ジーコ監督のテレビ批判もちゃんと伝えるべきだ

サッカーのワールドカップで、日本とクロアチアが引き分けました。きょう(2006年6月19日)の朝日新聞朝刊は、1面とスポーツ面、社会面で大きくこの試合について報じています。

〈過酷な暑さ 攻めきれず〉という見出しがついた1面の署名記事では、グラウンドの高温状態に着目しています。それはいいと思いますが、内容として大事な部分を落としていないか、という気がします。

記事は冒頭で、ジーコ監督の言葉を次のように伝えています。

〈熱暑の消耗戦。/ハーフタイム時の気温27度というのは、直射を受けるグラウンドではまったく感覚が違ったはずだ。ジーコ監督は「こんな時間にサッカーをやること自体が犯罪だ」と吐き捨てた〉

きのうの試合後のインタビューをテレビで見た人は知っていると思うのですが、ジーコ監督のこの言葉には続きがあります。監督は、テレビ放送の時間(日本時間午後10時〜午前零時ごろ)を優先するばっかりに、2試合続けてこんな時間(現地時間午後3時〜同5時ごろ)にプレーしなければならなかった、と不満をもらしていたのです。

この部分、結構大事なように思います。ジーコ監督は結局はテレビ中心のスケジュールに理解を示すような発言をしていましたが、スポーツ選手としての本心は、なにも最も暑い時間帯に試合をさせなくてもいいじゃないか、というものだったのではないかと思います。

もちろん、暑さは両チームを公平に襲うわけですから、どちらが有利不利ということはありません。だから暑さのきびしい時間に試合をしたって別にいいじゃないか、という考えもあるかと思います。

しかし、ゲームを見るほうだって、少しでもいいプレーを見たいのではないでしょうか。暑さでヘトヘトになって集中力を欠いた試合を便利な時間に見るより、涼しめのグラウンドで好プレーが連続する試合を不便な時間(早朝や深夜)に、もしくは録画で見たほうが満足度が高いように思います。

朝日や読売など有力紙は系列のテレビ局を抱えており、それらに対する遠慮から、テレビを非難するコメントの掲載は避ける傾向にあるのかもしれません(きのうの試合はテレビ朝日=朝日新聞系列=の中継でした)。しかしそれは、メディアのためにはなっても、代表チームや本当のサッカーファンのためになっているとは言えません。

酷暑のなかの試合について語るとき、その背景にある「テレビ商業主義」にも触れるのは、とても意味があると思います。今回のジーコ監督のコメントは、スポーツとカネの関係について考えさせるものでした。新聞はこういう発言を、ちゃんとカバーすべきだと思います。
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by tmreij | 2006-06-20 01:16 | 本紙


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