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記録の提供を受けながら、記事にしなかったのはなぜ?

きょう(2006年4月12日)の全国紙各紙の夕刊は、高松塚古墳の壁画を文化庁の職員が誤って傷つけ、公表せずに補修していたことがわかった、と一斉に報じています。

文化庁が損傷の事実を公表していなかったため、各紙ともこの点を非難する内容になっています。もっとも力を込めているのが毎日で、1面と社会面で記事を展開。見出しにも、〈隠ぺい〉〈ひそかに修復〉〈強い不信感〉というキツイ言葉を並べています。

その毎日の記事には、いったいどういうこと? と疑問に思う記述が出てきます。疑問に思うといっても、文化庁に対してではなく、新聞に対してです。以下に、その記述を引用します。

〈同庁(文化庁)によると、壁画の損傷隠しの事実は石室内の記録書類に写真入りで記載していた。昨年夏、求めに応じて複数の新聞社だけに記録を提供したというが、積極的な発表はしなかった〉

なんと、損傷について情報を得ていた新聞が、すでに去年の夏の時点で、複数あったというのです。

新聞が文化庁に、〈「なぜ黙っていた」〉(毎日、社会面見出し)と怒りをぶつけたくなるのと同様、〈複数の新聞社〉の読者も、「なぜ報じない」と新聞に怒りをぶつけたくなるような話ではないでしょうか。

毎日の記事は、〈複数の新聞社〉がどこかということや、なぜ記事にならなかったのかといったことについては書いていません。朝日と読売はそもそも、複数の新聞が約1年前に情報を得ていたことについては、まったく触れていません。ですので、3紙を読む限り、これ以上のことはわかりません。

でもいったい、記録の提供を受けた〈複数の新聞社〉は、何をしていたのでしょうか。

考えられるのは、(1)提供された記録から損傷の事実を読み取れなかった(2)損傷の事実に気づいたが、ニュース価値がないと判断した(3)損傷の事実に気づき、ニュース価値もあると判断したが、何らかの理由で記事にしないことに決めた——といったことでしょう。

どの場合であっても、新聞にとっては深く恥じ入るべきことだと思います。もし(3)が理由で、しかも背景に政治的な配慮でもあれば、それ自体が大ニュースになり得るような話です。

新聞社の要請を受けて記録を提供していたからといって、文化庁が国宝の損傷という大きな出来事を進んで公表しなかったことが正当化されるわけではありません。やはり、損傷が起きた02年1月の時点で、文化庁はできるだけすみやかに発表すべきだったと思います。

ただ、複数の新聞が損傷についての情報提供を受けながら、どの新聞も記事にしていないというのは、このブログの筆者にとっては、国宝の損傷よりショッキングな話です。今回の毎日の記事を読んで、同じように、肝心のニュースより、新聞の体たらくに気を取られた人も少なくなかったのではないでしょうか。

どの業界にも「武士の情」のようなかばい合いがあるように、新聞業界にも他紙のミスや欠点をあえてえぐり出さない文化があります(もちろん問題によりますが)。ですので、今回書いてきたようなことも、うやむやのまま終わってしまう可能性が高いと思います。でも、毎日は、ここまで書いたのですから、読者に疑問を投げつけたままで放置せず、メディア欄などで、記事にならなかった経緯をフォローしてほしいと思います。

 ———

記録の提供を受けた〈複数の新聞社〉は損傷についてちゃんと記事にしたものの、それに全国紙がまったく気づかなかった、という可能性もあります。その場合、今回書いてきたことは、あまり意味をなさなくなります。すみません。ただ、そうなると今度は、全国紙(をはじめ主要な新聞)は何やってたんだ、ということになりますが。
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by tmreij | 2006-04-12 22:50 | 本紙

「可能性が高い」と「証明された」は一緒か

韓国から北朝鮮に拉致された男性と、横田めぐみさんの娘が、父子である可能性が高いと政府が発表しました。きょう(2006年4月11日)の全国紙夕刊は各紙、この話題を1面トップと社会面で報じています(※)。

韓国人拉致被害者がめぐみさんの娘の父親ということになれば、すなわち、めぐみさんの夫は韓国人拉致被害者ということになります。そうした話は少し前から出ていましたが、日本政府がDNA鑑定という科学的根拠をもとに可能性が高いとしたのは初めてです。大きなニュースですので、各紙そろって、〈「夫」は拉致韓国人〉(朝日)、〈めぐみさん夫は韓国人〉(毎日)、〈めぐみさん夫 拉致韓国人〉(読売)と大見出しを掲げるのも、わかるような気がします。

しかし、記事を読んでいくと、危なっかしいけど大丈夫なの、という感じを覚えます。特に読売と毎日の紙面からは、冷静さを失って興奮し、暴走している印象を受けるのです。

原因のひとつは、強引な言い換えです。

読売の1面本記は、〈横田めぐみさんの夫が韓国人拉致被害者の金英男さんである可能性が高いとするDNA鑑定の結果を(政府が)まとめた〉と始まります。これに続く文章でも、〈金英男さんとキム・へギョンさんは親子関係にある可能性が高いことがわかった〉と書いています。

