

読んでいて、どちらにも思うところがあり、どちらかにしようかと思ったのですが、日曜ですし、どちらも書きます。(日曜はあまり関係ないかもしれません)

まず、いまはやりの「経済格差」記事(共同通信の配信と思われる)から。

記事によると、日教組の教育研究全国集会に参加した全国の小中学校教員126人が、共同のアンケートに回答。〈「この十年間に保護者の経済的な格差が広がったと思うか」〉と聞いたところ、「強く感じる」と答えたのは29%、「やや感じる」は48%だったようです。また、〈平均程度の学力の子が減って下位層が増え、上位層との二極化傾向が進んでいるとされることについて、家計の格差が影響しているか〉という質問では、「強く思う」が12%、「やや思う」が36%という結果が出たようです。

これらをもって、道新は〈経済格差 学力に反映〉という大きな見出しをつけている(見出しやレイアウトはふつう各紙が独自にする)のですが、はたして妥当な見方でしょうか。

経済格差が広がっていると感じている教員は8割近くに上りますが、学力二極化の原因が経済格差にあると考えている教員は5割を切ります。小中学校の先生が2人いれば、1人は経済格差が学力に影響しているとみていますが、もう1人はそうは思っていなかったり、わからなかったりしているのです。

そんなアンケート結果で、経済の二極化と学力の二極化が直接結びついているような印象を読者に与えるのは、やはりちょっと乱暴なように思います。

経済格差の問題に取り組むことはとても意味があると思いますし、タイムリーな話題を大きく扱うのも自然なことだと思います。しかし、データとその解釈(見出しを含む)の間に飛躍や無理が感じられる記事は、いくらその狙いや着想がよいものだったとしても、評価することはできません。それどころか、読者の考えを無理やり一定の方向に導こうとしている意図やうさん臭さを感じさせ、記事がアピールしたかったポイントから読者を遠ざけてしまうことさえ起こり得るように思います。

新聞は、データを解釈し位置づけるときは、良心からではあっても、強引なことはすべきではないと思います。

次に、「送金指示メール」記事について。

この日の記事は、〈永田寿康衆院議員を議員辞職させず二十七日からの週内に謝罪の記者会見を開いて収拾させる方向で検討に入った〉とし、〈執行部の責任問題について、前原氏は(中略)自らの引責辞任を否定〉したと報じています。

この問題においては、道新を含め新聞は、民主党に非難を浴びせています。ただ、なんか物足りない感じがします。なぜそう感じるのか考えてみたのですが、どうも、永田氏に対しても民主党に対しても、厳しさが足りないような気がするのです。

これまでの報道をみる限り、国会質問の前にメールの真偽を確認する作業はしなかったようです。永田氏および民主党の、大きな落ち度です。

ただ一般論として、真偽がはっきりしない情報について質問したり、相手の反応をみたりすることは絶対だめかというと、そうは思いません。とある情報を得たがこれは本当か? と国会で尋ねたって、聞かれたほうは、違うなら違うと答えればよいのです。でたらめな質問によって名誉や信用を傷つけられる、という主張もあるでしょうが、自ら進んで公人になる人は、火の粉がふりかかることぐらいは覚悟すべきでしょう。だいたい、いい加減な質問というのは、ほどなくいい加減だと判明し、結局は質問した人が信用を落とすことになるので、そんなに多くは出ないはずです。

とはいえ、今回の永田氏の国会での発言は、「質問」の範ちゅうを超えていたように思います。自民党の武部幹事長について「金で魂を売っている」と断定し、その証拠もあると言いながら、それが何なのかを明らかにしないのは、言いがかりといわれても仕方ありません。入手した情報の確度を見極めないまま、思い込みで突っ走った感じがあります。

今回の騒動でさらに深刻だと思うのは、国会で勇んで追及しておきながら、旗色が悪くなると病院に逃げ込んだことです。これはもう、永田氏には政治家の資質が決定的に欠けていると判断していいと思います。国民に対する説明責任を理解していない、または、そんなことより自分や党のことを優先できると思っているのでしょう。

こうした人物がいろいろと情報を集め、それをもとに政策を打ち出したり推し進めたりすることを想像すると、ぞっとします。彼の給料となる税金がもったいないのはもちろん、彼が政治家を続けるのは有害ではないかとさえ思います。とうてい、〈「永田氏謝罪」で収拾〉すべきことだとは思えません。すみやかに国会議員を辞めてもらい、繰り上げで別の人を議員にしたほうが、よっぽど世の中のためになるのではないでしょうか。

