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取材源の秘匿は大事、でも記事の検証も大事

読売新聞の記事をめぐって、東京地裁が同紙記者に対し、取材源の身元(国税職員かどうか)を明かすよう命じました。きょう(2006年3月15日)の全国紙朝刊は、このことを各紙1面で取り上げ、社会面にも解説記事を掲載するなど、力を込めた報道をしています。

東京地裁の理屈は、もし情報源が国税職員であれば、その職員は国家公務員法違反をしたことになるし、情報源を明かさない記者も、犯罪行為の隠ぺいに加担したことになる、というものです。記者がおいそれと情報源を明かすようであれば、だれも取材に協力しなくなることが考えられますが、藤下健裁判官は、〈それは公務員の守秘義務違反がなくなることを意味するのだから、法秩序の観点からむしろ歓迎すべきだろう」〉(読売社会面)と言い放ったようです。

このあぜんとする判断に、当事者の読売はもちろん、それ以外の新聞も強い非難を浴びせています。朝日は〈東京地裁決定に沿えば、そのような(官庁側が出す情報以外は市民に届かない)社会になりかねない〉と書き、毎日も〈国民の知る権利を否定しかねない結論を導いた〉と批判。そして読売は〈仮に、公権力が都合の悪い情報も包み隠さず公表するとしたら、決定の論理も成り立つ余地があるかもしれない。だが残念ながら、そんな社会は実現していない。東京地裁の現実離れした判断は、ただちに見直されるべきだ〉と強硬に主張しています。

まったくこれらの意見どおりだと思います。各紙がそれぞれに、今回の決定に「ふざけんな」と大声をあげたのも、当然といえば当然のことではありますが、よかったと思います。

それはそうと、3紙の記事に共通して欠けている情報があるのが気になります。なにかというと、今回の決定の引き金となった読売の記事が、どんな内容で、どれほど正確なものか、ということです。

読売は1997年10月、米国の健康食品会社が「所得隠し」をしたとする記事を掲載。これを受け、この会社は、〈「米政府が情報を日本の国税当局に流したことから、誤った課税処分が報道される結果となり、信用が失墜した」として、米政府を相手取り、アリゾナ連邦地裁に提訴〉(読売1面)したというのが、今回の背景です。

読者としては、読売の記事にはどんなことが書いてあったのか気になるところです。ところがきょうの読売は、〈問題となったのは、同社(健康食品会社)に対する日米両税務当局の所得隠しに関する課税処分について報じた1997年10月10日の読売新聞記事〉と書くだけで、それ以上は触れていません。他紙も同様です。

そこでちょっと調べてみると、該当の記事には以下のような記述が出ています。〈五年間に約七十七億円の法人所得を隠していたことが、日米両国の税務当局による同時税務調査で分かり……〉〈隠し所得は米国の関連会社に送金され、同社の役員が私的に使っていたものと見られ、米国内国歳入庁(IRS)でも追徴課税した模様だ〉〈関係者によると……仕入れ価格を実際の価格より大幅に高く購入したように帳簿に虚偽の記載をして……〉

これらの正誤については、裁判が進行中なので、完全に決着はついていないでしょう。ただ、健康食品会社は〈「誤った課税処分が報道される結果となり」〉と主張しているわけですから、間違った情報が含まれている可能性はあります。

仮に、記事の内容に間違いがあったとしたらどうでしょうか。新聞にしてみれば、当時、情報源から得た情報を記事にしたのであって、意図的に間違ったわけではないのだから、正当な報道だったと主張するでしょう。ただ問題なのは、新聞に特別な意図はなくても、情報源はなんらかの意図をもってわざと誤った情報を記者に伝え、世論をミスリードしようとしたとも考えられることです。

もしそんなことがあったとすると、今回の騒動の全体像や印象はだいぶん違ってこないでしょうか。目的をもって記者にガセネタをつかませたとなれば、その情報源はけしからんということになるでしょうし、秘匿に値するのかという疑問もわくでしょう。最近の永田議員(民主)偽メール問題と同じです。

このように、読売の元記事がどんな情報を含んでいて、それがどれだけ正確(不正確)なのかというのは、読者が今回の問題を考えるうえで、大事なデータのはずです。それなのに、どの新聞にもそうしたデータがありません。これでは、元記事の内容は実はデタラメだったとか、数字がかなり膨らまされていたとか、新聞にとって都合の悪いことを隠そうとしているのではないかと勘ぐりたくもなります。

取材源の秘匿は大事なんだと新聞が主張することは、とても大切なことだと思います。ただ、そうした主張は、書かれた記事に関する厳しい検証をともなってこそ、説得力をもつはずです。たとえ今回のように裁判が進行中のケースでも、できる範囲で記事を検証し、その結果も一緒に読者に伝えることが大事だと思います。
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by tmreij | 2006-03-15 23:50 | 本紙

球審にケチつけて、いいの?