それが社会面になると突然、〈めぐみさんの娘キム・へギョンさん(18)との親子関係が、日本側のDNA鑑定で証明された韓国人拉致被害者の金英男さん……〉となっています。〈可能性が高い〉とされたはずの仮説が、ページを進めるうちに、〈証明された〉ことになっているのです。

可能性が高いのと、証明されたというのは、果たして同じにしちゃっていいんでしょうか。

DNA鑑定は、かなり確度の高い結論を出せるようです。でも例えば、人物の特定においては、指紋ほどの限定力はないと聞きます(つまり、同じようなDNAの型をもつ人が複数人いるらしい)。今回の鑑定がどんなものなのか、詳しく書いていないのでよくわかりませんが、決定力に欠けるDNAというものを使って調べた結果、〈可能性が高い〉とされたものを、新聞社が勝手に〈証明された〉にグレードアップするのは、問題ないんでしょうか。

こうした言い換えは、毎日もしています。1面では、〈父子関係にある可能性が極めて高いDNA鑑定結果〉〈政府は2人が父子にほぼ間違いないと結論づけ〉などと、疑いの余地を残しておきながら、社会面に移ると、〈めぐみさんの夫は、韓国人拉致被害者だった——〉〈(日本政府はめぐみさんの夫が)金英男さんと結論づけた〉と断定しています。

他方、感情をあらわにすることで気分が少しスーッとする、といった程度の効果しかないような言葉使いも、どうかと思います。

読売の社会面は、〈またも嘘 憤る家族〉という大見出しを掲載。前文でも、〈北朝鮮側の嘘がまた一つ明らかになった〉と決めつけています。

これは、北朝鮮がこれまで、めぐみさんの夫は〈「自国の特殊機関勤務員」と説明してきた〉ことに照らし、なんだ実は韓国人拉致被害者じゃないか、この大ウソつきめ! と言いたいのでしょう。

この部分については、前述のとおり、〈可能性が高い〉ではなく、〈証明された〉という前提に立って話を進めているところが、まず気になります。さらに、仮にめぐみさんの夫が韓国人拉致被害者だとしても、長年にわたって北朝鮮に住み、特殊機関に勤めていたであろうことを考えれば、北朝鮮がその拉致被害者について「自国の特殊機関勤務員」だと強弁することは、フェアとは言えないでしょうが、可能なように思います。

こうした状況で、新聞が「大ウソつき!」と声を張り上げることが、拉致被害者の救済に効果的かというと、大いに疑問です。クロだと詰め切れていないときに、「お前はクロだ!」と感情的に迫っても、相手は態度を硬化させこそすれ、軟化することはないように思います。

新聞にとって、拉致被害者家族の怒りの声を伝えることも、その怒りに共感することも、大事なことだと思います。しかし、家族と一緒になって感情を噴出させることは、新聞の役割ではありません。とくに今回のように、感情を優先して事実を犠牲にしているかのような報道は、それがいかに国家的な問題であろうと、決してしてはいけないことだと思います。

 ———

(※)各紙とも、記事は発表前に書いているため、「これから発表する」という書き方になっています。
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by tmreij | 2006-04-12 02:38 | 本紙

政治記者たちだけで、面白がっていないか

民主党の代表に小沢一郎氏が選ばれました。きょう(2006年4月8日)の全国紙朝刊は、1面や総合面、政治面などに、今回の代表選に関する記事を多数載せています。

日本で2番目に議員数が多い政党の党首が変わったのですから、大きなニュースです。新聞が大展開するのも、もっともでしょう。

ただ、読んでいて、あまり伝わってくるものがありません。言い替えると、おもしろくないのです。なんでだろうと考えたところ、どうも記事が読者に向けて書かれていないからではないか、という気がしてきました。記事が内向き、または横向きなのです。政治の世界にどっぷりとつかっている政治部の記者が、自分たち(それと政治家、政治をメシの種にしている人たち)だけでおもしろがっているような感じがします。

例えば、〈「壊し屋」民主救うか〉(朝日)、〈「壊し屋」最後の大勝負〉(毎日)、〈破壊の人「私は変わる」〉(読売)などの大見出しをつけた記事。強権的とされる小沢氏について、民主党や政界の受け止め方などをまとめています。〈最後の機会 総力戦〉(朝日)、〈「変わる」に若手支持〉(毎日)などの見出しを掲げた記事では、小沢氏と菅直人氏が、党内でどのようなかけ引きや働きかけを繰り広げ、どのように票を集めたかといったことを伝えています。毎日はさらに、党内のどのグループの票がだれに投じられたかという〈得票の構図〉を、表にまとめて掲載しています。

こうした内容の記事も、新聞にはあっていいと思います。関心のある人は、きっとおもしろく読むでしょう。でも、そういう人がどれだけいるのかというと、あまり多くはないような気がします。

それよりも、多くの読者は、小沢氏が代表になって民主党はどう変わるのかについて、なるべく具体的に知りたいと思っているのではないでしょうか。各紙は、この日の小沢氏の演説や記者会見の内容について要旨を載せていますが、そこでの発言内容やそれに対する追加取材で得た話などをまとめ、分析や解説をしたほうが、読者としてはよっぽど得るものが多い記事になるように思います。

