2006年 02月 02日 ( 1 )

皇族に「だまれ」はあんまりだ

女性・女系の天皇を認めるかどうかをめぐって、国会議員173人が、慎重な審議を求めて署名をしたことが発表されました。きょう(2006年2月2日)の全国紙各紙朝刊は、1面や総合面などでこのことを伝えています。

朝日は同じ紙面で、〈寛仁さま〉〈発言はもう控えては〉と題した社説を掲載。皇族の寛仁氏(現天皇・明仁氏のいとこ)が最近、皇位継承問題で活発に意見を表明していることをとらえ、皇族としてふさわしくないと批判しています。

この社説に、反対します。

社説が言わんとしていることは、簡単に言うと、「だまれ」ということです。朝日は、〈今回の一連の寛仁さまの発言は、皇族として守るべき一線を超えているように思う〉との見解を示し、〈(天皇は)国民の意見が分かれている問題では、一方にくみする発言は控えたほうがいい。これは皇族も同じである〉と主張。そして、〈寛仁さまひとりが発言を続ければ、それが皇室の総意と誤解されかねない。そろそろ発言を控えてはいかがだろうか〉と結んでいます。

朝日が危惧するところはわかります。でもやっぱり、言論機関である新聞が「だまれ」はないんじゃないでしょうか。

朝日は、〈たとえ寛仁さまにその意図がなくても発言が政治的に利用される恐れがある。それだけ皇族の影響力は大きいのだ〉と説きます。これはそのとおりでしょう。皇族の発言を引用や(故意に)誤用し、自分の意見に箔や重みをつけようとする政治家や著名人らは、珍しくありません。

しかしそれは、皇族の発言を利用するほうが悪いはずです。新聞は、そうした「虎の威を借るキツネ」のような輩を見つけたら、厳しく非難すればよいのです。

ただ、そもそもの問題は、〈皇族の影響力は大きい〉と認めることしかしない新聞の姿勢にあるように思います。この日の社説が〈憲法上、天皇は国政にかかわれない〉と書いているとおり、皇族と政治は完全に切り離されていなければならないはずです。であれば、皇族の言動が政治的な影響力をもち得ること自体、おかしくはないでしょうか。新聞は本当は、ふだんからこの矛盾を突っ込んでおくべきなのに、ほとんど何もしていないように思います。

それどころか新聞は、明らさまに皇族を持ち上げ、特別扱いするなど、本来すべきことと反対のことをしています。例えば、皇族に生まれた人には、それがたとえどんな人物であろうと、「さま」という敬称を付けます(逆に、皇族以外の家に生まれた人には、どんな人物であろうと「さま」は付けません)。皇族についてだけ突然、敬語で記事を書く新聞もあります。写真にしたって、普通の公人についてはバシャバシャ撮り放題、使い放題なのに、公人中の公人である皇族になると、態度をコロッと変えて、宮内庁提供や代表撮影の写真をうやうやしく掲載することが珍しくありません。

憲法により、天皇は国民統合の象徴と位置づけられています。しかし、象徴だからといって、新聞が特別な敬称を付けたり、紙面で格別の配慮をしなければならないという決まりはありません。新聞社が、勝手に特別扱いしているのです。そしてそのことによって、読者に「あの人たちはスゴイ人たちなんだ」といった誤った印象を与え、その結果として、皇族に「影響力」を与えているのです。

では新聞はどうしたらいいのかというと、特に難しいことをする必要はありません。ただ、平生から、皇族の影響力を削ぐことに努めるべきなのです。皇族だという理由だけで、特別扱いしたり、ありがたがったりしないのはもちろん、皇族が何かについて発言しても無視したり、取り上げるとしても反対意見や他の様々な見解も一緒に載せるなどし、日本に住む一個人の意見として相対化して「うすめて」報じたりすればいいのです。

今回の朝日のように、とにかく「だまれ」と言うのは、言論機関としてやはりおかしいと思います。皇族は、実質的に移動や職業選択の自由がないなど、基本的人権も認められていない気の毒な人たちですが、国民の関心事については口をつぐめというのは、あんまりです。寛仁氏にだって、一人のおじさんとしての発言を認めるべきです。認めたうえで、発言に政治的な影響力をもたせないよう、新聞としてできる限りのことをすべきなのです。

そんなこと言ったって、現時点では実際に影響力が強いんだから、だまるよう言うしかないじゃないか、という反論もあるでしょう。しかし、皇族の発言が政治的に使われてしまうことより、言論機関が発言を封じ込めてしまうことのほうが、将来に残す禍根としては大きいと思います。いま現在、皇族の発言がある程度政治的に利用されてしまうのは仕方ありません。新聞が怠慢だったから、そんなことが起きてしまうのです。新聞がすべきは、皇族の言論を封殺することではなく、皇族の言論に妙な影響力を与えないよう努力することです。

朝日新聞は最近、「それでも 私たちは信じている、言葉のチカラを。」というコピーの広告をたくさん打っています。言葉のチカラは、朝日新聞だけでなく、万人が平等にもつべきもののはずです。朝日は、相手をだまらせてチカラを抜き取ろうとするのではなく、自らの言葉のチカラを信じ、言論を闘わせるべきではないでしょうか。
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by tmreij | 2006-02-02 23:57 | 本紙