ワールド・ベースボール・クラシック(野球の国・地域別対抗戦)で、日本がアメリカに負けました。きょう(2006年3月13日)の全国紙夕刊は、各紙とも写真つきで、この試合について伝えています。

この試合では、いったん日本に得点が入った直後に、アメリカの監督が、ルール違反があったと抗議。これを受け、球審が日本の得点を取り消し、今度はこれに納得できない日本の王監督が猛然と抗議するという場面がありました(結局、日本の得点は認められず)。

各紙ともこの騒ぎを取り上げていますが、とりわけ毎日が熱くなっています。熱くなり過ぎて、新聞の野球報道の問題点があらわになっているような気がします。

毎日はまず1面で、〈球審に猛抗議する日本・王監督〉の大きな写真を掲載し、見出しでも、〈日本の勝ち越し点 取り消し〉〈判定に泣き●〉〈王監督 猛抗議実らず〉と、悔しさと腹立たしさをたっぷりと表現。さらにスポーツ面では、〈「野球発祥の国で…」〉という大見出しを掲げ、〈好ゲームに水をさす後味の悪い「疑惑の判定」だった〉と、「疑惑」という言葉まで使って、球審の判断を強く批判しています。

この書き方は、つぎの2点で気になります。

ひとつは、野球では審判の判定は絶対だということです。審判だってときには誤った判定をすることを織り込み済みで、野球というゲームは成立しているはずです。いまの科学技術をもってすれば、ストライクやボール、セーフやアウトを正確に判断する審判ロボットをつくることは可能でしょう。正確さを追及するのであれば、そうした機械をどんどん導入すべきです。それをしないのは、ミスジャッジも含めた「人間臭さ」を大切にしているからではないでしょうか。そうであれば、おかしな判定があって当然なのですから、判定はおかしいと批判するのはおかしいはずです。

もう1点は、同じ野球というスポーツでも、プレーしているのが日本の高校生であれば、仮に今回とまったく同じ出来事があっても、今回のような書き方は決してしないだろうということです。毎日は、まもなく始まる春の全国高校野球大会を主催していますが、そこでの試合に関する記事で、〈後味の悪い「疑惑の判定」だった〉などと書いて、審判に文句を言う監督を応援するようなことはまずないでしょう。プロ(大人)と高校生は違う、という考え方もあるかもしれませんが、プロだろうと高校生だろうと、求められるスポーツマンシップは同じはずです。むしろ、プロは子どもたちの見本となるよう、より高いレベルのスポーツマンシップを示すべきだ(今回であれば、抗議などしないで球審の判定を受け入れるべきだ)と考えることもできるでしょう。

こう考えると、新聞は、王監督の約3分間にわたる猛抗議を批判したっていいはずです。というか、批判すべきではないでしょうか。ところが、毎日にも他の全国紙にも、王監督や、〈「選手全員が納得していなかったからグラウンドに出ようとしなかった」〉と話したイチロー選手たちを批判するような記述は、まったくありません。

これは明らかにダブルスタンダード(二重基準)だと思います。高校野球について報じる紙面では、審判の判定を神聖視しながら、国別対抗野球になると、「判定は疑惑だ」などと非難しているのです。ふだん、部活動やスポーツ少年団などで「審判に文句を言うな!」とたたき込まれている青少年たちがきょうの紙面を読んだら、どういうことよ、と思うのではないでしょうか。

てなことを書いてきましたが、個人的には、とんでもない判定をする審判には、あんたとんでもないよと言っていいと思います。ですから、今回の毎日のような紙面は、あってもいいように思います。

ただ、あんたとんでもないよと言うのは、大人の野球の審判に対してだけではなく、高校野球の審判も対象にすべきです。真剣勝負をしているのは何も大人だけでなく、高校生だって同じでしょう(高校生のほうがよっぽど真剣かも)。審判に渡される報酬は大人と高校生の試合で違うでしょうが、審判に求められる正確さは同じはずです。誤審で〈好ゲームに水をさす〉ようなことがあれば、高校野球においてだって、きちんと審判を批判すべきです。相当の理由があるときには審判にモノ申すことができるということを、明確にすべきです。

もしくは、あくまで二重基準を適用し続けるのであれば、新聞はその理由を、高校生たちにもわかるように示すべきです。

そうしたことをせず、都合よくスポーツマンシップを使い分けているようないまの新聞からは、フェアプレー精神とは相容れない、大人のずるさのようなものを感じます。
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by tmreij | 2006-03-13 23:57 | 本紙