この日の新聞は、在日米軍の普天間飛行場の移設や、フセイン政権崩壊から3年目を迎えたイラクの内戦化、尊厳死など、政治家として考えなければならない問題についても、大きく報じています。しかし、そうした具体的なことがらと絡めて今回の代表選出を伝える記事は、ほとんどありません。

政治記事は、政治のクロウトだけにわかればそれでいい、クロウトをおもしろがらせてなんぼだ、という発想で新聞をつくっているのであれば、今回の紙面はうまくいっているように思います。政治部記者的にも、なかなかおもしろい内容になっているのではないでしょうか。

でも、政治のシロウトだってたくさん読んでいることを考えれば、そんな発想は間違いだと思います。新聞は常に、シロウトを喜ばせてなんぼ、という考え方で紙面をつくるべきだと思います。
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by tmreij | 2006-04-08 20:13 | 本紙

大銀行の悪さに、甘すぎない?

JPモルガン信託銀行が、業務の一部を停止するよう金融庁に命じられました。きょう(2006年4月6日)の読売新聞朝刊は、このニュースを経済面で報じています。

まず、このブログの筆者が経済に(も)明るくないことを、あらかじめ表明します。ですので、信託業務や証券取引など、込み入ったことはさっぱりわかりません。

それでも、仕事をするな! と会社が国に命令されるなんて、ただならぬ事態だという感じがしますし、実際、ただならぬ事態のはずです。

ところが、この日の読売の記事は、紙面の下のほうでベタ見出し、25行。注意して見ないと、読み飛ばしてしまうぐらい地味な扱いです(実際に初めは気づかず、他紙で今回の命令のことを知ってから、改めて読み直して、今回の記事を見つけました)。

経済オンチですが、こんな程度のニュース価値しかないんでしょうか。

記事によると、JPモルガン信託銀行は、不動産の証券化商品を〈実際の価値より高い値段で機関投資家に販売していた〉とのこと。さらに、販売した商品には、〈建築基準法に違反しているなど、証券化に適さない100件程度の物件も含まれていた〉というのです。

経済オンチですが、いいんですか、実際より高い値段で商品を売ったりして。多分、よくないはずです。実は、かなりよくないんじゃないでしょうか。相当けしからんことだから、業務ストップ! と金融庁が強権を発動したのではないでしょうか。

それなのに、新聞が不当販売の実態や被害について詳しく書かず、銀行のコメントも載せず、ベタの見出しで紙面の下のほうに寝かせるというのは、どういうことなのでしょうか。

大きなニュースが重なった結果、地味な扱いしかできなかったかというと、そんなことはなさそうです。この日の経済面にどーんと大きく出しているのは、自民党税制調査会が本格的な議論を始めた、という記事。囲みをつけて目立たせているのは、USENの宇野康秀社長のインタビュー記事です。ともに、ビッグニュースとはいえません。

経済通にいわせれば、今回の程度の不当販売やそれに対する業務停止命令はよくあることで、だから目立たない扱いでいいのさ、ということなのかもしれません。でも、実際より高い値段で商品を売るなんて、よくあっていいことなのでしょうか。しかも、片田舎の個人商店が90円のパンを100円で売っていたといった話ではなく、〈米大手金融グループのJPモルガン信託銀行〉が、不動産関連の商品に高過ぎる値段をつけて販売していたというのです。仮によくある話であるのなら、そうしたことがあるたびに、新聞は大声で非難すべきです。

今回の一部業務停止命令については、朝日と毎日も経済面で取り上げています。ともに、3段見出しをつけている点では読売よりもましだといえますが、どちらも不当行為の詳細や銀行側の反応については書いていません。個人的には、大いに不満です。

つい最近(3月30日)も、業法で禁じられている有価証券の売買をしたとして、さわかみ投信が一部業務停止命令を受けるという不祥事がありました。朝日はこれを、ベタ20行で報道(3月31日付朝刊)。その記事の下には、JPモルガン・アセット・マネジメントが、損失の付け替えなど業法に違反する行為をしていたとして業務改善命令を受けたという記事が出ていましたが、行間をつめたさらに目立たない扱いで済ましていました。

これらや今回の読売の記事を読んで感じるのは、新聞の大企業、有力企業に対する甘さです。はやり言葉を使えば、勝ち組への甘さとも言えます。加えて、経済事件に対する甘さというか、鈍さというのも感じます。物を盗んだとか人を刺したとかいった暴力的な違法行為に比べ、相手をだまして不当に金をもうけたといった頭脳的な違法行為は、犯罪としてレベルが高く、悪質度は低いといった、へんな認識があるようにさえ思えます。

世界的な金融大企業が、ずるいこと(少なくとも違法なこと)をやって金を稼いでいたというのは、さらりと流すようなことではないはずです。経済オンチですが、新聞も、ニュース判断のバランス感覚を失っているように思います。
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by tmreij | 2006-04-06 23:38 | 本紙

皇居の掃除より、新聞のほうが心配

きょう(2006年4月5日)の毎日新聞朝刊は、皇居の清掃ボランティアが減少しているという記事を、社会面に掲載しています。

おそらく独自ネタということもあるのでしょう、囲み記事で目立つ扱いにしています。読んでみると、これがなんとも、宮内庁べったり。タダの労働力をあてにする役所に全面的に協力し、読者に「勤労奉仕」を呼びかけているかのような内容です。

