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「やった、世界一!」と興奮するのが新聞の役割か

ワールド・ベースボール・クラシック(野球の国・地域別対抗戦)で、日本が優勝しました。きょう(2006年3月22日)の全国紙朝刊は、全紙が1面トップで大々的にこれを報道。さらに、スポーツ面(全紙見開き)、社会面(全紙トップ)で取り上げているうえ、社説もそろって今回の「世界一」を題材にしています。

紙面の使い方もすごいですが、言葉の使い方もすごいことになっています。

〈日いずる王道野球〉〈世界球史に桜咲く〉(毎日、スポーツ面見出し)、〈「最強日本」見た〉〈球史に偉業 感動満開〉(読売、社会面見出し)、〈技術と、献身と、プライドと——。選手の心が一つに結ばれた時、日本の野球は無敵となった〉(読売、スポーツ面)……。

日本国民の喜び方も、ハンパじゃなかったことになっています。

〈「世界一だ!」「やったー!」。東京都内のスポーツバーに集まったファンは、日本の勝利の瞬間、歓喜の声を上げ、何度も万歳を繰り返した〉(毎日、社会面)、〈キューバの最後の打者のバットが空を切った瞬間、(ビックカメラ有楽町店の)1階売り場のテレビに群がった買い物客から割れんばかりの拍手と歓声が上がった〉、〈米国の球場で、大画面テレビの前で、勝利の瞬間を見届けた人たちは喜びを爆発させた〉(朝日、社会面)……。

ええ、ええ、いいと思いますよ、こういう記事や見出しがあっても。国際大会で優勝したわけですから、日本の新聞が、日本の代表チームを讚え、日本のファンの喜びようを誇張気味に伝えるのも、結構だと思います。

でも、そればっかりというのは、まずくないでしょうか。新聞が、やたらと「世界一」を強調し、やったやった、ニッポンバンザイとはしゃいでいるのをみると、あきれるのを通り越して、薄ら寒くなってきます。

この日の新聞で、まだなんとか冷静な視点を保っているのは、次の記述がある朝日だけのように思います。

〈今回の大会が本当に「世界一」を決める場であったかどうか、は別の問題だ。/大会中、王監督は「今回はどこが勝っても、真の世界一とは言えない。優勝より、日本の野球をアピールするつもりでやっている」ともらしていた〉(スポーツ面)

この後この記事は、今回の大会を〈「真の世界一決定戦」へむかう一歩〉と位置づけています。米大リーグの有力選手たちが多数参加していないことを考えれば、当然の見方でしょう。朝日はまた、韓国の通信社が〈「最低勝率の日本が優勝をつかんだことは、次の大会で対戦方式の画期的な手直しが必要だということを逆説的に示している」〉と伝えたことも、紹介しています。

イエー! 世界一だ、と喜ぶ記事を掲載したっていいのですが、上記のような、一歩引いて、ホントに世界一といえるの? といった記事もあわせて載せてこそ、新聞の役割を果たしているといえるはずです。

それなのに、毎日は舞い上がり、読売は日本人のプライドを覚醒させようと懸命で、冷静さや批評精神は両紙には見当たりません。読売は社説で、〈参加を見合わせた大リーガーも多かった……「だから真の世界一決定戦とは言えない」との声も聞かれた〉と書いてはいるのですが、すぐさま、〈そうだろうか〉と疑問を表明。ただ、まともには反論できないからか、〈提示された条件の下で、参加可能な最強メンバーをそろえて臨むことにも、国際大会としての十分な意義はあろう〉と、話のポイントを「世界一決定戦といえるかどうか」から「意義があるかないか」にそらして、お茶を濁しています。

ところで、今回の大会では、イチロー選手を神聖視しているかのような報道も気になりました。

韓国との対戦にからんで、「向こう30年、日本には手を出せないと思うぐらい完全に勝ちたい」「最も屈辱的な日」などと発言し、「侮辱」と受け止めた韓国側がイチロー選手に大ブーイングを浴びせるという出来事があったにもかかわらず、イチロー選手に対して批判的な記事は、ついぞ見ませんでした。

一方で、〈ふだん以上に彼を雄弁に、情熱的にしていた〉(朝日、1面)、〈期間中、クールなイチローらしくない発言が多かった。強気な姿勢は、時に外国から反発を買ったが、”悪役”を買って出ることで、他の選手に重圧を与えないようにしたかったのだろうか〉(読売、スポーツ面)など、イチロー選手の肩をもった記述が目につきました。新聞は、イチロー選手を第二の長嶋茂雄氏にしようとしているのではないか、という気さえしてきます(批判はタブーという点で)。

暗いニュースばかりのなか、久々に明るい話題なんだから、新聞といえども妙に冷静になったり、批判的になったりする必要などない、祝勝ムードを景気よく盛り上げればいいんだ、という考えもあるかもしれません。国と国とが争って日本が勝つことは、日本国民にとってうれしいことなのだから、興奮に水を差したり、日本人としての誇りを損ねたりするような記事なんか書くな、という意見もあるかと思います。

しかし、いくら日本には日本ファンが多いとはいえ、新聞が、すごいぞ日本、日本万歳とだけ唱えるのは、やはり危うい感じがします。そうした記事しか読めないと、読者は自分の国について、周囲を冷静に眺めたうえで評価することができません。そうなると、とかく日本の実力を過大にとらえたり、へんな優越感を覚えたりする人がきっと出てきます。

野球の国別対抗戦ぐらいで冷静な記事も書けないようでは、ホンモノの国別対抗戦(戦争)が始まってしまった場合に、冷静かつ自国にも批判的な報道などできるはずがありません(少なくとも、前の大戦ではできなかった)。新聞は、平時に何事に対しても冷徹な批評精神を発揮し続け、非常時に新聞本来の役割を果たせるよう、絶えず自らを鍛えておくことが大事だと思います。

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今回、数あるコメントのなかでもっとも「あらま……」と思ったのは、読売の社会面に載った、ノンフィクションライター最相葉月氏の次のものです。

〈「日本代表は帽子からスパイクの先まで『日の丸』を感じさせ、全力で世界の中の日本をアピールした。王監督の胴上げを見て涙が出た」〉
by tmreij | 2006-03-23 03:49 | 本紙


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