なぜ、わざわざ「中国籍」を強調するのか

きょう(2006年3月10日)の読売新聞夕刊は、夫にインシュリンを大量投与したとされる妻が殺人未遂容疑で逮捕された、というニュースを社会面で報じています。

短行のシンプルな逮捕記事ですが、なんか偏見をにじませてない? といった感じがする内容になっています。

記事は、以下のような文章で始まります。

〈千葉県光町の中国籍の女が、インシュリンを大量に投与して夫(54)を殺害しようとしたとして、千葉県警捜査1課と匝瑳署は10日、同所、○○容疑者(33)を殺人未遂の疑いで逮捕した〉

気になるのは、〈中国籍の女が〉という部分です。この国籍に関する記述は、なんのために付けているのでしょうか。

容疑者が外国人かどうかが重要な情報となるのは、外国人であることが犯罪と関係している場合でしょう。例えば、不法滞在者による事件が考えられます。外国政府や企業のためのスパイ活動や、外国人犯罪グループの不法行為も該当するでしょう。日本社会に適応できなかったゆえの犯罪や、異なる文化や価値観から生じた違法行為、外国人への差別や偏見が動機になった犯行なども含まれると思います。こうした種類の事件においては、容疑者の国籍は大事な情報のひとつだと思います。

では、今回はどうでしょう。

記事は、被害者とされる男性を、〈夫〉と書いています。ということは、逮捕された容疑者は、この男性と正式に結婚しているのでしょう。日本国籍は取得していないのかもしれませんが、日本政府も認める夫婦として、千葉で暮らしていたはずです。

事件そのものも、被害者には不謹慎な表現かもしれませんが、日本人でも起こしそうな、どちらかとういと単純な内容です。

記事中に、中国籍との事件との関係がうかがえるような説明があるかと思って読み返しましたが、何もありません。上記1段落目に続く2段落目は、2004年ごろに容疑者がインシュリンを大量に投与した疑いがあるとし、最後の3段落目では、男性が意識不明の重体だと伝えているだけです。

中国籍なのは事実なんだし、事実を書いて何が悪いんだ、という意見もあるかもしれません。容疑者のバックグラウンドは、それだけで大事な情報だ、という考えもあるかと思います。

しかし例えば、今回の容疑者が大阪の出身だったらどうでしょう。「千葉県光町の大阪市出身の女が、インシュリンを大量に投与して夫を殺害しようとしたとして……」と書いても、事実に間違いはありませんし、関西の出身というのも、その人の特徴のひとつでしょう。でもやっぱり、ヘンじゃないでしょうか。

なぜヘンな感じがするかというと、大阪出身であることが、事件と直接関連している印象を受けるからです。こんな記事があれば、大阪出身者はおそらく強い違和感を感じるでしょうし、名誉棄損で訴えたろか、ぐらいは思うんじゃないでしょうか。

このことはなにも大阪だけでなく、北海道だって沖縄だって、中国だって韓国だって、どこの国・地域についてだって同じはずです。

また、仮に自分が外国で暮らしていて逮捕されたとき、事件と国籍との関連についてたいした説明もないまま、新聞に日本人であることをことさら強調されたら、イヤな感じはしないでしょうか。「オレは日本人だから悪いことをしたんじゃない、悪いヤツだから悪いことをしたんだ」と開き直りたくならないでしょうか(なりませんかね)。

今回の記事は、見出しでも〈殺人未遂容疑 中国籍の女を逮捕〉と、「中国籍」であることを強調しています。本文も、冒頭でいきなり、〈中国籍の女が……〉と書くなど、中国に恨みでもあるのか、といった印象さえもたせる仕立てになっています(本当にあるのかもしれませんが)。

新聞は、国籍と事件との関連を示せないのであれば、あらぬ偏見を助長しないためにも、国籍を強調するようなことはすべきではないと思います。
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by tmreij | 2006-03-10 23:48 | 本紙

こういう裁判記事を、もっと読みたい

電車で痴漢をしたとして、1審で有罪判決を受けた東京都内の男性会社員が、東京高裁で逆転無罪になりました。きょう(2006年3月9日)の朝日新聞朝刊は、〈この2年半返せ〉〈痴漢事件で逆転無罪〉という大見出しをつけて、このニュースについて社会面で大きく報じています。

この記事、いい記事だと思います。何がいいかというと、ちゃんと読者の内側に伝わってくる内容になっているのです。

その大きな原因は、裁判記事の基本形で終わっていない点でしょう。「どこどこの裁判所は、だれだれ被告(なになにの訴え)に対し、それそれの判決を言い渡した」といった記述に、判決の中身やそれまでの経緯、当事者の主張を織りまぜるなどするのが、通常の裁判記事です。しかし今回の記事は、そうした「基本」にとどまらず、以下のような記述で、事件にほんろうされる会社員の姿を伝えているのです。