このような記事に触れるたび、批判精神が持ち味であるはずの新聞の行く末に、大きな不安を覚えます。

〈参加者減少 勤労奉仕ピンチ〉〈「皇居の清掃成り立たぬ」〉という見出しをつけたこの記事は、〈80年ごろまでは年間2万〜3万人で推移していた〉ボランティアが、〈昨年は7408人で、宮内庁が受け入れ窓口を設けた1947年以降最も少なくなった〉と伝えています。

皇居やその周辺の掃除は、もともと宮内庁職員の仕事です。ところが、なにせ敷地が広いので、ボランティアの人たちに大きく頼っている、というのが実情のようです。

こうした状況を受け、毎日は、〈無償奉仕は、広大な皇居の整備に欠かせない側面もあり、宮内庁はホームページなどを通じてPRに努めている〉と、ボランティアの重要性を説くとともに、宮内庁の努力を紹介。さらに、〈人数は減っているが、参加者らの評判はいい〉と書いたうえで、〈「勤労奉仕の助け抜きにして皇居の清掃は成り立たない。職員が代わりをすれば、予算も人員も大規模な拡充を求められる」〉という宮内庁幹部のコメントで記事を結んでいます。

ここに欠けているのは、掃除を「勤労奉仕」に頼っている現状に対する疑問です。役所が仕事をこなすうえで、最初からボランティアの労働力を当て込み、それゆえボランティアが減ると職務を果たせなくなるというのは、おかしくはないか。「勤労奉仕」をあてにするなんて、天皇やその家族が住む家の周辺の掃除なんだから日本国民として参加して当然だ、という宮内庁の勝手な発想が基礎になってはいないか。そういう素朴な「?」は、記事からは感じ取れません。

〈「職員が代わりをすれば、予算も人員も大規模な拡充を求められる」〉と、宮内庁と一緒になって読者に「脅し」をかけている点も問題です。このコメントは、宮内庁職員が掃除をすることになればみなさんの税金をさらに投入することになるんですよ、それでもいいんですか、いやですよね、だったらみなさんすすんで掃除にいそしみましょう、と言っているわけですが、これはちょっとおかしいように思います。本来、皇居の掃除は宮内庁の仕事なのですから、その仕事をするのに宮内庁が必要な職員を確保し、人件費などの税金を使うのは当然のことです。それをよくないことのように言うのは、なんかへんです。

ただ、できるだけ税金を使いたくないという考えはわかりますし、多くの読者も支持するでしょう。でも、だから皇居の勤労奉仕参加者を増やせというのは宮内庁の発想であって、新聞が一緒になって唱える必要はありません。

それより、例えば、広すぎて掃除が大変なのであれば、一部を自治体管理の公園にするなどして皇居の面積を削ればいいのではないか▽掃除するのは天皇一家の住宅周辺なのだから、宮内庁の予算だけ増やして対処するのではなく、天皇家の財布からも清掃費を出したらいいのではないか▽なにも宮内庁職員を増やすのではなく、人材派遣会社のスタッフに掃除に入ってもらえば費用を抑えられ、民間の仕事を作り出すことにもなるのではないか——など、役所とは違った見方で眺めることが、新聞には期待されているのではないでしょうか。

今回の記事〈参加者減少 勤労奉仕ピンチ〉は、新聞が役所と同じ思考回路で物事をみてしまっていることの表れのように思います。本当のピンチは、勤労奉仕ではなく、新聞に訪れているように思います。
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by tmreij | 2006-04-05 20:11 | 本紙

テレビの二番煎じが、新聞の役目か

「靖国神社参拝をやめれば首脳会談に応じる」という中国の胡国家主席の発言に、日本の政治家たちが反発しています。きょう(2006年4月3日)の朝日新聞朝刊は、そうした様子について報じる記事を1面に掲載しています。

読んでみると、76行もある割に、えっこれだけ? と物足りなさを感じます。なぜかというと、テレビで放送された内容を追うだけで、独自の取材や解説がまったくないのです。

〈中国首席発言〉〈安倍・麻生氏が批判〉という4段見出しをつけたこの記事は、安倍官房長官と麻生外相がそれぞれテレビに出演し、胡氏を非難する発言をしたことを伝えています。比較的長めの記事だけに、〈「政治目的を達成するために、首脳会談をしないことを条件として出すのは間違っている」〉(安倍氏)、〈「国家の代表である総理大臣として、(他国に)言われれば言われるほど難しい話になっていく」〉(麻生氏)といった2人の発言を、ていねいにひろっています。

テレビ番組における発言でも、報じる価値があると判断すれば、新聞はどんどん記事にしていいと思います。靖国参拝は、中国や韓国などとの間における懸案ですから、それに関する大臣らの発言に敏感に反応するのは、新聞に求められている役割でもあります。そういう意味では、朝日はしっかりと仕事をしているといえるでしょう。

