質問したことより、しなかったことに注目すべきだ

民主党の渡辺恒三・国会対策委員長が、26年ぶりに国会で質問しました。きょう(2006年4月20日)の全国紙各紙朝刊は、政治・総合面でこのことを伝えています。

3月に前原誠司代表(当時)に乞われて国対委員長になって以来、マスコミはなにかと渡辺氏を取り上げています。政界のキーパーソンの動きを伝えることは大事なので、渡辺氏に注目すること自体は結構だと思います。

でもきょうの記事を読むと、注目の仕方が違うんじゃない? という気がします。重症、といった感じもあります。

各紙の見出しをみてみましょう。〈渡辺氏 訥々(とつとつ)と26年ぶり質問〉(朝日)、〈26年ぶり25分間の会津弁〉(毎日)、〈26年ぶり 渡辺氏質問〉(読売)と、そろって「26年ぶり」を強調しています。

26年ぶりに何かをしたというのは、一般論としては、ニュース価値が高いといえるでしょう。行方不明者が26年ぶりに洞穴から出てきたとか、元歌手が26年ぶりにステージに立ったなどというのは、なかなかのニュースです。

しかし、衆院議員が26年ぶりに国会で質問したというのは、どうでしょう。新聞が好意的(少なくとも中立的)に報じるようなことでしょうか。26年ぶりに質問したことより、26年間も質問しなかったことに、注目すべきなのではないでしょうか。

なにせ、〈質問に立つのは80年4月の衆院商工委員会以来〉(朝日)だというのです。80年といえば、大平首相が急死し、イラン・イラク戦争が起こり、ジョン・レノンが射殺され、海援隊の「贈る言葉」がヒットした年です。これを読んでいる方のなかには、生まれていなかった人もいるのではないでしょうか。そんなころからずーっと昨日まで、1回も質問しなかったのです。(衆院議員は69年から続けて務めています)

これって、すごいことではないでしょうか。センセイ、あなた一体どういう考えで26年間も国会にじっと座っていたの? と聞きたくなります。(途中、通産大臣や副議長を務めた時期もありましたが)

それなのに、この日の新聞が書いていることときたら、〈情に訴えるには最も効果的とも言える格差問題を訥々とした会津弁で突いた〉(朝日)、〈「あなたが首相になってカネもモノも東京に集中し、地方が切り捨てられている」と、おなじみの会津弁で訴えた〉(毎日)、〈小泉首相とのユーモラスなやりとりには、与野党委員から笑い声も上がった〉(読売)という説明と、あまり中身のない質問についてばかり。四半世紀も質問を発しなかったことを批判的にとらえている記述は、まったくありません。何を考えて記事を書いているのかと、憤りさえ覚えます。

もちろん、議員の仕事は質問だけではないでしょう。人目につかないところで政治力を発揮し、物事をごにょごにょとまとめるのが議員の役割だ、なんて考えもあるかと思います。でも質問だって、いや質問こそ、議員本来の大切な仕事のはずです。国民の代表として国会で議論を闘わせてこその国会議員ではないでしょうか。少なくとも新聞は、そうした考えをもつべきです。

何年、何十年と質問していない議員なんてごろごろいるんだから、そんなことを問題視していたら大変なことになる。それに、若手議員に質問の機会を与えることもベテラン議員の役割なんだから、質問に立たないからといって責めることはできない。そんな、もの分かりのいい認識が、政治記者にはあるのかもしれません。

でも、長年質問をしていない議員に対しては、へんな理解を示すのではなく、全員ちゃんと批判してあげるべきです。また、質問になかなか立てない原因が政党や国会運営の仕組みにあるのなら、その点をきちんと指摘すべきです。政治のしきたりをそのまま受け入れることは、新聞の仕事ではありません。

日本を代表する新聞が、そろいもそろって「26年ぶりに質問」とのほほんと報じ、会津弁や会津の話題にニュース性を見いだすなんて、とても心配になってきます。新聞は、ちゃんと考えて仕事をすべきです。
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by tmreij | 2006-04-21 01:14 | 本紙


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