〈事件で、結婚6年目で生まれた待望の長男(当時2)の育児日記を毎日つける日々は一変した。24年間つとめた印刷会社は休職に〉

〈父親の植木の仕事を手伝い始めたら、塀から落ち足を複雑骨折。その後は生活保護に頼っている〉

〈パトカーで警視庁戸塚署に連行された。何を言っても刑事は「正直に言え」の一点張りだった〉

〈無実を訴え続けた男性の勾留は105日に及んだ。妻の「やっていないのは分かっている。がんばって」という言葉が支えになった〉

裁判というのは、多くの読者にとってはなじみが薄く、遠くて冷たいものではないかと思います(裁判員制度が始まると違ってくるでしょうが、いまのところは)。黒い法衣を着た法律の専門家が、争いごとについて高いところから裁定を下す、といったイメージではないでしょうか。

しかし、当たり前ですが、被告や原告やその家族、それに検察官や弁護士、裁判官だってみんな人間なわけで、裁判は実際はとても人間くさいものであるはずです。

それなのに、新聞は多くの場合、裁判のそうした人間くさい部分を伝える努力をあまりしてこなかったのではないでしょうか。そしてそのことが、読者にとって裁判を、さらに遠い存在にしてきたように思います。

今回の記事は、無実の罪(まだ確定したわけではありませんが)に問われることが人生にとってどれだけ破壊的かといったことや、そういう状況では家族の信頼と支えがいかに大事かといったことを、じんわりと伝えています。被疑者に自白を強いる、警察の相変わらずな体質も浮かび上がらせていますし、男性読者には、自分がいつ今回の会社員のような立場になるともわからない、といった不安も感じさせます。ふつうは遠くて冷たい裁判記事を、読者が同情や感情移入をできるところまで溶きほぐしているのです。

そのためには、かなりの取材が必要でしょうが、今回の記事からは、そうした努力のあとがうかがえます。新聞には、こうした裁判記事をどんどん書いてほしいと思います。
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by tmreij | 2006-03-10 00:42 | 本紙

「同和はコワイ」を前提にしていないか

きょう(2006年3月8日)の読売新聞朝刊は、社会面のトップに連載記事〈許すな組織暴力〉の第1部3本目を載せています。

暴力をちらつかせたり実際にふるったりしながら無理難題を押しつけ、不当な利益を得ている人たちがいることを伝え、そうした人々を糾弾するという狙いは、とてもよいものだと思います。これぞ新聞の仕事といえるでしょう。充実した連載への期待も込めて、がんばって、とエールを贈りたいと思います。

ただ、きょうの記事については、「組織暴力許すまじ」の気持ちが先走って、やや言論の暴力になってしまっている嫌いがあるように思います。

〈公共事業 食い物〉〈エセ同和、エセ右翼、暴力団 執拗に要求〉という見出しの今回の記事は、同和団体を名乗る男から、九州の建設会社に、下請けの仕事を回すよう求める電話がかかってきたというエピソードで始まります。そして、見積書が唐突に届いたり、電話が何度もかかってきたりしたことに触れ、〈「エセ同和」による典型的な不当要求だった〉と段落をまとめています。

続く段落では、同じ団体名をかたる男から、宮崎県内の複数の自治体に、公共工事について脅しともとれる電話があったことを紹介。〈「正体を決して明かさずに、『同和団体』を装って公共事業に食い込むのが彼らの常とう手段だ」〉という県職員の言葉を添えています。

また、その次の段落は、警視庁管内特殊暴力防止対策連合会(都内2330社が加盟)に一昨年、〈「エセ右翼」「エセ同和」の相談は412件〉寄せられたとし、業種別の相談件数では建設業が圧倒的に多かったことを報告しています。

以上の内容から伝わってくるのは、同和団体じゃないのに同和団体のふりをして(エセ同和)、公共事業など建設工事にからんで、不正に金もうけしようとしている人たちがいるということです。

ここでふと疑問に思うのは、不正な金もうけをしようとしている人たちは、なぜ同和団体を名乗るのかということです。ところが、この点について、記事にはなんの説明もありません。

なぜないのでしょうか。

それはおそらく、「同和団体は暴力的」「同和はコワイ」という認識が読者に広く共有されていると、読売が考えているからではないでしょうか。

同和団体は、主に被差別部落の人たちでつくる団体です。長年、不当な差別に苦しんできたこともあり、生活改善の要求や偏見の糾弾などの際に、乱暴とも取れる言動をした同和団体もあったかとは思います。

しかし、同和団体がみなそういう団体かというと、そんなことはないでしょう。つい先日、全国大会の記事が載っていた「部落解放同盟」も、同和団体のひとつです。全国紙各紙は、この団体が暴力組織でないと判断しているからこそ、集会について取り上げたはずです。部落解放同盟ほど知名度がなくても、淡々と偏見や差別の解消に取り組んでいる団体だってあるでしょう。というか、そうではないという合理的な根拠がない限り、まともな団体がほとんどだと想定すべきではないでしょうか。「同和団体は暴力的」という認識を一般的なものだとするのは、ちょっと乱暴だと思います。