新聞が野党に甘くなりがちなのは理解できますし、それが全面的に悪いとも思いません。しかし今回は、このままメールの真実性を証明できないのであれば、少なくとも永田氏については、辞職すべきだとはっきり言うべきでしょう。相当の理由がある場合(今回はすでにあるような気がします)、有権者にかわって政治家にきっぱりとダメ出しをするのも、新聞の大事な役割だと思います。
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by tmreij | 2006-02-26 23:23 | 津々浦々

受験生を混乱させていないか

国公立大学の入学試験(2次)が始まりました。きょう(2006年2月25日)の北海道新聞夕刊は、社会面でこのことを伝えています。

〈合格へ 静かに闘志〉〈道内は1万2000人挑戦〉という4段見出しと、受験会場(北大)の写真をつけたこの記事は、道内で試験に臨む4人の声を、氏名、高校名、受験する大学名入りで紹介。以下のような言葉が、受験シーズンの緊張感を盛り上げています。

〈「厳しい争いになると思いますが、今まで培った力を出して頑張りたい」〉(公立はこだて未来大)、〈「親の期待もあるので、何とか今年で決めたいと思います」〉(旭川医大)

少子化とはいえ、今も昔も受験は大変だよね、がんばってね、という気になってきます。

で、記事を読み進めていくと、すぐ下に〈「競争を促進」と教育改革を批判〉という見出しのベタ記事が目に入ります。

ここでは、津市で始まった日教組の教育研究全国集会の様子を報告。森越康雄委員長がライブドア事件に触れ、〈「教育は競争原理や抜け駆けを争うマネーゲームと対極にある」〉〈「社会や会社に役立つよう育てる大人の都合で、競争においやっている」〉と指摘したことを伝えています。

受験生は勉強で精いっぱいで、新聞を読む余裕などないかもしれません(多くの新聞は、受験に役立つとして読むことを勧めていますが)。でも、もし読んでいたら、少なからず混乱するのではないでしょうか。

上の記事では〈闘志〉〈挑戦〉などの見出しで、受験競争におけるがんばりについて書かれているのに、下の記事では〈「大人の都合で競争に追いやっている」〉と受験などが批判されているのです。入試に関係ない人だって、どう考えていいもんだか、という気になってくるように思います。

こうした紙面は、読者の気持ちを落ち着かなくします。ただ、それがよくないことかというと、必ずしもそうではないと思います。読み手を刺激し、考えるきっかけを提供する構成だと、評価することもできると思います。

でも今回は単に、わけわかんない、という印象を読者に与えるだけになっているように思います。それは、受験競争への批判を伝えるだけで、じゃあどんなふうなのがいいのか、という部分が記事にまったくないからです。

もしかしたら、教研集会が言いっ放しの会合で、対案は出なかったのかもしれません。そうであれば、記者が日教組としての見解を取材し、記事に盛り込むべきでしょう。集会が始まったばかりで、これからそういう話が出るのであれば、記事だってあせってきょう出すことはないように思います。読者にすれば、1日や2日か後になったって、中身のある記事を読みたいと思うのではないでしょうか。

新聞としては、現在の教育システムへの批判や皮肉を込めて、きょうのような紙面にしたのかもしれません。そうした狙いをもつことは悪いことだとは思いませんが、今回はうまくいっていないように思います。

もうちょっと情報を追加さえすれば、受験生に不要な混乱を与えずにすむでしょうし、建設的な議論を呼び起こす効果も高くなったように思います。

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受験の記事は道新によるものでしょうが、津の教研集会の記事は通信社や提携新聞社の配信によるものだと思います。紙面構成は、もちろん道新によるものです。
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by tmreij | 2006-02-26 09:10 | 津々浦々

村主選手は、なぜ4位なの?

トリノ五輪フィギュアスケート女子で、荒川静香選手が優勝しました。きょう(2006年2月24日)の北海道新聞夕刊は、荒川選手を中心にフィギュア女子3選手の健闘を、1面や中面(見開きカラー写真つき)、社会面などで大々的に報じています。

フリーの演技をテレビで観戦したのですが、 フィギュアスケートの採点についての知識はゼロに近い素人ながら、結果には少し違和感を覚えました。その違和感を解消してくれることを期待して新聞を待ったのですが、あまり効果はありませんでした。

フリーにおける荒川選手の滑りは、金メダルに値する素晴らしいものだったと思います。安藤美姫選手はミスが多く、15位というのも妥当なところではないかという気がします。しかし、村主章枝選手の4位というのは、なぜなのでしょうか。

