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村上氏、口が達者なことまで悪いのか

村上ファンドの村上世彰代表がインサイダー取引の疑いで逮捕され、同ファンドをめぐる報道が熱を帯びています。きょう(2006年6月7日)の全国紙各紙朝刊も、1面から社会面まで「村上」のどしゃ降りです。

紙面を眺めていると、新聞によって濃淡の差はあるものの、感情的な記事が各紙で目につきます。いずれも、村上憎し、または村上ザマーミロ、といったタッチです。その根本にあるのは、犯罪行為に対する怒りというより、株の売買だけで何百億もの金もうけをしたなんて許し難い、しかも雄弁でいけ好かない、といったわかりやすい、しかしあまり理性的とはいえない嫌悪感のような気がします。

例えば、読売の社会面連載〈崩壊 マネーゲーム〉は、村上容疑者について以下のように書いています。

〈「『要するにやな——』が口癖で、論理的な話しぶりだった」と小学校の同級生は言う。「大人びていた。先生を偉い人とは思っていなかったんじゃないか」。小学校で同じクラスだった男性(46)はそう振り返った〉

まるで論理的で大人びていたことが悪かったかのような書きっぷりです。さらに、次のような記述も出てきます。

〈(中学・高校でも)攻撃的な話しぶりは相変わらずで、「とにかくよく口が回り、思ったことをズバズバ言う姿が印象に残っている」と同級生は語る〉

弁が立つことまでも否定的な文脈に置いて紹介しています。

新聞が、村上容疑者の触法行為について、けしからんと責めるのは理解できます。今回の事件では、村上容疑者は法を犯したことを自ら会見で認めています。そうした犯行を厳しく批判するのは、公器である新聞の役割だといえるでしょう。

ただ、「モノ言う株主」として、企業側にいろいろと注文をつけてきたことは、それ自体は悪いことではないはずです。たとえその目的が、純粋に株価上昇による金もうけだったとしても、そうした金もうけを否定することは、資本主義を否定するようなものです。口が達者で、相手構わず直言するといった個性は、ことさらプラスに評価する必要はありませんが、マイナスにとらえるのもへんです。まるで、頭脳明晰で弁舌巧みだったことが今回の犯行を生んだと言っているかのような読売の記述は、明らかに「村上憎し」の発想から生まれているように思います。

村上容疑者のような金持ちをやっかむ人は、このブログの筆者を含め、数多くいると思います。拝金主義者や金の亡者(にみえる人)を嫌う人も、たくさんいるでしょう。今回の村上容疑者の逮捕を、爽快感とともに受け止めた人も少なくないように思います。そうした社会では、「村上全否定」の記事は歓迎されこそすれ、文句を言われることはないのかもしれません。

しかし、だからといって「庶民感覚」にどっぷり浸かった、安易で思考停止した紙面をつくっていていいはずがありません。それではテレビのワイドショーと同じです。犯罪は見逃されるべきではありませんが、この国では拝金主義者や金の亡者になる「自由」は尊重されるべきですし、ましてや頭の回転が早くて雄弁であることは認められるべきです。

新聞は、「坊主憎けりゃ……」的な発想で村上容疑者を全否定するのではなく、何が問題で何は問題ではないのかを落ち着いて考え、読者をスカッとさせるよりは「うーん」と考えさせるような記事を書くべきだと思います。
by tmreij | 2006-06-07 23:57 | 本紙


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