2006年 03月 08日 ( 1 )

「同和はコワイ」を前提にしていないか

きょう(2006年3月8日)の読売新聞朝刊は、社会面のトップに連載記事〈許すな組織暴力〉の第1部3本目を載せています。

暴力をちらつかせたり実際にふるったりしながら無理難題を押しつけ、不当な利益を得ている人たちがいることを伝え、そうした人々を糾弾するという狙いは、とてもよいものだと思います。これぞ新聞の仕事といえるでしょう。充実した連載への期待も込めて、がんばって、とエールを贈りたいと思います。

ただ、きょうの記事については、「組織暴力許すまじ」の気持ちが先走って、やや言論の暴力になってしまっている嫌いがあるように思います。

〈公共事業 食い物〉〈エセ同和、エセ右翼、暴力団 執拗に要求〉という見出しの今回の記事は、同和団体を名乗る男から、九州の建設会社に、下請けの仕事を回すよう求める電話がかかってきたというエピソードで始まります。そして、見積書が唐突に届いたり、電話が何度もかかってきたりしたことに触れ、〈「エセ同和」による典型的な不当要求だった〉と段落をまとめています。

続く段落では、同じ団体名をかたる男から、宮崎県内の複数の自治体に、公共工事について脅しともとれる電話があったことを紹介。〈「正体を決して明かさずに、『同和団体』を装って公共事業に食い込むのが彼らの常とう手段だ」〉という県職員の言葉を添えています。

また、その次の段落は、警視庁管内特殊暴力防止対策連合会(都内2330社が加盟)に一昨年、〈「エセ右翼」「エセ同和」の相談は412件〉寄せられたとし、業種別の相談件数では建設業が圧倒的に多かったことを報告しています。

以上の内容から伝わってくるのは、同和団体じゃないのに同和団体のふりをして(エセ同和)、公共事業など建設工事にからんで、不正に金もうけしようとしている人たちがいるということです。

ここでふと疑問に思うのは、不正な金もうけをしようとしている人たちは、なぜ同和団体を名乗るのかということです。ところが、この点について、記事にはなんの説明もありません。

なぜないのでしょうか。

それはおそらく、「同和団体は暴力的」「同和はコワイ」という認識が読者に広く共有されていると、読売が考えているからではないでしょうか。

同和団体は、主に被差別部落の人たちでつくる団体です。長年、不当な差別に苦しんできたこともあり、生活改善の要求や偏見の糾弾などの際に、乱暴とも取れる言動をした同和団体もあったかとは思います。

しかし、同和団体がみなそういう団体かというと、そんなことはないでしょう。つい先日、全国大会の記事が載っていた「部落解放同盟」も、同和団体のひとつです。全国紙各紙は、この団体が暴力組織でないと判断しているからこそ、集会について取り上げたはずです。部落解放同盟ほど知名度がなくても、淡々と偏見や差別の解消に取り組んでいる団体だってあるでしょう。というか、そうではないという合理的な根拠がない限り、まともな団体がほとんどだと想定すべきではないでしょうか。「同和団体は暴力的」という認識を一般的なものだとするのは、ちょっと乱暴だと思います。

そうした偏見ともいえる誤った認識を前提に、今回のように暴力批判の記事を展開していくのは、誤認識の補強につながるように思います。読者によっては、同和を名乗って脅迫する人がいると淡々と書かれているのをみて、本当に脅威だからなのだろう、と理解する人だっているでしょう。エセ同和とはどういうものかを知らない人がこの記事を読むと、何だかよくわからないけど同和団体というのはコワイ団体らしい、と感じるのではないでしょうか。

もし読売が、「いや、同和団体の多くは、本当に暴力的なんだ」との考えをもっているのであれば、「エセ同和団体」を取り上げるより「同和団体」の不当行為を非難する記事を載せるのが先でしょう。その場合、同和団体の暴力性をきちんとデータで説明すべきことは、言うまでもありません。

ともあれ、今回のような「同和はコワイ」という認識に頼った書き方は、すべきではないと思います。そういう書き方は、同和団体に関係する人にとっては、暴力にも近いのではないでしょうか。

では、どうしたらいいのかというと、エセ同和についての説明をわずかでも入れればよいのです。例えば、「『同和団体は暴力的』という偏見を利用し、同和団体を名乗ることで相手に圧力をかけようとする者もいる」といった一文があれば、同和問題について知らない読者でも、ああ同和団体はホントは恐ろしくないのね、とわかります。逆に、そうしたことわり書きがないと、どうも同和団体というのは危ない団体のようだとの印象をもったり、そうした偏見を強固にしたりする読者もいるのではないでしょうか。

面倒を避ける傾向が新聞にも強まっているなか、暴力と闘おうという読売の姿勢は、称賛に値すると思います。ただ、勢い余って自らが言葉の暴力になってしまっていないか、厳しく自問することも大事だと思います。
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by tmreij | 2006-03-08 23:54 | 本紙