荒川選手の勝因のひとつは、ショートプログラムで上位にいた2選手が転倒するなか、〈フリーはほぼノーミス〉(社会面)だったことだと報じられています。ただ、ノーミスということでいえば、村主選手も同じだったのではないでしょうか。ジャンプはきれいに決まったように見え、スケーティングも滑らかな感じがしました。実際、村主選手のミスによる減点は、荒川選手同様、ゼロでした(安藤選手は減点2.00点)。

実況のNHKのアナウンサーや解説者は、「やった」「最高」などという言葉を漏らしていましたし、演技を終えた村主選手に、立ち上がって拍手を贈る観客がいたとも伝えていました。

それなのに、フリーの得点は、荒川選手が125.32点だったのに対し、村主選手は113.48点。技術点では、8.09点もの差がつきました。

この2選手の差について、きょうの道新はどう説明しているのでしょうか。その点を意識しながら記事を読んでいったのですが、それらしい説明は、中面の〈満足 切なさ 村主涙〉という見出しの記事で、〈(村主選手は)ジャンプの質が低く、メダルには届かなかった〉とあるだけです。優勝した荒川選手の活躍に紙面の多くを割くのは当然だとは思いますが、見事な演技をしながら高い評価を得られなかった(と感じられた)村主選手について、なにがどう足りなかったのか、もう少し説明してくれてもいいように思います。

ジャンプの種類によって点数が違うのはわかります。23日付の道新朝刊は、図つきでこのことを説明していました。ただ、もし村主選手の得点がのびなかった原因がこのジャンプだったとしたら、村主選手は点数が低いジャンプばかりを選んで飛んでいたということなのでしょうか。最初から、上位を狙ってはいなかった可能性もあるのでしょうか。そもそも〈ジャンプの質が低く〉というのは、どういうことを言っているのでしょうか。

村主選手の得点に違和感を覚えたのは、同選手の落胆ぶりを目にしたからでもあります。演技を終えて点数が出たときの村主選手の表情からは、失望感がうかがえました。テレビのインタビューでは涙を流していましたが、感動の涙というよりは、悔し涙のように思えました。技術的なミスはほとんどなかったわけですから、本人としては、当然ながら高得点を期待していたのではないでしょうか。

中面記事には、村主選手の〈点数が出ないのは今後の課題〉というコメントが載っています。この言葉からは、もっと高い点数が出るはずだった、という村主選手の思いが感じ取れるような気がします。

フィギュアスケートに詳しい人は、いろんなことをちゃんと理解し、今回の結果に納得しているのかもしれません。

ただ、新聞の読者には、ずぶの素人だって多いはずです。新聞は、そうした人たちも記事を読むことを前提に、優勝の勝因ばかりではなく、4位の理由についても、わかりやすく書いてほしいと思います。

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この日の道新のフィギュアスケート関連の記事は、社会面を除いてほとんどが共同通信の配信によるものです。
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by tmreij | 2006-02-25 08:39 | 津々浦々

タンチョウ増やしたのは、ご近所の2人?

国の天然記念物タンチョウの北海道内の生息数が、調査開始以来初めて千羽を超えたようです。きょう(2006年2月23日)の北海道新聞朝刊は、この話題を、1面(カラー写真つき)と社会面で報じています。

記事によると、千羽というのは、絶滅の危機から抜け出た目安になる数字だそうです。〈調査を始めた一九五二年は三十三羽で絶滅の危機にあった〉とのことですから、たまたま同じ時代に地球に生きる他の種(ヒト)にとっても、とても喜ばしいニュースだといえるでしょう。この日の道新も、〈関係者に喜びが広がっている〉と書くなど、嬉しさが伝わってくる紙面になっています。

基本的には、喜怒哀楽が感じ取れる記事というのはいいと思います。ただ今回は、ちょっと冷静さに欠けているところもあるような気がします。

今回のニュースで読者が気になることのひとつに、なぜタンチョウの数が増えたのだろうか、ということがあると思います。この点について1面記事は、〈地道な給餌活動などで数を増やしてきた〉と説明していますので、とりあえずは、なるほどね、食べ物がカギだったわけですか、とざっくりと納得することができます。

ただ、具体的にはどういった人や団体がどんな活動をしてきたのか、それによってどんな効果があったのかといった点は、1面ではわかりません。

それを補う意図もあるのかと思いますが、社会面の記事〈タンチョウと半生 給餌続ける男女〉は、繁殖に重要なエサやりを長年続けてきた2人を写真つきで紹介しています。1人は釧路管内鶴居村の85歳の女性で、〈四十年間、毎日朝と昼、給餌をしている。バケツでトウモロコシを運ぶが、深い雪に体ごと埋まることも〉あるとし、もう1人の釧路市阿寒町の75歳の男性については、父親の後を継いで三十三年前から自宅近くでエサをやり続けてきたと伝えています。