でも、独自取材で得たコメントやデータをまったく盛り込むことなく、テレビで流れた言葉を書き並べるというのは、どんなもんでしょうか。オリジナルの記述といえば、〈ポスト小泉の有力候補とされる2人がそろって不快感を表明した形だ〉といった位置づけと、〈……と中国側の方針を批判〉〈……と強調し〉〈……と語った〉などの言葉だけです。これでは、テレビ番組の紙上再放送です。番組を見た人は、こんなの知ってるよ、と言いたくなるのではないでしょうか。

番組を見なかった人だっているじゃないか。それに、見た人にとっても、ニュース価値のある発言を選び抜いて、活字として記録しておくことには大切な意味がある、という意見もあるでしょう。それには賛同します。

ただ、新聞ってのはそれだけでいいのか、という話です。

今回の記事は、ちょっと極端に言えば、家でビール飲みながら寝転がってテレビを見ている人でも、メモを取ったりビデオに録画したりさえすれば、書くことができちゃう内容です。といっても、実際にはもちろん、記者が自宅でごろごろしながら書いたわけではないでしょう。安倍氏にしても麻生氏にしても、番記者らがテレビ局に同行し、それぞれの発言を近くで確認したはずです。そのうえで、その記者がデータなり記事なりにまとめたはずです。

そうであれば、番組出演後に、記者は安倍氏や麻生氏らに発言について突っ込んだ質問をし、少しでも両者の認識や考えについて掘り下げ、それを記事に盛り込むべきではないでしょうか。もしかすると、政治家のスケジュールが過密で、質問のひとつさえする間もなかったのかもしれません。それなら仕方ない、という考えもあるかもしれませんが、結果だけみれば、番記者も家で寝転がっているお父さんも、得た情報量は変わりません。となると、番記者の役割っていったいなんなのでしょうか。

読者は、テレビで見られることを新聞に期待しているわけではありません。テレビでは聞けなかった発言の意味や意図などを取材し、それを読者に伝えてこそ、記者が政治家に密着している意味があるはずですし、新聞が役割を果たしていることになるはずです。
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by tmreij | 2006-04-03 23:32 | 本紙

「やった、世界一!」と興奮するのが新聞の役割か

ワールド・ベースボール・クラシック(野球の国・地域別対抗戦)で、日本が優勝しました。きょう(2006年3月22日)の全国紙朝刊は、全紙が1面トップで大々的にこれを報道。さらに、スポーツ面(全紙見開き)、社会面(全紙トップ)で取り上げているうえ、社説もそろって今回の「世界一」を題材にしています。

紙面の使い方もすごいですが、言葉の使い方もすごいことになっています。

〈日いずる王道野球〉〈世界球史に桜咲く〉(毎日、スポーツ面見出し)、〈「最強日本」見た〉〈球史に偉業 感動満開〉(読売、社会面見出し)、〈技術と、献身と、プライドと——。選手の心が一つに結ばれた時、日本の野球は無敵となった〉(読売、スポーツ面)……。

日本国民の喜び方も、ハンパじゃなかったことになっています。

〈「世界一だ!」「やったー!」。東京都内のスポーツバーに集まったファンは、日本の勝利の瞬間、歓喜の声を上げ、何度も万歳を繰り返した〉(毎日、社会面)、〈キューバの最後の打者のバットが空を切った瞬間、(ビックカメラ有楽町店の)1階売り場のテレビに群がった買い物客から割れんばかりの拍手と歓声が上がった〉、〈米国の球場で、大画面テレビの前で、勝利の瞬間を見届けた人たちは喜びを爆発させた〉(朝日、社会面)……。

ええ、ええ、いいと思いますよ、こういう記事や見出しがあっても。国際大会で優勝したわけですから、日本の新聞が、日本の代表チームを讚え、日本のファンの喜びようを誇張気味に伝えるのも、結構だと思います。

でも、そればっかりというのは、まずくないでしょうか。新聞が、やたらと「世界一」を強調し、やったやった、ニッポンバンザイとはしゃいでいるのをみると、あきれるのを通り越して、薄ら寒くなってきます。

この日の新聞で、まだなんとか冷静な視点を保っているのは、次の記述がある朝日だけのように思います。

〈今回の大会が本当に「世界一」を決める場であったかどうか、は別の問題だ。/大会中、王監督は「今回はどこが勝っても、真の世界一とは言えない。優勝より、日本の野球をアピールするつもりでやっている」ともらしていた〉(スポーツ面)

この後この記事は、今回の大会を〈「真の世界一決定戦」へむかう一歩〉と位置づけています。米大リーグの有力選手たちが多数参加していないことを考えれば、当然の見方でしょう。朝日はまた、韓国の通信社が〈「最低勝率の日本が優勝をつかんだことは、次の大会で対戦方式の画期的な手直しが必要だということを逆説的に示している」〉と伝えたことも、紹介しています。

イエー! 世界一だ、と喜ぶ記事を掲載したっていいのですが、上記のような、一歩引いて、ホントに世界一といえるの? といった記事もあわせて載せてこそ、新聞の役割を果たしているといえるはずです。

