2006年 03月 17日 ( 1 )

イチロー「屈辱」発言を利用していないか

ワールド・ベースボール・クラシック(野球の国・地域別対抗戦)で、日本が韓国に負けました。きょう(2006年3月13日)の朝日新聞朝刊は、ベンチでぼう然とする王監督や選手らの写真を1面に掲載。さらに、スポーツ面1面全部をこの試合の記事に費やすという、熱の込もった報道をしています。

それはいいと思うのですが、〈日本、魔の8回〉〈四球▽まさかの落球▽痛打〉といった見出しにまじって、次の見出しが目に飛び込んでくるのが気になります。

〈イチロー「屈辱の日」〉

個人的には、イチロー選手は、野球選手としてはかなり優れていると思います。道具を大事にし、淡々と仕事をこなす職人のようなところも、個人的には好きです。

ただ、その発言には「?」と感じることがたびたびあり、でもまあ、自己陶酔にとどまっている分にはいいか、ぐらいに思っていました。しかし、この日のように新聞で強調されるのを見ると、ちょっと待ったと言いたくなります。

といっても、イチロー選手にではありません。彼は、国会議員でも公務員でもなく運動選手ですから、思ったことを好きなときに言う自由があります。待てと言いたいのは、彼の言動を利用する新聞に対してです。

今回の見出しは、記事中の以下の記述からとったと思われます。

〈(試合終了後)イチローが何かひと言吐き捨て、その列を去った。「ぼくの野球人生で最も屈辱的な日ですね」。奥歯をかみしめた〉

朝日は、この「屈辱的」という言葉に飛び付いたわけですが、果たしてこの言葉は、今回のゲームを象徴するのにふさわしいものなのでしょうか。

「屈辱」を手元の国語辞典(岩波、第5版)で引くと、「屈伏させられて恥を受けること。服従させられている恥」と出ています。野球でいえば、試合に負け、それを「恥」と感じている状態、といえるでしょう。

気になるのは、この「恥」の部分です。ふつう、勝負に負けて恥ずかしいと思うのは、格下の相手に負けたときではないでしょうか。格上に負けても、残念には感じるでしょうが、恥とまでは思わないでしょう。アメリカに敗れたときには、屈辱や恥といった言葉は、イチロー選手からも他の選手らからも出ていなかったように思います。

そう考えると、イチロー選手は、韓国を見下していたと考えられます。では実際の実力はどうかというと、日本が2戦して2回とも負けたという結果や試合内容からもわかるとおり、韓国の野球レベルは日本と同等かむしろ上ではあっても、格下とは(もはや)言えないと思います(朝日によると、韓国の監督は〈「日本の方がレベルは上」〉と述べましたが、李鐘範主将は〈「次に戦う機会があっても、勝てると思う」〉と言っています)。ただ、自分たちのほうが格が上だとか下だとか思うのも個人の自由ですから、イチロー選手の発想自体を非難しようとは思いません。

問題なのは、記事でさらりと書くのならまだしも、〈屈辱的な敗戦には、しかし、確たる理由がある。勝敗を分けたのは……〉といった具合に、イチロー選手の「屈辱的」という言葉を記事で繰り返し使い、そのうえ見出しでも強調していることです。こうなると、明らかに新聞としてイチロー発言を利用しているようにみえます。

利用するとはどういうことかというと——読者がどんな言葉を欲しているかをわかっていて、でも自分たちでそれを言っちゃうとバランス感覚がないと受け止められ兼ねないから、誰か別の人が言った言葉を強調することで、読者の欲求を満たす(迎合する)——ということです。

今回でいえば、米国にならまだしも、韓国に敗れたことで、なんともいえず苦々しい思いを胸にためている日本人がたくさんいることを、新聞はよくわかっているはずです。そういう人たちにとっては、紙面で「悔しい」とか「残念」「無念」といった、やや平凡(でも必要にして十分)な言葉を見つけるより、「屈辱的」ぐらい強烈な言葉を目にしたほうがある意味気持ちいいだろうことも、なんとなくわかっているはずです(読者にすれば、そうだろ、やっぱそうなんだよ、それぐらい悔しくて情けないことなんだよ、ちきしょー、と自分の気持ちを再確認したり、整理したりできるので、ちょっとすっきりする)。そして結果的には、そうした強烈な言葉に飢えた読者たちに、「屈辱的」というエサをぽんと投げつけているのです。

では、新聞が読者の欲する言葉を提供することは、よくないことなのでしょうか。必ずしも、そうではないと思います。大災害の現場で奇跡的に生存者が見つかった場合などは、生命力や判断力、運の強さなどをドラマチックに伝える言葉を、読者の期待どおりに載せていいでしょう。役人の汚職事件などでは、職業倫理などの点で厳しく非難する言葉を並べていいと思います。

じゃあ、今回はなぜいかんのかというと、いまの日本に漂っている危うい空気に、見事に迎合している感じがあるからです。危うい空気とは、韓国や中国など成長著しい近隣諸国に対するあせりや不安、不満、ねたみ、やっかみ、根拠のない差別意識などの裏返しとして生じる、へんてこりんな愛国心や自尊心、優越感などです。新聞は本来、こういった空気が広がるのを敏感に察知し、それに警告を鳴らす側であるはずです。それなのに、きょうの朝日は、国民に広がっている空気を察知しているところまではいいのですが、それをいさめるのでなく、それにおもねる、またはそれを盛り立てるようなことをしているのです。

見出しや記事中で強調はしていませんが、イチロー選手の「屈辱的」というコメントは、毎日も読売も記事で取り上げています。取り上げること自体、あまり望ましいことではありませんが、イチロー選手の人気を考えると、仕方ない面はあると思います。でも朝日のように、強調したり利用したりするのは危険だし、新聞の役割として逆のことをしているように思います。

そう遠くない過去に、国威発揚に協力し、それを反省したことを、新聞はつねに頭に置いておくべきだと思います。

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日本は結局、準決勝に進出したようです。国の誇りとか、国の威信とかいったものが好きな人の琴線に触れるような記事が、まだまだ見られるかもしれません。
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by tmreij | 2006-03-17 23:33 | 本紙