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テレビの二番煎じが、新聞の役目か

「靖国神社参拝をやめれば首脳会談に応じる」という中国の胡国家主席の発言に、日本の政治家たちが反発しています。きょう(2006年4月3日)の朝日新聞朝刊は、そうした様子について報じる記事を1面に掲載しています。

読んでみると、76行もある割に、えっこれだけ? と物足りなさを感じます。なぜかというと、テレビで放送された内容を追うだけで、独自の取材や解説がまったくないのです。

〈中国首席発言〉〈安倍・麻生氏が批判〉という4段見出しをつけたこの記事は、安倍官房長官と麻生外相がそれぞれテレビに出演し、胡氏を非難する発言をしたことを伝えています。比較的長めの記事だけに、〈「政治目的を達成するために、首脳会談をしないことを条件として出すのは間違っている」〉(安倍氏)、〈「国家の代表である総理大臣として、(他国に)言われれば言われるほど難しい話になっていく」〉(麻生氏)といった2人の発言を、ていねいにひろっています。

テレビ番組における発言でも、報じる価値があると判断すれば、新聞はどんどん記事にしていいと思います。靖国参拝は、中国や韓国などとの間における懸案ですから、それに関する大臣らの発言に敏感に反応するのは、新聞に求められている役割でもあります。そういう意味では、朝日はしっかりと仕事をしているといえるでしょう。

でも、独自取材で得たコメントやデータをまったく盛り込むことなく、テレビで流れた言葉を書き並べるというのは、どんなもんでしょうか。オリジナルの記述といえば、〈ポスト小泉の有力候補とされる2人がそろって不快感を表明した形だ〉といった位置づけと、〈……と中国側の方針を批判〉〈……と強調し〉〈……と語った〉などの言葉だけです。これでは、テレビ番組の紙上再放送です。番組を見た人は、こんなの知ってるよ、と言いたくなるのではないでしょうか。

番組を見なかった人だっているじゃないか。それに、見た人にとっても、ニュース価値のある発言を選び抜いて、活字として記録しておくことには大切な意味がある、という意見もあるでしょう。それには賛同します。

ただ、新聞ってのはそれだけでいいのか、という話です。

今回の記事は、ちょっと極端に言えば、家でビール飲みながら寝転がってテレビを見ている人でも、メモを取ったりビデオに録画したりさえすれば、書くことができちゃう内容です。といっても、実際にはもちろん、記者が自宅でごろごろしながら書いたわけではないでしょう。安倍氏にしても麻生氏にしても、番記者らがテレビ局に同行し、それぞれの発言を近くで確認したはずです。そのうえで、その記者がデータなり記事なりにまとめたはずです。

そうであれば、番組出演後に、記者は安倍氏や麻生氏らに発言について突っ込んだ質問をし、少しでも両者の認識や考えについて掘り下げ、それを記事に盛り込むべきではないでしょうか。もしかすると、政治家のスケジュールが過密で、質問のひとつさえする間もなかったのかもしれません。それなら仕方ない、という考えもあるかもしれませんが、結果だけみれば、番記者も家で寝転がっているお父さんも、得た情報量は変わりません。となると、番記者の役割っていったいなんなのでしょうか。

読者は、テレビで見られることを新聞に期待しているわけではありません。テレビでは聞けなかった発言の意味や意図などを取材し、それを読者に伝えてこそ、記者が政治家に密着している意味があるはずですし、新聞が役割を果たしていることになるはずです。
by tmreij | 2006-04-03 23:32 | 本紙


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