それなのに、毎日は舞い上がり、読売は日本人のプライドを覚醒させようと懸命で、冷静さや批評精神は両紙には見当たりません。読売は社説で、〈参加を見合わせた大リーガーも多かった……「だから真の世界一決定戦とは言えない」との声も聞かれた〉と書いてはいるのですが、すぐさま、〈そうだろうか〉と疑問を表明。ただ、まともには反論できないからか、〈提示された条件の下で、参加可能な最強メンバーをそろえて臨むことにも、国際大会としての十分な意義はあろう〉と、話のポイントを「世界一決定戦といえるかどうか」から「意義があるかないか」にそらして、お茶を濁しています。

ところで、今回の大会では、イチロー選手を神聖視しているかのような報道も気になりました。

韓国との対戦にからんで、「向こう30年、日本には手を出せないと思うぐらい完全に勝ちたい」「最も屈辱的な日」などと発言し、「侮辱」と受け止めた韓国側がイチロー選手に大ブーイングを浴びせるという出来事があったにもかかわらず、イチロー選手に対して批判的な記事は、ついぞ見ませんでした。

一方で、〈ふだん以上に彼を雄弁に、情熱的にしていた〉(朝日、1面)、〈期間中、クールなイチローらしくない発言が多かった。強気な姿勢は、時に外国から反発を買ったが、”悪役”を買って出ることで、他の選手に重圧を与えないようにしたかったのだろうか〉(読売、スポーツ面)など、イチロー選手の肩をもった記述が目につきました。新聞は、イチロー選手を第二の長嶋茂雄氏にしようとしているのではないか、という気さえしてきます(批判はタブーという点で)。

暗いニュースばかりのなか、久々に明るい話題なんだから、新聞といえども妙に冷静になったり、批判的になったりする必要などない、祝勝ムードを景気よく盛り上げればいいんだ、という考えもあるかもしれません。国と国とが争って日本が勝つことは、日本国民にとってうれしいことなのだから、興奮に水を差したり、日本人としての誇りを損ねたりするような記事なんか書くな、という意見もあるかと思います。

しかし、いくら日本には日本ファンが多いとはいえ、新聞が、すごいぞ日本、日本万歳とだけ唱えるのは、やはり危うい感じがします。そうした記事しか読めないと、読者は自分の国について、周囲を冷静に眺めたうえで評価することができません。そうなると、とかく日本の実力を過大にとらえたり、へんな優越感を覚えたりする人がきっと出てきます。

野球の国別対抗戦ぐらいで冷静な記事も書けないようでは、ホンモノの国別対抗戦(戦争)が始まってしまった場合に、冷静かつ自国にも批判的な報道などできるはずがありません(少なくとも、前の大戦ではできなかった)。新聞は、平時に何事に対しても冷徹な批評精神を発揮し続け、非常時に新聞本来の役割を果たせるよう、絶えず自らを鍛えておくことが大事だと思います。

 ———

今回、数あるコメントのなかでもっとも「あらま……」と思ったのは、読売の社会面に載った、ノンフィクションライター最相葉月氏の次のものです。

〈「日本代表は帽子からスパイクの先まで『日の丸』を感じさせ、全力で世界の中の日本をアピールした。王監督の胴上げを見て涙が出た」〉
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by tmreij | 2006-03-23 03:49 | 本紙

容疑者から直接聞くのと、警察から聞くのは違う

Jリーガーが、女性の家に侵入したとして逮捕されました。きょう(2006年3月21日)の毎日新聞朝刊は、この逮捕について、社会面で報じています。

2段落、計21行という、ベタ見出しの小さな(といっても容疑者の顔写真つきなので結構目につきやすい)この記事は、以下のように始まります。

〈女性宅に侵入したとして神奈川県警麻生署は20日、川崎市××、サッカーJ1・川崎フロンターレの○○容疑者を住居侵入容疑で逮捕した。容疑を否認している。/調べでは、○○容疑者は……〉

これまでにも、似たケースをこのブログで取り上げたことがありますが、この書き方はよくありません。小さなことですが、小さなことだけに、なぜ無くならないのか、なぜ新聞が無くそうとしないのか、不思議です。もしかして新聞に他意でもあるのかと、勘ぐりたくもなります。

よくないのはもちろん、1段落目の最後に出てくる〈容疑を否認している〉というくだりです。毎日はこの部分をすんなりと、事実として書いています。でも、どうやって確認したのでしょうか。

記者が運良く逮捕現場に居合わせたり、逮捕前に今回のJリーガーに接触し「やっていない」という言葉を聞き出していた可能性も、ゼロとはいえません。もしそうだったら、毎日新聞さん、ごめんなさい。でも、その可能性は非常に低いと思いますし、仮に本人や弁護士から否認の意志を確認していたのであれば、そうわかるよう記事で書くべきです。

今回のケースではおそらく、記者は警察から「容疑者は容疑を否認している」との情報を得たはずです。そうであれば、読者にそのことがわかるように書くのが、フェアな報道でしょう。〈容疑を否認している〉に3文字を足し、「容疑を否認しているという」とするだけで、不十分ではありますが、警察からの伝聞情報であることを明確にできます(行数は変わりません)。または、〈調べでは……〉で始まる2段落目にこの情報を入れることもできたでしょう。