これを読むと、タンチョウにせっせと食べ物を与え続け、繁殖に貢献してきたのは、どうやら生息地のご近所さんらしいことがわかります。これら一般人の他に、専門家など公的なスタッフもエサを与えていたのかもしれませんが、この日の紙面からはわかりません。1面と社会面の記事を読んだ限りでは、生息地の近所のおばさん、おじさんが、絶滅の危機からタンチョウを救ったような印象を受けるのです。

もしそうなのであれば、天然記念物に指定しておきながら、国としてそんなのでいいの? という気がしてきますし、新聞としては、そういう視点も必要かと思います。そうではなく、公的な施設やスタッフを中心とし、系統だった繁殖活動をしてきたのであれば、そちらについても、ある程度は説明があってもいいように思います。

この日のニュースは、タンチョウが増えた! ということなのですから、どうして増えたのかというデータは欠かせないはずです。〈地道な給餌活動など〉というわずかな説明と、熱心にエサやりをしてきたおばさんとおじさん1人ずつの紹介だけでは、読者は繁殖の理由があまりよくわからないのではないでしょうか(もしかしたら北海道民にとっては常識なので、説明の必要がないのかもしれませんが)。

喜ばしい話題を新聞も一緒になって喜び、情緒的な苦労話を添えてムードを盛り上げるのはいいと思います。ただ、それだけでは、ちとまずくはないでしょうか。嬉しいニュースに対しても、どこかで冷めた目を持ち続け、読者に何を伝えるべきかを常に意識することが、新聞にとっては大事なように思います。
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by tmreij | 2006-02-24 00:15 | 津々浦々

わいろ実行部隊の責任は?

大阪府の元教育監(教育長に次ぐナンバー2)が、在任中にわいろを受け取った疑いで逮捕されました。きょう(2006年2月12日)の京都新聞は、社会面でこのことを大きく伝えています。

大阪の事件なのに、大阪に本社を置く全国紙よりも、京都新聞のほうが詳しく書いています。そのことはとてもよいと思うのですが、内容が詳しいだけに読者が感じる疑問点については、ちょっと鈍感なような気がします。

全国紙の報道によると、元教育監は在任中だった2年前、知人(大阪市内の学校法人の前理事長)の親族の女性を府立高校の非常勤講師に採用するよう学校側にプッシュ。知人から、お礼として高給スーツの仕立券付き生地(35万円相当)を受け取った疑いがかけられています。

朝日も毎日も読売も、上記のように人間関係をぼやかして書いているなか、京都新聞は、〈(知人から)教員志望の孫娘(24)を講師に採用するよう頼まれ、大学の後輩だった府立高校長(58)に「採用してやってほしい」と依頼〉と記述。「親族」は知人の孫娘であり、校長は教育監と特別な関係があることを明らかにしています。

さらに、〈(知人は学校法人名義の)カードで仕立券などを購入し、妻と娘に(教育監の)自宅まで届けさせていた〉という、全国紙にはない情報を盛り込んでいます。つまり、親子3人でわいろ工作をしていたと報じているわけです。(孫娘は結局、非常勤講師として採用されたようです)

今回の事件においては、いずれも大事な情報だと思いますし、あえて伏せるようなことでもないように思います。

ただ、これらのことを知れば読者は当然、「わいろ作戦の実行部隊だった妻や娘の責任は問われないの?」と思うでしょう。作戦を描いたのは前理事長だったのかもしれませんが、だれかが実際に金品を渡して初めて犯罪が成立するのですから、役どころとしては実行部隊だって重要です。前理事長の妻や娘(講師として採用された孫娘にとっては祖母と母)が、訳もわからずにスーツの仕立券を元教育監に届けたなどということはないはずです。

それなのに紙面では、実行部隊の責任についてはまったく言及されていません。これでは読者は、消化不良を起こします。また、前理事長の孫娘の採用は結局、元教育監の働きかけが効いたからなのかどうかも、今回の記事からはわかりません(この点は全国紙も同じ)。これだって、読者としては気になるところです。

読者に疑問をもたせたまま終わるのは、記事としてよくないと思います。疑問に思うようなことはないかと常に意識して、取材・執筆をしてほしいと思います。

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今回の記事は、京都新聞のオリジナルではなく、共同や時事などの通信社が配信した記事なのかもしれません。地方紙などは、通信社の記事でも「共同」「時事」といったクレジットなしで掲載することが多いようです。

内容に対する責任の所在をはっきりする意味でも、クレジットは入れるべきだと思います。これについては、またいつか改めて書きたいと思います。
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by tmreij | 2006-02-13 00:33 | 津々浦々