2006年 02月 17日 ( 1 )

「一夫多妻」報道に、新聞の未熟さがみえる

複数の女性たちと集団生活を送っていた東京都東大和市の男性が、脅迫の罪で起訴されました。きょう(2006年2月16日)の読売新聞朝刊は、社会面ベタ記事でこのことを伝えています。

この「事件」とそれに関する報道については、1月下旬にマスコミが騒ぎ出した当初からずっと、心が落ち着きませんでした。なんだか、法治国家らしくない乱暴なことが行われ、それを報道機関がサポートしている感じがするのです。

ご存知の方も多いと思いますが、起訴というのは検察官が「こいつは犯罪人だ」と確信したときにします。警察が容疑者を逮捕し、検察が取り調べを引き継いでも、法を犯した疑いが無かったり、不十分だったりした場合には起訴しません。原則として、裁判で有罪にできると判断したときだけ裁判所に起訴状を出し、裁判というプロセスをスタートさせるわけです。

では、今回の事件では、検察官はどんな確信をもっているのでしょうか。読売は、以下のように報じています。

〈起訴状などによると、○○容疑者は昨年10月20日夕、集団生活をしている民家を訪れた女性(21)に生活に加わるよう勧誘し、「ここを出ていったら命の保証はしない。事故に遭ったり病気になったり、殺されたりする」と言って脅した〉

「殺す」ではなく「殺されたりする」というのが、なんとも迫力に欠けますが、それでもこの言葉を脅しと受け止めようと思えば受け止められるかとは思います。ただ、「おめー、ぶっ殺すぞ」「あんた、ただじゃおかないからね!」といった、もうちょっとスゴミのある言葉が恐らく全国津々浦々で日常的に飛び交っているであろうことを考えると、〈「事故に遭ったり病気になったり、殺されたりする」〉という言葉で起訴に持ち込むのは、ちょっと苦しいのではないかという気がしてきます。

そんななのに、検察ががんばるのはなぜでしょうか。それはやはり、「一夫多妻」(読売も毎日も見出しにこの言葉を使っています)のような暮らしを送る男をだまって野放しにしておくわけにはいかない、という使命感のようなものがあるからではないかと思います。

ただ、その検察の思いが正しいものかというと、そうは思いません。率直に言って、すごく間違っているように思います。

日本の法律は、同時に複数人と結婚すること(重婚)は禁じています。しかし今回の男性は、〈これまでに10人の女性と延べ12回の結婚をしていた。婚姻期間がわずか9日間しかない女性がいたほか、離婚届を出したその日に、別の女性との婚姻届を出すということを繰り返していた〉(1月26日付読売=ウェブ版。以下も)ということはあったようですが、重婚していたという話はありません。結婚という手続きに関していえば、法律を破ってはいないのです。

手続きは破っていなくても、結婚という制度や概念を破壊している、という指摘があるかもしれません。しかし、結婚というものをどう考え、どんな暮らし方をするかというのは、まったく人それぞれのはずです。結婚や家庭、家族というのはこうでなければならない、こうあるべきだ、という理想や観念は、自分で大切にする分には大変結構ですが、他人に押しつけるべきものではないと思います。男1人、女10人で住もうが、女1人、男20人で暮らそうが、男だけで生きようが、女ばかりで過ごそうが、法律に違反せず、当事者が合意している限り、どんな生き方も最大限尊重されるべきです。

起訴された男性は〈「女性が多く集まれば収入が増え、自分の生活も安定する。欲も満たすことができる」〉(2月9日付読売同)とも供述しているとのことですが、これさえも、個人的にはあまり好きな考え方ではありませんが、ライフスタイルのひとつとして認められるべきです。

このように、今回の逮捕・起訴は国家機関によるかなり乱暴な行為だと思うのですが、警察・検察がもともと乱暴な組織であることを考えると、それほど驚きはありません。それよりも、本来なら今回の逮捕・起訴が妥当かどうかを厳しくチェックすべき新聞が、捜査機関と一緒になって「あいつらけしからん」とやっているほうが、問題としてはずっと深刻です。

例えば、読売(ウェブ版)は、〈多数の女性と不自然な集団生活をしていた○○容疑者〉〈不自然な結婚・離婚が始まったのは……〉(1月26日)、〈不自然な集団生活を断った20歳の女性が脅かされた事件で……〉(同27日)と「不自然」を連発。「不法」と違って「不自然」は本来、非難される性質のものではありませんが、記事は明らかに男性たちに批判的です。また、〈近所の無職男性(53)は「いつまで集団で住み続けるつもりだろうか」と不安そうだった〉(2月15日)などと、不安を報じるふりをして不安を煽ってもいます。

他の新聞も、非難の調子に強弱の差こそあれ、男性たちを奇妙な存在として報じることで異端を排除しようといった意識がうかがえます。

読売はまた、〈専門家は、男と同居している女性たちはマインドコントロールされている可能性があると指摘している〉(1月26日)と書くなど、率先して男性を悪者にしようとする動きさえ見せています。ただ、この「マインドコントロール」はかなり難しい問題で、仏教やキリスト教など一般的に受け入れられている宗教だって一種のマインドコントロールでしょうし、成人男女1人ずつで家庭をもつべきだという認識だってマインドコントロールと言えるでしょう。問題とすべきはマインドコントロールではなく、それによって引き起こされる違法行為のはずですが、読売はそこの区別がきちんとできていないように思えます。

日本は、自由を尊重し法によって治める国のはずです。そして新聞は、日本がきちんとそういう状態であり続けるよう、国家機関の一挙一動に目を光らせ、絶えず批判を繰り出す存在であるはずです。

それが今回は、捜査機関にすっかり同調し、必要以上に自由を制限する国家権力の一部になってしまっているように感じます。新聞は、自らの役割について考え直したほうがよいと思います。
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by tmreij | 2006-02-17 01:11 | 本紙