そうしたことをせず、(おそらくは)当事者への確認も目撃もしていないことをあたかも事実のように書くのは、明らかに新聞の行き過ぎです。これでは警察の拡声器です。

もしかしたら毎日に、「容疑を認めていると書くのではなく、否認していると書くのだから、いいだろう」という発想があったのかもしれません。犯行を否定していると報じるのだから、本人の不利にはならないはずだ、という考えです。

たしかに、容疑を否認していると書くのは、認めたと書くよりも、悪質性は低いかもしれません。しかし、事実として書くか、それとも警察情報だと明示するかの判断は、容疑者や読者にどれだけ迷惑をかけるかではなく、あくまで当事者らからの事実確認がとれているかどうかで下すべきです。

「……という」といった表現だと自社で確認が取れていないことを公言するようでカッコ悪い、なるべくなら「……した(している)」ときっちり書きたい、といった意識が、新聞にあることも考えられます。しかし、新聞が大事にすべきはメンツなどではなく、事実と読者への誠実さであるはずです。

警察の言うことを無批判、無警戒に事実化して報じることは、新聞の役割ではありません。事実と伝聞を厳しく区別し、それが読者にわかるように記事を書いてほしいと思います。
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by tmreij | 2006-03-21 17:27 | 本紙

イチロー「屈辱」発言を利用していないか

ワールド・ベースボール・クラシック(野球の国・地域別対抗戦)で、日本が韓国に負けました。きょう(2006年3月13日)の朝日新聞朝刊は、ベンチでぼう然とする王監督や選手らの写真を1面に掲載。さらに、スポーツ面1面全部をこの試合の記事に費やすという、熱の込もった報道をしています。

それはいいと思うのですが、〈日本、魔の8回〉〈四球▽まさかの落球▽痛打〉といった見出しにまじって、次の見出しが目に飛び込んでくるのが気になります。

〈イチロー「屈辱の日」〉

個人的には、イチロー選手は、野球選手としてはかなり優れていると思います。道具を大事にし、淡々と仕事をこなす職人のようなところも、個人的には好きです。

ただ、その発言には「?」と感じることがたびたびあり、でもまあ、自己陶酔にとどまっている分にはいいか、ぐらいに思っていました。しかし、この日のように新聞で強調されるのを見ると、ちょっと待ったと言いたくなります。

といっても、イチロー選手にではありません。彼は、国会議員でも公務員でもなく運動選手ですから、思ったことを好きなときに言う自由があります。待てと言いたいのは、彼の言動を利用する新聞に対してです。

今回の見出しは、記事中の以下の記述からとったと思われます。

〈(試合終了後)イチローが何かひと言吐き捨て、その列を去った。「ぼくの野球人生で最も屈辱的な日ですね」。奥歯をかみしめた〉

朝日は、この「屈辱的」という言葉に飛び付いたわけですが、果たしてこの言葉は、今回のゲームを象徴するのにふさわしいものなのでしょうか。

「屈辱」を手元の国語辞典(岩波、第5版)で引くと、「屈伏させられて恥を受けること。服従させられている恥」と出ています。野球でいえば、試合に負け、それを「恥」と感じている状態、といえるでしょう。

気になるのは、この「恥」の部分です。ふつう、勝負に負けて恥ずかしいと思うのは、格下の相手に負けたときではないでしょうか。格上に負けても、残念には感じるでしょうが、恥とまでは思わないでしょう。アメリカに敗れたときには、屈辱や恥といった言葉は、イチロー選手からも他の選手らからも出ていなかったように思います。

そう考えると、イチロー選手は、韓国を見下していたと考えられます。では実際の実力はどうかというと、日本が2戦して2回とも負けたという結果や試合内容からもわかるとおり、韓国の野球レベルは日本と同等かむしろ上ではあっても、格下とは(もはや)言えないと思います(朝日によると、韓国の監督は〈「日本の方がレベルは上」〉と述べましたが、李鐘範主将は〈「次に戦う機会があっても、勝てると思う」〉と言っています)。ただ、自分たちのほうが格が上だとか下だとか思うのも個人の自由ですから、イチロー選手の発想自体を非難しようとは思いません。

問題なのは、記事でさらりと書くのならまだしも、〈屈辱的な敗戦には、しかし、確たる理由がある。勝敗を分けたのは……〉といった具合に、イチロー選手の「屈辱的」という言葉を記事で繰り返し使い、そのうえ見出しでも強調していることです。こうなると、明らかに新聞としてイチロー発言を利用しているようにみえます。

利用するとはどういうことかというと——読者がどんな言葉を欲しているかをわかっていて、でも自分たちでそれを言っちゃうとバランス感覚がないと受け止められ兼ねないから、誰か別の人が言った言葉を強調することで、読者の欲求を満たす(迎合する)——ということです。

今回でいえば、米国にならまだしも、韓国に敗れたことで、なんともいえず苦々しい思いを胸にためている日本人がたくさんいることを、新聞はよくわかっているはずです。そういう人たちにとっては、紙面で「悔しい」とか「残念」「無念」といった、やや平凡(でも必要にして十分)な言葉を見つけるより、「屈辱的」ぐらい強烈な言葉を目にしたほうがある意味気持ちいいだろうことも、なんとなくわかっているはずです(読者にすれば、そうだろ、やっぱそうなんだよ、それぐらい悔しくて情けないことなんだよ、ちきしょー、と自分の気持ちを再確認したり、整理したりできるので、ちょっとすっきりする)。そして結果的には、そうした強烈な言葉に飢えた読者たちに、「屈辱的」というエサをぽんと投げつけているのです。