そうした偏見ともいえる誤った認識を前提に、今回のように暴力批判の記事を展開していくのは、誤認識の補強につながるように思います。読者によっては、同和を名乗って脅迫する人がいると淡々と書かれているのをみて、本当に脅威だからなのだろう、と理解する人だっているでしょう。エセ同和とはどういうものかを知らない人がこの記事を読むと、何だかよくわからないけど同和団体というのはコワイ団体らしい、と感じるのではないでしょうか。

もし読売が、「いや、同和団体の多くは、本当に暴力的なんだ」との考えをもっているのであれば、「エセ同和団体」を取り上げるより「同和団体」の不当行為を非難する記事を載せるのが先でしょう。その場合、同和団体の暴力性をきちんとデータで説明すべきことは、言うまでもありません。

ともあれ、今回のような「同和はコワイ」という認識に頼った書き方は、すべきではないと思います。そういう書き方は、同和団体に関係する人にとっては、暴力にも近いのではないでしょうか。

では、どうしたらいいのかというと、エセ同和についての説明をわずかでも入れればよいのです。例えば、「『同和団体は暴力的』という偏見を利用し、同和団体を名乗ることで相手に圧力をかけようとする者もいる」といった一文があれば、同和問題について知らない読者でも、ああ同和団体はホントは恐ろしくないのね、とわかります。逆に、そうしたことわり書きがないと、どうも同和団体というのは危ない団体のようだとの印象をもったり、そうした偏見を強固にしたりする読者もいるのではないでしょうか。

面倒を避ける傾向が新聞にも強まっているなか、暴力と闘おうという読売の姿勢は、称賛に値すると思います。ただ、勢い余って自らが言葉の暴力になってしまっていないか、厳しく自問することも大事だと思います。
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by tmreij | 2006-03-08 23:54 | 本紙

ニコチンパッチ処方、「法律違反」の指摘は無視?

きょう(2006年3月6日)の毎日新聞朝刊は、ニコチンパッチという禁煙補助薬の使用を、歯医者が患者に指示することが増えいている、という話題を第2社会面で取り上げています。

〈歯科医処方は是か非か〉という5段の大見出しが示しているとおり、記事は、歯医者がニコチンパッチを処方することの善し悪しについて問題提起。ただ、完全に客観的な立場かというとそうではなく、〈結果的に歯科医に処方を促している自治体もある〉ことを紹介し、〈「歯科医による禁煙指導は効果的で、厚労省は例外として処方を認めるなど柔軟な対応を検討してほしい」〉という大学教授のコメントで記事を結ぶなど、印象としては、どちらかというとすでに処方している歯科医を擁護しています。

このように、あることがらの是非を問う体裁をとりながら、どちらかの立場をそれとなく支持する記事は珍しくありませんし、そういう記事があってもいいと思います。ただ今回の記事では、片方に甘すぎる嫌いがあり、読者としては、新聞の批評精神は都合のいいときにしか発揮されないのか、という感想をもちます。

記事によると、腕などに張ることで体内にニコチンを浸透させるニコチンパッチについて、厚労省は〈「全身に影響するような医療品」〉に分類。これをもとに、歯医者による処方については、医師法違反だとの見解を示しています。

こうした見方を知ると、読者としては当然ながら、すでに処方している歯科医や、〈結果的に歯科医に処方を促している自治体〉がこの点についてどう考えているか、気になるところではないでしょうか。

ところが今回の記事は、記事に登場する〈西日本のある歯科医〉にも、〈ホームページ(HP)などで処方を宣伝している〉歯科医にも、〈結果的に歯科医に処方を促している自治体〉である和歌山県にも、まったくこの点については語らせていません。もちろん取材時には、国が歯医者の処方を法律違反だとみていることについてどう思うのかを聞いているはずですが、その問いに対する答えは、記事では1行も触れていないのです。

きょうの記事は、法律違反をしている歯医者たちを告発することが狙いではないため、不法行為に関する言及が甘くなるのは理解できます。ただ、片方(非側)で「法律違反だ」という声があることを伝えながら、もう片方(是側)はそのことについてまったく無視しているかのように書くのは、読者に消化不良を起こさせます。そればかりか、この新聞は、片方を応援するため、都合の悪い内容は意図的に排除しているのではないか、という疑いさえももたせます。

日本は一応、法治国家です。時代や状況にそぐわない法について、どんどん意見を言って変えたり廃止したりしていくのはよいことだと思いますが、それとは別に、現存する法律に違反しているとの指摘がある場合、指を差された人の言い分を聞き、批判すべきところがあれば批判し、応援すべきところは応援するというのも、新聞の大事な役割のひとつだと思います。なんにしろ新聞にとって大事なのは、当事者の言い分をちゃんと書くことだと思います。

今回の記事では、さらりとひと言でもいいから、歯科医師側の言い分を紹介すべきだったと思います。
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by tmreij | 2006-03-06 23:59 | 本紙

