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球審にケチつけて、いいの?

ワールド・ベースボール・クラシック(野球の国・地域別対抗戦)で、日本がアメリカに負けました。きょう(2006年3月13日)の全国紙夕刊は、各紙とも写真つきで、この試合について伝えています。

この試合では、いったん日本に得点が入った直後に、アメリカの監督が、ルール違反があったと抗議。これを受け、球審が日本の得点を取り消し、今度はこれに納得できない日本の王監督が猛然と抗議するという場面がありました(結局、日本の得点は認められず)。

各紙ともこの騒ぎを取り上げていますが、とりわけ毎日が熱くなっています。熱くなり過ぎて、新聞の野球報道の問題点があらわになっているような気がします。

毎日はまず1面で、〈球審に猛抗議する日本・王監督〉の大きな写真を掲載し、見出しでも、〈日本の勝ち越し点 取り消し〉〈判定に泣き●〉〈王監督 猛抗議実らず〉と、悔しさと腹立たしさをたっぷりと表現。さらにスポーツ面では、〈「野球発祥の国で…」〉という大見出しを掲げ、〈好ゲームに水をさす後味の悪い「疑惑の判定」だった〉と、「疑惑」という言葉まで使って、球審の判断を強く批判しています。

この書き方は、つぎの2点で気になります。

ひとつは、野球では審判の判定は絶対だということです。審判だってときには誤った判定をすることを織り込み済みで、野球というゲームは成立しているはずです。いまの科学技術をもってすれば、ストライクやボール、セーフやアウトを正確に判断する審判ロボットをつくることは可能でしょう。正確さを追及するのであれば、そうした機械をどんどん導入すべきです。それをしないのは、ミスジャッジも含めた「人間臭さ」を大切にしているからではないでしょうか。そうであれば、おかしな判定があって当然なのですから、判定はおかしいと批判するのはおかしいはずです。

もう1点は、同じ野球というスポーツでも、プレーしているのが日本の高校生であれば、仮に今回とまったく同じ出来事があっても、今回のような書き方は決してしないだろうということです。毎日は、まもなく始まる春の全国高校野球大会を主催していますが、そこでの試合に関する記事で、〈後味の悪い「疑惑の判定」だった〉などと書いて、審判に文句を言う監督を応援するようなことはまずないでしょう。プロ(大人)と高校生は違う、という考え方もあるかもしれませんが、プロだろうと高校生だろうと、求められるスポーツマンシップは同じはずです。むしろ、プロは子どもたちの見本となるよう、より高いレベルのスポーツマンシップを示すべきだ(今回であれば、抗議などしないで球審の判定を受け入れるべきだ)と考えることもできるでしょう。

こう考えると、新聞は、王監督の約3分間にわたる猛抗議を批判したっていいはずです。というか、批判すべきではないでしょうか。ところが、毎日にも他の全国紙にも、王監督や、〈「選手全員が納得していなかったからグラウンドに出ようとしなかった」〉と話したイチロー選手たちを批判するような記述は、まったくありません。

これは明らかにダブルスタンダード(二重基準)だと思います。高校野球について報じる紙面では、審判の判定を神聖視しながら、国別対抗野球になると、「判定は疑惑だ」などと非難しているのです。ふだん、部活動やスポーツ少年団などで「審判に文句を言うな!」とたたき込まれている青少年たちがきょうの紙面を読んだら、どういうことよ、と思うのではないでしょうか。

てなことを書いてきましたが、個人的には、とんでもない判定をする審判には、あんたとんでもないよと言っていいと思います。ですから、今回の毎日のような紙面は、あってもいいように思います。

ただ、あんたとんでもないよと言うのは、大人の野球の審判に対してだけではなく、高校野球の審判も対象にすべきです。真剣勝負をしているのは何も大人だけでなく、高校生だって同じでしょう(高校生のほうがよっぽど真剣かも)。審判に渡される報酬は大人と高校生の試合で違うでしょうが、審判に求められる正確さは同じはずです。誤審で〈好ゲームに水をさす〉ようなことがあれば、高校野球においてだって、きちんと審判を批判すべきです。相当の理由があるときには審判にモノ申すことができるということを、明確にすべきです。

もしくは、あくまで二重基準を適用し続けるのであれば、新聞はその理由を、高校生たちにもわかるように示すべきです。

そうしたことをせず、都合よくスポーツマンシップを使い分けているようないまの新聞からは、フェアプレー精神とは相容れない、大人のずるさのようなものを感じます。
by tmreij | 2006-03-13 23:57 | 本紙


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