2005年 12月 30日 ( 1 )

男性中心の書き方は、もうやめては

秋田県・泥湯温泉で、旅館に宿泊していた母子3人が亡くなりました。天然ガス中毒が原因とみられています。きょう(2005年12月30日)の朝日新聞は、1面と社会面でこのことを伝えています。

ところで新聞は、日常的に紙面で男女差別を批判し、自由で進歩の精神に富んだ業界とのイメージがあるからか、男女平等が尊重され実践されているメディアだとみられているように思います。

しかし実際は、そうでもありません。きょうの1面の記事からは、男女観に関する新聞の古い体質がうかがえます。

記事は、以下の書き出しで始まります。

〈29日午後5時すぎ、秋田県湯沢市高松の泥湯温泉にある「奥山旅館」の従業員から「宿泊客が倒れた」と119番通報があった。市が管理する駐車場わきの積雪に空洞があり、東京都豊島区の東京大理学部助手、松井泰さん(47)と妻の理恵さん(42)、長男で小学3年の日々太君(8)、次男で小学1年の智足君(6)の計4人が倒れていた。病院に運ばれたが、理恵さんと日々太君、智足君が死亡、松井さんは意識不明の重体〉

このとおり、記事が書かれた段階では、亡くなったのは母親と息子2人でした。不適当な言葉かもしれませんが、この出来事の「主人公」は母親であり、その子どもたちだったのです。

それなのに、記事はまず父親を、住所と肩書き、フルネームで紹介。その後に、母親と子どもを登場させています。

未成年の子どもが、親の氏名に続いて紹介されるのはまだわかります(親といっても父親に限る必要はまったくないはずですが)。しかし、妻が主役であるのに、わざわざ夫を登場させてから、その妻として書く必要はどこにあるのでしょうか。

これは、家族についての話題であれば、一家の中心であるはずの父親(夫)をまず出すのが当然だ、という男性中心の考えが新聞社にあり、それを反映しているからだと考えられます。新聞側は、差別意識はまったくなく、戸籍上の戸主を先に登場させているだけ、と言うかもしれません。しかし、記事を書くにあたって戸主が誰かを取材していることなどまずないはずですから、この理屈は通りません。

さきほどの記事で家族が登場する部分を、ちょっと書き直してみましょう。

「東京都豊島区の松井理恵さん(42)と夫の東京大理学部助手、泰さん(47)、長男で小学3年の日々太君(8)、次男で小学1年の智足君(6)の計4人が倒れていた」

これで、読者や当事者にとって何か不都合や不明な点はあるでしょうか。

社会面の記事は、〈死亡したのは東京都豊島区の松井理恵さん(42)と長男日々太君(8)、次男智足君(6)。理恵さんの夫で東京大学理学部助手の泰さん(47)と一家4人で27日から奥山旅館に宿泊していた〉となっていて、1面と違ってフェアな書き方だといえます。ただ、これまでの同種の報道から判断すれば、これは例外的といえるでしょう。もし新聞社として、男性中心の見方をしないことを原則にしているのであれば、きょうの1面の記事は今回のようには書かれていないはずです。

こうした表現は朝日に限ったことではありません。きょうの毎日、読売の両紙も、まず父親を登場させていますし、恐らく全国の新聞のほとんどが、同じ書き方をしているはずです。だからといって、それが問題がないということにはなりません。問題があるのに、問題だと感じていないところが問題なのです。

父親や夫と「家長」とみて、その他の家族を従属的に表現するような記事は時代遅れで、差別的でもあります。差別と闘うはずの新聞が、差別を拡大再生産しているともいえます。男性中心に家族をみることはやめ、成人であれば男女に関係なく個別の人格としてとらえ、そうした書き方をすべきです。
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by tmreij | 2005-12-30 23:27 | 本紙