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北朝鮮のミサイル発射は、なぜだめなのか

北朝鮮がミサイルをテスト発射しました。きょう(2006年7月6日)の全国紙各紙朝刊は、前日夕刊に続き、この話題を大きく報じています。

一連のテスト発射の動きや日本側の反応をまとめたドキュメント、北朝鮮の意図に関する分析、日本における受け止め方など、多数の記事が出ています。社説でも北朝鮮を強く非難しています。

そうしたものをざっと読んでいくと、北朝鮮は大変けしからん国だという気がしてきます。経済制裁すべきだという政治家たちの発言も、感覚的には理解できるような気にもなってきます。

しかし、感覚や感情ではそう思っても、理屈として、今回のテスト発射がとんでもないことだというのが、新聞を読んでいてもいまひとつ頭の中ですっきりと整理できません。テスト発射がなぜ許されない行為なのかをちゃんと説明している記事が、ほとんどないように見受けられるからです。

なぜ北朝鮮は今回のようなミサイルのテスト発射をしてはいけないのか。一読者として特にわからないのは、そこです。

日本人にすれば、恐い、物騒だ、不気味だ、だからヤメロ、という気持ちになるのはわかります。日本に向いてミサイルを飛ばすなんて言語同断だ、北朝鮮はいったいなに考えてんだ、ふざけんな、といった感情を抱く日本人は多いでしょう。

実際に紙面では、そうした感覚に大きく頼って、北朝鮮非難の論調を形成しているように見受けられます。ただ、それが新聞の仕事かというと、ちょっと違うように思います。

今回のテスト発射は、国際法や国際条約などで禁じられていることなのか。そもそもテスト発射に関する国際的な取り決めはあるのか。あるのであればどんな内容なのか。今回の行為は具体的にどこが何に違反しているから非難に値するのか。そういったことをちゃんと解説するのが、新聞の大事な役割ではないでしょうか。

各紙は、北朝鮮が米国にミサイル発射凍結を約束(1999年)し、日朝平壌宣言(02年)でもそれを追認していたことは紹介しています。しかし、それがどういった内容で、どれだけ効力があるのか(特に米国との約束は、米国が「テロとの戦争」を始める前のクリントン前政権下でのことだということも考慮して)、なぜ2国間の約束でしかないのか、などの踏み込んだ解説は見当たりません。それゆえ、今回の北朝鮮の行為がどれぐらいけしからんのかが、よくわからないのです。

ミサイルにしろ核爆弾にしろ、複雑な武器をもつと、それがうまく作動するかどうか実験したくなるのは当然でしょう。実際、武器の実験は、米国をはじめ世界各地で行われてきていることです(国土が広大な国は自国領内で済ませることもあるようです)。今回の北朝鮮のテスト発射は、他国の例と比較してどういう点で特別で、どういう点で他よりも批判されるべきなのか。そのことも、各紙を読んでもすんなりと理解できません。

念のためですが、このブログの筆者は、今回の北朝鮮の行為について非難に当たらないと主張したいのではありません。非難されるべきだと感じています。ただ、今回の新聞報道では、非難されるべき理由を理屈でちゃんと説明していないので、一読者として、何となくイヤだという感覚的なもの以上に、しっかりした理由づけがしづらいと言いたいのです。

各紙とも濃淡の差はあれ、北朝鮮はとんでもない国だ、だから経済制裁だ、とあおっているようにも感じられます。感覚や感情に大きく拠って作られる新聞は、テポドンのテスト発射並に危険だと思います。
by tmreij | 2006-07-06 22:18 | 本紙


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