高野連が説教するのはヘンだ

北海道の駒大苫小牧高校野球部の3年生10人が、飲酒や喫煙をし、警察に補導されました。きょう(2006年3月3日)の全国紙は、朝刊の社会面でこのニュースを大きく取り上げ、夕刊でも続報を載せています。

駒大苫小牧野球部といえば、雪国からの出場ながら夏の甲子園を2年連続で制し、大いに注目と称賛を浴びたチームです。ちかく始まる春の甲子園にも出場が決まっていて、夏春連覇の期待が高まっていました。

それだけに、飲酒・喫煙など、どこの高校生もよくする行為が、ひときわ大きなニュースになってしまうのは仕方がないように思います。昨夏の甲子園で優勝後、野球部長(当時)の暴力事件が明るみに出たことも考えると、新聞が、「いったいどうなってんだ、この野球部」と厳しい見方をするのもわかります。

ただ、今回の報道のように、日本高校野球連盟(高野連)なる団体がお説教をたれ、それを新聞がうやうやしく掲載するのは、なんか違うような気がします。

だいたい、高野連は教育機関ではなく、高校野球を盛り上げ、大会などを運営するスポーツ振興団体のはずです。高校生にしてみれば、教育機関としては学校(高校)があり、教育者としては親や教員がいるわけですから、悪いことをしたら学校や親、教員に怒られればいいはずであって、高野連から日常生活についてとやかく言われる筋合いはないはずです。

それなのに、朝日の朝刊は、〈高校野球は野球を通じて人格を形成するのが大きな目標。それを達成した卒業式の日にこういう問題が起きたのは残念だ〉という、高野連のおエラ方のコメントをわざわざ掲載。毎日の夕刊も、〈「野球部員の3年生は、部を離れても、自覚、規範意識をしっかり持ってほしい」〉と、高野連会長に教育的指導をさせています。

高野連の人々がそうした感想をもったり、言葉にしたりするのは自由ですし、言っている内容がそんなに間違っているとも思いません。しかし新聞が、そうした筋違いの説教くさいコメントを取り上げる理由はないように思います。

朝日によると、高野連は、〈以前は「3年生部員はシーズン終了の11月30日をもって所属連盟の登録を抹消する」としていたが、04年に「退部届を出した後は不正があっても部長、高野連の指導の対象外になってしまう」として(規定を)改正した〉とのことです。これだって、不正があれば保護者や学校関係者が指導すればいいはずであって、なにも高野連が〈「指導の対象外になってしまう」〉と言って、規定まで変えて「指導」に乗り出す必要なんてないはずです。

読売朝刊は、高野連のコメントは、〈「選抜出場については、学校からの正式な報告を待って審議したい」〉とだけ書いています。教育者ぶった発言は気に止めず、あくまでスポーツ振興団体の本来の役割にだけ注目した、よい記述だと思います。

高野連は以前から、やれ長髪や茶髪は好ましくないだの、やれ高校生らしさ(という実体のないもの)を大事にしろだの言うなど、自らを教育機関だと勘違いしているフシがあります。それを、朝日や毎日のように、高野連とつながりが深い新聞(両紙とも甲子園大会を主催)が増長させているように思います。

教育は保護者や学校、大会の円滑な運営は高野連、といった役割分担をちゃんとし、互いに越権行為は慎むべきです。そして新聞も、高野連との腐れ縁にとらわれず、高野連の守備範囲をしっかりと限定すべきだと思います。
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by tmreij | 2006-03-03 22:59 | 本紙

イラクでテレビ放送されていても、日本のメディアは不知

イラクを旅行中だった日本人を殺害したとされる男性が、現地で逮捕・起訴されたようです。きょう(2006年3月2日)の全国紙夕刊は、このニュースを1面などで大きく報じています。

各紙の記事のクレジットから明らかなように、このニュースは時事通信の特ダネです。朝日の1面に載った時事の記事は、〈男は捜査官同席の下で、時事通信イラク人通信員の取材に応じ、香田さんを殺した時の模様などを詳細に語った〉と伝えています。

決して明るいニュースではありませんが、スクープを放った点においては、時事は報道機関として称賛に値すると思います。ただ、関連記事を読んでいくと、時事が素晴らしかったというより、他社は何をしていたの、という疑問がわいてきます。

朝日の1面記事(朝日のオリジナル)は、以下のように説明しています。

〈外務省によれば、2月22日に現地テレビで容疑者逮捕の報道予告があったため、同日中にイラク当局に事実関係を問い合わせた〉

また、読売のカイロ特派員の記事は、次のように書いています。

〈(在イラク日本)大使館によると、地元テレビが2月22日に放映した番組に、香田さん拉致に関わったとみられる男が出演し、その際、香田さん事件に関する供述を近く行うとの字幕が流れた〉

