「暗殺」も「巻き添え」も、気にならない?

無差別テロを主導してきたとされるイラクのテロ組織幹部、アブムサブ・ザルカウィ容疑者を米国が殺害しました。きょう(2006年6月9日)の全国紙各紙朝刊は、1面や国際面などでこのことを伝えています。

米国が2500万ドル(約27億円)の懸賞金をかけてまで必死に追っていた「大物」テロリストだけに、同国や、同国の影響が強いイラク新政府の受け止め方は「やったぜ」といった感じのようです。

それに引きずられてか、各紙の紙面には今回の殺害を好意的にみる雰囲気はあっても、批判的にとらえる記事はまったくといっていいほどありません。

これでいいのかなあ、という気がします。

米国が今回したことは「暗殺」です。米国が「テロとの戦争」状態にあることを考えると、暗殺ではなく戦闘行為の一環だという解釈も成り立つのかもしれませんが、特定の人物を最初から殺すつもりで攻撃したことには変わりありません。そこには、その人物を生け捕りにして容疑事実を確認するとか、法で裁くといった考えはありません(今回殺害されたのも「容疑者」でした)。国家による「暗殺」を非合法だとする考えもあります。

隠れ家を狙った爆撃では、ザルカウィ容疑者のほかに、女性と子ども1人ずつを含む5人が殺されました。これらの巻き添えをどう考えるべきでしょうか。女性や子どもはザルカウィ容疑者の家族だったのかもしれせん。しかしもしそうだったとしても、家族だったら一緒に殺されて仕方ないのでしょうか。

批判や、少なくとも疑問を投げかけるべきところは、いくつかあるはずです。

ところが、例えば朝日は、〈治安改善 楽観できず〉〈テロ減るか不透明〉(総合面)といった見出しの記事で、今回の殺害の効果に対する批判的な声を紹介していますが、殺害そのものを批判的にとらえる意見はどこにも載せていません。その一方で、〈テロとの戦い 「勝利」と称賛 米大統領〉(1面)、〈「一歩前進だ」 小泉首相〉(総合面)という見出しの記事などで、殺害を「手柄」と評価する声は報じています。

各国の指導者がザルカウィ容疑者の殺害をたたえるのは、不思議ではありません。米国は同容疑者のテロへの関与についてそれなりの根拠を示していますから、今回の殺害を好意的に受け止める雰囲気が世間(特に米同盟国)で支配的なことも理解はできます。

ただ、新聞までもが一緒になってその調子でいいかといえば、そんなはずはありません。今回の殺害について、批判でびっしりの紙面をつくる必要はありませんが、批判的な見方をひとつふたつ紹介するぐらいのことはすべきではないでしょうか。
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by tmreij | 2006-06-09 23:59 | 本紙


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