こういう裁判記事を、もっと読みたい

電車で痴漢をしたとして、1審で有罪判決を受けた東京都内の男性会社員が、東京高裁で逆転無罪になりました。きょう(2006年3月9日)の朝日新聞朝刊は、〈この2年半返せ〉〈痴漢事件で逆転無罪〉という大見出しをつけて、このニュースについて社会面で大きく報じています。

この記事、いい記事だと思います。何がいいかというと、ちゃんと読者の内側に伝わってくる内容になっているのです。

その大きな原因は、裁判記事の基本形で終わっていない点でしょう。「どこどこの裁判所は、だれだれ被告(なになにの訴え)に対し、それそれの判決を言い渡した」といった記述に、判決の中身やそれまでの経緯、当事者の主張を織りまぜるなどするのが、通常の裁判記事です。しかし今回の記事は、そうした「基本」にとどまらず、以下のような記述で、事件にほんろうされる会社員の姿を伝えているのです。

〈事件で、結婚6年目で生まれた待望の長男(当時2)の育児日記を毎日つける日々は一変した。24年間つとめた印刷会社は休職に〉

〈父親の植木の仕事を手伝い始めたら、塀から落ち足を複雑骨折。その後は生活保護に頼っている〉

〈パトカーで警視庁戸塚署に連行された。何を言っても刑事は「正直に言え」の一点張りだった〉

〈無実を訴え続けた男性の勾留は105日に及んだ。妻の「やっていないのは分かっている。がんばって」という言葉が支えになった〉

裁判というのは、多くの読者にとってはなじみが薄く、遠くて冷たいものではないかと思います(裁判員制度が始まると違ってくるでしょうが、いまのところは)。黒い法衣を着た法律の専門家が、争いごとについて高いところから裁定を下す、といったイメージではないでしょうか。

しかし、当たり前ですが、被告や原告やその家族、それに検察官や弁護士、裁判官だってみんな人間なわけで、裁判は実際はとても人間くさいものであるはずです。

それなのに、新聞は多くの場合、裁判のそうした人間くさい部分を伝える努力をあまりしてこなかったのではないでしょうか。そしてそのことが、読者にとって裁判を、さらに遠い存在にしてきたように思います。

今回の記事は、無実の罪(まだ確定したわけではありませんが)に問われることが人生にとってどれだけ破壊的かといったことや、そういう状況では家族の信頼と支えがいかに大事かといったことを、じんわりと伝えています。被疑者に自白を強いる、警察の相変わらずな体質も浮かび上がらせていますし、男性読者には、自分がいつ今回の会社員のような立場になるともわからない、といった不安も感じさせます。ふつうは遠くて冷たい裁判記事を、読者が同情や感情移入をできるところまで溶きほぐしているのです。

そのためには、かなりの取材が必要でしょうが、今回の記事からは、そうした努力のあとがうかがえます。新聞には、こうした裁判記事をどんどん書いてほしいと思います。
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by tmreij | 2006-03-10 00:42 | 本紙


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