どうやら、現地では22日の時点ですでに、日本人殺害の容疑者が逮捕されたらしいことは、公共の電波を通して公にされていたようなのです。この放送を見ていた人も少なからずいるでしょうから、現地ではそれなりに話題になっていたことも考えられます。

こうしたことを、日本の外務省はすぐにキャッチしたようですが、日本の報道機関はというと、しばらく気づかなかったと思われます。もし気づいていたら、現地の報道を引用するかたちで、すぐに記事にしていたでしょう。

気づかなかったのは、外務省がイラク国内に日本人職員を常駐させているのに対し、ほとんどの報道機関は日本人スタッフを現地に派遣していない、というのが大きな原因だと思います。

身の危険を冒してまで日本の報道機関がイラクで情報収集する必要はない、国や外国報道機関から情報を取ればいい、という考えもあると思います。現地ではやや古くなったニュースでも、うまく扱えば日本国内では他社を出し抜くぐらいのことはでき、そこそこの満足感は味わえるわけだから、あえて危険地帯に足を踏み入れることはない、という発想も成り立つかもしれません。

読者として新聞社に「イラクでもちゃんと仕事をしてよ」と注文をつけるのは簡単です。ただ、多くの記者が現地で命を落としていることを考えると、新聞社としてスタッフの配置をためらうのはわかるような気がします。

しかしそれでも、今回のように、現地でテレビ放映されている内容について、日本の外務省は承知しているのに、新聞をはじめとする報道機関はそれについてしばらく気がつかなかったというのは、非常に望ましくない状態だと思います。読者の知る権利に応えるためにも、イラク関連の報道に関しては、新聞は何らかの対策が必要なように思います。
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by tmreij | 2006-03-02 23:56 | 本紙

永田議員の「病院避難」は、いいの?

民主党の永田寿康衆院議員が、「送金メール」問題で会見を開き、弁明しました。きょう(2006年3月1日)の全国紙朝刊は、メールはニセモノだという党としての判断や、前原代表ら党幹部たちの反応も含め、1面や社会面、総合面、社説などで、この話題を大きく展開しています。

記事をみていくと、永田氏が裏付けなしにメールを本物だと思い込んだことや、そのメールをもとに国会で断定的な発言を繰り出したことについて、経緯や原因、責任を追及する内容が目立ちます。

それはそれで大事ですから、結構だと思います。ただ、ほかにも大切な点があるように思うのですが、それについては、各紙そろって気にしていないのが気になります。(「『格差』直結は強引では & 永田議員にダメ出しを」とややダブリ感がありますが、ご容赦を)

今回の騒ぎで、永田氏(および民主党)によって国民が被った最大の不利益といえば、他の重要なことがらがかすんでしまったことでしょう。耐震データ偽造問題や官製談合事件などの「4点セット」や、沖縄返還をめぐる密約問題、経済格差対策など、問題は山積しているのに、国会のエネルギーが注がれるべきところに注がれず、あさっての方向に行ってしまっています。

そうした大枠はちょっと置いておいて、メール騒動の範囲内で考えてみると、どういう不利益があるでしょうか。永田氏がたいした証拠もなしに、自民党の武部幹事長に「金で魂を売っている」と言ったり、次男を名指しして犯罪者のように呼んだりしたことは、当人たちにはお気の毒ではありますが、国民に不利益が生じたというほどのことではないでしょう。永田氏がいい加減な質問をし、国会の威厳や品格をおとしめたことは国民にとっての損害だ、と考えることもできるとは思います。でもそれは、永田氏に限らずいろんな議員が、もっと前からじゃんじゃんやっているような気がします。

今回の騒ぎで国民が被った大きな不利益は、永田氏によってナメられ、当然提供されるべき説明や情報をすみやかに得られなかった、ということではないでしょうか。

先月16日に国民をぎょっとさせるような国会質問をした永田氏は、武部幹事長に不正があったのは間違いないと言い張りながら、形成が悪いとみると、23日に突如入院。きのう28日に会見するまで、丸4日以上、国民に対してひと言の説明もせずに、病院(のおそらく広い個室)で「自己回復」に努めていたのです。国民の関心を集めるだけ集めておきながら、思うようにいかないと突然姿をくらますなんて無責任なことを、ぬけぬけとやったわけです。

それなのに、きょうの各紙に、この点を厳しく追及する記事がまったくないのは、なんとも不思議です。

卒倒するなど、永田氏の具合が本当に悪く、国民への説明よりも入院が優先されるべき事態であったのなら、まだ同情の余地はあります。しかし、きのうの会見で永田氏は、〈私の身心の疲労、混乱が極限に達しているという判断、指摘もあり、私自身もそのように感じていたことから、入院させていただくこととなりました〉(毎日)と説明。急を要する入院というよりは、自愛に満ちた入院だったことがうかがえます。

