新聞は「権力監視」の役割を忘れたのか

福島県の佐藤栄佐久知事が辞職を表明しました。きょう(2006年9月28日)の読売新聞朝刊は、この動きを1面トップで報じ、3面と社会面で関連記事を展開しています。

辞職のきっかけは、知事の弟らによる談合疑惑です。公共工事の業者選びで、知事の親族が大きな影響力を発揮し、建設業者などもその力を頼って金を贈るなどしていたということですので、けしからんことなのは間違いありません。ですから、新聞が「けしからん」と声を上げること自体は悪いとは思いませんし、新聞にはそういう役割もあると思います。

ただ、非難記事のなかには、読んでいて「そんなこと言うけどさー」と口走りたくなるものがあります。きょうの読売の3面の署名コラムは、そんな感想を抱かせる典型です。

〈周囲の注意 無視した知事〉という見出しと、怒った顔のマークがついたそのコラムは、次の文章で始まります。

〈事件の背景には、福島県政史上初の5選という「多選の弊害」がある。逮捕された実弟や支援者が「建設業界と癒着している」といううわさは、関係者の間で、半ば”公然の秘密”だった。しかし、周囲から注意されても知事は「弟を信じている」「支援者は県政に近寄らせていない」と擁護し続けた〉

コラムはこの後、知事は県民の批判に耳を貸さず、事の重大さをわかっていないようだった、と続きます。多選によって感覚がまひし、周りがみえなくなっていたという指摘は、恐らくそのとおりなのだと思います。

引っかかるのは、弟らと業界の癒着が〈関係者の間で、半ば”公然の秘密”だった〉という部分です。関係者たちが癒着について半ばおおっぴらに話しているのを記者が知っていたのであれば、新聞はなぜそれを追及しなかったのでしょうか。いつから公然の秘密になっていたのか書いてありませんが、知事が5選されていることを考えると、癒着のうわさは何年も前から出回っていた可能性もあります。もしそうであれば、新聞はかなりの長期に渡ってずっと、公然の秘密の談合に対し、無策だったことになります。

検察などと違って、新聞には捜査権はないので、独自に犯罪を明らかにすることは困難です。だから新聞はどうしようもなかった、と考えることもできるでしょう。

しかし新聞は、公器をうたい、「権力のチェック」を大きな役割の一つとして掲げています。県庁に賃料なしで仕事場を構えているのも、県議会に専用席があるのも、知事と定期的に会見できるのも、すべて県民たちが新聞記者のことを「権力の見張り役」だと認めているからのはずです(少なくとも理屈のうえでは)。犯罪構造の全容究明は難しいとしても、癒着が「公然の秘密」だったのであれば、談合の事例を一つでも二つでも表に出すことは、新聞にも可能だったのではないかと思います。

そう考えると、公然の秘密だった知事側と建設業界の癒着について、検察の捜査が入るまで新聞が何もできなかったのは、読者や納税者たちに対して十分なサービスができなかったということです。新聞はこのことを恥じるべきです。

朝日の社説〈事件は多選の弊害だ〉は、〈知事を監視する立場にある議会の責任は重い。長年の不正を見逃していたことを見れば、その役割を果たしていなかったといわざるをえない〉と県議会に矛先を向けています。この批判も、正しいことを言っているとは思うのですが、やっぱり「そんなこと言うけどさー」という気持ちになります。

読売や朝日を含め、多くの新聞に欠けているのは、自分たちは役割をしっかりと果たせなかったのではないかという自省と、その点に関しての読者への説明です。知事やその親族、業界らの悪事については、ひるまず厳しい非難を浴びせるべきですが、それと同時に、自分たちにも厳しい検証の目を向けるべきです。

自らのことは平然と棚に上げるという今回のような報道を続けていれば、新聞に対する読者の信頼は失われていくばかりだと思います。
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by tmreij | 2006-09-28 23:20 | 本紙


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