2006年 03月 10日 ( 2 )

なぜ、わざわざ「中国籍」を強調するのか

きょう(2006年3月10日)の読売新聞夕刊は、夫にインシュリンを大量投与したとされる妻が殺人未遂容疑で逮捕された、というニュースを社会面で報じています。

短行のシンプルな逮捕記事ですが、なんか偏見をにじませてない? といった感じがする内容になっています。

記事は、以下のような文章で始まります。

〈千葉県光町の中国籍の女が、インシュリンを大量に投与して夫(54)を殺害しようとしたとして、千葉県警捜査1課と匝瑳署は10日、同所、○○容疑者(33)を殺人未遂の疑いで逮捕した〉

気になるのは、〈中国籍の女が〉という部分です。この国籍に関する記述は、なんのために付けているのでしょうか。

容疑者が外国人かどうかが重要な情報となるのは、外国人であることが犯罪と関係している場合でしょう。例えば、不法滞在者による事件が考えられます。外国政府や企業のためのスパイ活動や、外国人犯罪グループの不法行為も該当するでしょう。日本社会に適応できなかったゆえの犯罪や、異なる文化や価値観から生じた違法行為、外国人への差別や偏見が動機になった犯行なども含まれると思います。こうした種類の事件においては、容疑者の国籍は大事な情報のひとつだと思います。

では、今回はどうでしょう。

記事は、被害者とされる男性を、〈夫〉と書いています。ということは、逮捕された容疑者は、この男性と正式に結婚しているのでしょう。日本国籍は取得していないのかもしれませんが、日本政府も認める夫婦として、千葉で暮らしていたはずです。

事件そのものも、被害者には不謹慎な表現かもしれませんが、日本人でも起こしそうな、どちらかとういと単純な内容です。

記事中に、中国籍との事件との関係がうかがえるような説明があるかと思って読み返しましたが、何もありません。上記1段落目に続く2段落目は、2004年ごろに容疑者がインシュリンを大量に投与した疑いがあるとし、最後の3段落目では、男性が意識不明の重体だと伝えているだけです。

中国籍なのは事実なんだし、事実を書いて何が悪いんだ、という意見もあるかもしれません。容疑者のバックグラウンドは、それだけで大事な情報だ、という考えもあるかと思います。

しかし例えば、今回の容疑者が大阪の出身だったらどうでしょう。「千葉県光町の大阪市出身の女が、インシュリンを大量に投与して夫を殺害しようとしたとして……」と書いても、事実に間違いはありませんし、関西の出身というのも、その人の特徴のひとつでしょう。でもやっぱり、ヘンじゃないでしょうか。

なぜヘンな感じがするかというと、大阪出身であることが、事件と直接関連している印象を受けるからです。こんな記事があれば、大阪出身者はおそらく強い違和感を感じるでしょうし、名誉棄損で訴えたろか、ぐらいは思うんじゃないでしょうか。

このことはなにも大阪だけでなく、北海道だって沖縄だって、中国だって韓国だって、どこの国・地域についてだって同じはずです。

また、仮に自分が外国で暮らしていて逮捕されたとき、事件と国籍との関連についてたいした説明もないまま、新聞に日本人であることをことさら強調されたら、イヤな感じはしないでしょうか。「オレは日本人だから悪いことをしたんじゃない、悪いヤツだから悪いことをしたんだ」と開き直りたくならないでしょうか(なりませんかね)。

今回の記事は、見出しでも〈殺人未遂容疑 中国籍の女を逮捕〉と、「中国籍」であることを強調しています。本文も、冒頭でいきなり、〈中国籍の女が……〉と書くなど、中国に恨みでもあるのか、といった印象さえもたせる仕立てになっています(本当にあるのかもしれませんが)。

新聞は、国籍と事件との関連を示せないのであれば、あらぬ偏見を助長しないためにも、国籍を強調するようなことはすべきではないと思います。
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by tmreij | 2006-03-10 23:48 | 本紙

こういう裁判記事を、もっと読みたい

電車で痴漢をしたとして、1審で有罪判決を受けた東京都内の男性会社員が、東京高裁で逆転無罪になりました。きょう(2006年3月9日)の朝日新聞朝刊は、〈この2年半返せ〉〈痴漢事件で逆転無罪〉という大見出しをつけて、このニュースについて社会面で大きく報じています。

この記事、いい記事だと思います。何がいいかというと、ちゃんと読者の内側に伝わってくる内容になっているのです。

その大きな原因は、裁判記事の基本形で終わっていない点でしょう。「どこどこの裁判所は、だれだれ被告(なになにの訴え)に対し、それそれの判決を言い渡した」といった記述に、判決の中身やそれまでの経緯、当事者の主張を織りまぜるなどするのが、通常の裁判記事です。しかし今回の記事は、そうした「基本」にとどまらず、以下のような記述で、事件にほんろうされる会社員の姿を伝えているのです。

〈事件で、結婚6年目で生まれた待望の長男(当時2)の育児日記を毎日つける日々は一変した。24年間つとめた印刷会社は休職に〉

〈父親の植木の仕事を手伝い始めたら、塀から落ち足を複雑骨折。その後は生活保護に頼っている〉

〈パトカーで警視庁戸塚署に連行された。何を言っても刑事は「正直に言え」の一点張りだった〉

〈無実を訴え続けた男性の勾留は105日に及んだ。妻の「やっていないのは分かっている。がんばって」という言葉が支えになった〉

裁判というのは、多くの読者にとってはなじみが薄く、遠くて冷たいものではないかと思います(裁判員制度が始まると違ってくるでしょうが、いまのところは)。黒い法衣を着た法律の専門家が、争いごとについて高いところから裁定を下す、といったイメージではないでしょうか。

しかし、当たり前ですが、被告や原告やその家族、それに検察官や弁護士、裁判官だってみんな人間なわけで、裁判は実際はとても人間くさいものであるはずです。

それなのに、新聞は多くの場合、裁判のそうした人間くさい部分を伝える努力をあまりしてこなかったのではないでしょうか。そしてそのことが、読者にとって裁判を、さらに遠い存在にしてきたように思います。

今回の記事は、無実の罪(まだ確定したわけではありませんが)に問われることが人生にとってどれだけ破壊的かといったことや、そういう状況では家族の信頼と支えがいかに大事かといったことを、じんわりと伝えています。被疑者に自白を強いる、警察の相変わらずな体質も浮かび上がらせていますし、男性読者には、自分がいつ今回の会社員のような立場になるともわからない、といった不安も感じさせます。ふつうは遠くて冷たい裁判記事を、読者が同情や感情移入をできるところまで溶きほぐしているのです。

そのためには、かなりの取材が必要でしょうが、今回の記事からは、そうした努力のあとがうかがえます。新聞には、こうした裁判記事をどんどん書いてほしいと思います。
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by tmreij | 2006-03-10 00:42 | 本紙