容疑者から直接聞くのと、警察から聞くのは違う

Jリーガーが、女性の家に侵入したとして逮捕されました。きょう(2006年3月21日)の毎日新聞朝刊は、この逮捕について、社会面で報じています。

2段落、計21行という、ベタ見出しの小さな(といっても容疑者の顔写真つきなので結構目につきやすい)この記事は、以下のように始まります。

〈女性宅に侵入したとして神奈川県警麻生署は20日、川崎市××、サッカーJ1・川崎フロンターレの○○容疑者を住居侵入容疑で逮捕した。容疑を否認している。/調べでは、○○容疑者は……〉

これまでにも、似たケースをこのブログで取り上げたことがありますが、この書き方はよくありません。小さなことですが、小さなことだけに、なぜ無くならないのか、なぜ新聞が無くそうとしないのか、不思議です。もしかして新聞に他意でもあるのかと、勘ぐりたくもなります。

よくないのはもちろん、1段落目の最後に出てくる〈容疑を否認している〉というくだりです。毎日はこの部分をすんなりと、事実として書いています。でも、どうやって確認したのでしょうか。

記者が運良く逮捕現場に居合わせたり、逮捕前に今回のJリーガーに接触し「やっていない」という言葉を聞き出していた可能性も、ゼロとはいえません。もしそうだったら、毎日新聞さん、ごめんなさい。でも、その可能性は非常に低いと思いますし、仮に本人や弁護士から否認の意志を確認していたのであれば、そうわかるよう記事で書くべきです。

今回のケースではおそらく、記者は警察から「容疑者は容疑を否認している」との情報を得たはずです。そうであれば、読者にそのことがわかるように書くのが、フェアな報道でしょう。〈容疑を否認している〉に3文字を足し、「容疑を否認しているという」とするだけで、不十分ではありますが、警察からの伝聞情報であることを明確にできます(行数は変わりません)。または、〈調べでは……〉で始まる2段落目にこの情報を入れることもできたでしょう。

そうしたことをせず、(おそらくは)当事者への確認も目撃もしていないことをあたかも事実のように書くのは、明らかに新聞の行き過ぎです。これでは警察の拡声器です。

もしかしたら毎日に、「容疑を認めていると書くのではなく、否認していると書くのだから、いいだろう」という発想があったのかもしれません。犯行を否定していると報じるのだから、本人の不利にはならないはずだ、という考えです。

たしかに、容疑を否認していると書くのは、認めたと書くよりも、悪質性は低いかもしれません。しかし、事実として書くか、それとも警察情報だと明示するかの判断は、容疑者や読者にどれだけ迷惑をかけるかではなく、あくまで当事者らからの事実確認がとれているかどうかで下すべきです。

「……という」といった表現だと自社で確認が取れていないことを公言するようでカッコ悪い、なるべくなら「……した(している)」ときっちり書きたい、といった意識が、新聞にあることも考えられます。しかし、新聞が大事にすべきはメンツなどではなく、事実と読者への誠実さであるはずです。

警察の言うことを無批判、無警戒に事実化して報じることは、新聞の役割ではありません。事実と伝聞を厳しく区別し、それが読者にわかるように記事を書いてほしいと思います。
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by tmreij | 2006-03-21 17:27 | 本紙


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