では、新聞が読者の欲する言葉を提供することは、よくないことなのでしょうか。必ずしも、そうではないと思います。大災害の現場で奇跡的に生存者が見つかった場合などは、生命力や判断力、運の強さなどをドラマチックに伝える言葉を、読者の期待どおりに載せていいでしょう。役人の汚職事件などでは、職業倫理などの点で厳しく非難する言葉を並べていいと思います。

じゃあ、今回はなぜいかんのかというと、いまの日本に漂っている危うい空気に、見事に迎合している感じがあるからです。危うい空気とは、韓国や中国など成長著しい近隣諸国に対するあせりや不安、不満、ねたみ、やっかみ、根拠のない差別意識などの裏返しとして生じる、へんてこりんな愛国心や自尊心、優越感などです。新聞は本来、こういった空気が広がるのを敏感に察知し、それに警告を鳴らす側であるはずです。それなのに、きょうの朝日は、国民に広がっている空気を察知しているところまではいいのですが、それをいさめるのでなく、それにおもねる、またはそれを盛り立てるようなことをしているのです。

見出しや記事中で強調はしていませんが、イチロー選手の「屈辱的」というコメントは、毎日も読売も記事で取り上げています。取り上げること自体、あまり望ましいことではありませんが、イチロー選手の人気を考えると、仕方ない面はあると思います。でも朝日のように、強調したり利用したりするのは危険だし、新聞の役割として逆のことをしているように思います。

そう遠くない過去に、国威発揚に協力し、それを反省したことを、新聞はつねに頭に置いておくべきだと思います。

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日本は結局、準決勝に進出したようです。国の誇りとか、国の威信とかいったものが好きな人の琴線に触れるような記事が、まだまだ見られるかもしれません。
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by tmreij | 2006-03-17 23:33 | 本紙

サラ金広告、問題なのはテレビCMだけじゃない

サラ金(消費者金融)の広告は不快だと、与謝野金融担当相が国会で述べました。きょう(2006年3月16日)の全国紙朝刊は、この発言について、経済面や総合面で報じています。

サラ金の広告とそれを掲載している新聞に関しては、このブログの筆者は、大いに問題ありだと思っています(参考:サラ金の「違法金利」には、新聞も加担している(1)(2))。そんなこともあって、各紙の記事を読み比べてみたところ、書き方のうえでは、朝日は妥当な表現をしているといえそうですが、毎日と読売の書き方はズルい感じがします。内容においては、どれも不満です。

〈「高い金利で貸すサラ金(消費者金融会社)が、テレビコマーシャルを堂々としていることと、かつては超一流だと思っていた銀行がサラ金と一緒に広告を出していることは不愉快」〉(毎日)という与謝野氏の発言は、参院予算委員会で、共産党の大門実紀史議員の質問に答えるかたちで出ました。そこで、しんぶん赤旗のウェブ版(3月16日付)で、大門氏の質問について読んでみると、以下の記述が出ていました。

〈大門氏は、大手銀行がサラ金を傘下に入れて消費者金融に乗り出している実態を新聞広告を掲げながら示しました〉

どうやら、新聞広告を証拠として取り上げながら、サラ金をめぐる問題点を指摘したようです。ということはつまり、問題と思えるようなことが、新聞広告に出ているということでしょう。

全国紙3紙で、このことに比較的ちゃんと触れているのは、朝日だけです。朝日は〈大門氏が示したのは、三井住友銀行と大手消費者金融プロミス、両社が出資するアットローンの3社が全国紙に掲載した共同広告で……〉と書いています。

毎日にも〈三井住友銀行と消費者金融大手プロミスとの提携ローンの広告を掲げて……〉という記述はあります。ただ「新聞広告」とは書かず、〈広告〉としているところに、逃げの姿勢を感じます。読売にはそもそも、大門氏が広告を示しながら質問したという説明はありません。

ズルいと思うのは、見出しについてもです。毎日は〈「サラ金のCM 不愉快」 金融担当相〉とだけ書いていますが、これではまるで、テレビCMだけに問題があるとの印象を、読者に与えようとしているかのようです。

もっともおかしいと思うのは、国会で新聞広告の内容が問題だとされたのに、自社の広告掲載の状況を説明したり、どう考えているかと表明したりしている新聞がないことです。そればかりか、具体的に三井住友銀行などの企業名をあげながら、それらの企業の反応さえ伝えていません。

これらは、自社や自分たちの業界のことになると、とたんに新聞は批判精神がなくなることや、国会担当の記者が直接銀行に取材したり、金融担当の記者と連携したりして記事を作り上げるような風通しのよいシステムが新聞社に整っていないことが、原因の一部になっているように思います。

このサラ金広告の問題については、今回のようないい加減な記事で終わらせず、各新聞とも早期に社としての姿勢を示す必要があるように思います。
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by tmreij | 2006-03-16 23:59 | 本紙