そもそも、自分で仰天質問をしておきながら、〈混乱が極限に達している〉は通用しないと思います。トンボを捕まえようと指をグルグル回していたら、自分の目が回ってしまった、と言っているようなものです。小泉首相が〈「あれくらいのストレスで入院しちゃうなら、おれなんか毎日入院しないといけない」〉(東京、2月28日付朝刊)と言ったというのも、もっともだと思います。

永田氏について、読売は〈調査能力も、質問の最低限の礼節やテクニックも身につけていなかった〉(総合面)と評し、毎日は〈事態の深刻さを考えるといさぎよく自ら議員辞職する選択もあったのではないか〉(社説)と迫っています。これらも、もっともだと思います。

ただ、永田氏が議員にふさわしくないのは、調査能力や礼節やテクニックの欠如ばかりではなく、国民にちゃんと向き合うという意識の乏しさも、大きな理由の一つだと思います。新聞には、この点についても、永田氏を厳しく点検してほしいと思います。

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2月28日付東京新聞朝刊は、〈永田氏にみる政治家の「入院」事情〉〈不祥事の避難所〉〈永田町のお家芸〉という見出しの記事を、特報面に掲載しています。〈「病院はメディアの取材などを避けるシェルター」〉という政治評論家のコメントや、〈「こんなところにいないで、早く出るべきところに出て正々堂々と釈明してほしい」〉という病院近くの主婦の声を交えながら、おもしろい記事に仕立てていると思います。
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by tmreij | 2006-03-01 22:12 | 本紙

「東南アジア系」っていうのは、悪いこと?

埼玉県の女性が、見た目で外国人と間違われ、パスポートを持っていないとして埼玉県警に誤って逮捕されたうえ、日本人だとわかるまで半日以上も拘束されるという事件がありました。きょう(2006年2月28日)の全国紙朝刊は、このニュースを社会面で報じています。

外見も含め、「日本人」が変わりつつある現実についていけていない警察の失態だといえるでしょう。各紙とも、そのことが伝わってくる内容になっています。朝日と毎日は、警察署長におわびの言葉を述べさせてもいます。

さて、ちょっと揚げ足取りというか、いちゃもんみたいなのですが(いつもそうですが……)、今回の朝日の記事で、以下の書き方が気になります。

〈女性は外見から東南アジア系と疑われて徹夜で事情を聴かれた後に逮捕された〉

これを読むと、なんだか、東南アジア系であることが悪いことであるかのような感じがしてこないでしょうか。

「疑う」を手元の国語辞典(岩波、第5版)でひいてみると、「(多く、悪いことを予想して)……ではないだろうかと思う」と出ています。例文には、「彼を犯人かと——」というのが挙げられています。

ふだんの会話でも、「疑う」はネガティブなことに関連して使うのではないでしょうか。「ソウルの街を歩いていたら、指名手配中の韓国人かと疑われて職務質問をされた」というのは自然だと思いますが、「ソウルの街を歩いていたら、近所の韓国人かと疑われて道を尋ねられた」というのはおかしいと思います。

今回の記事では、〈東南アジア系と疑われて〉ではなく、「東南アジア系と間違われて」と書くべきでしょう。

朝日は今回、〈日本人女性を誤認逮捕〉〈埼玉県警 外見で判断、徹夜で聴取〉という、どこよりも大きな4段見出しを掲げています。警察の差別的な逮捕に対し、強い非難を浴びせるねらいがあるかと思うのですが、肝心の記事本文(しかも前文)で差別的ともとれる表現をしていては、非難の効果が弱まるばかりでなく、逆に非難されるようなことになってしまいます。

新聞は、ふだんもそうですが、不当な差別を指弾するときには特に、記事に差別的な表現がないか(記者が差別的な感覚をもっていないか)を厳しくチェックすべきだと思います。

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ところで、なぜ身元の確認に手間取ったのかということについては、全国紙各紙は、女性があまり話をしなかったとされている点を挙げています。朝日と読売は、所持品に書かれていた会社を警察署員が訪ねたものの、女性の身元を確認することができなかった、という警察の説明も紹介しています。

各紙の記事内容に大きな違いはないので、これまでにわかっているのはこんなところなんだろうと思っていたのですが、東京新聞を読んでぎょっとしました。全国紙にはない、以下の記述があったからです。

〈女性の所有物から母親らしい名前が分かったため、女性の写真を母親(五八)に見せたところ、「知らない」と答えたため外国人と判断。二十六日午前五時すぎに逮捕した〉

なんと、警察は逮捕前に母親に会い、写真を見せて娘かどうか尋ね、母親からは「知らない」という返事を得ていたというのです。

これは、東京新聞の独自情報なのでしょうか。それとも、全国紙もこの話について知っていたけど、書かなかったのでしょうか。情報の正誤も含めて、気になります。
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by tmreij | 2006-02-28 22:29 | 本紙