「東南アジア系」っていうのは、悪いこと?

埼玉県の女性が、見た目で外国人と間違われ、パスポートを持っていないとして埼玉県警に誤って逮捕されたうえ、日本人だとわかるまで半日以上も拘束されるという事件がありました。きょう(2006年2月28日)の全国紙朝刊は、このニュースを社会面で報じています。

外見も含め、「日本人」が変わりつつある現実についていけていない警察の失態だといえるでしょう。各紙とも、そのことが伝わってくる内容になっています。朝日と毎日は、警察署長におわびの言葉を述べさせてもいます。

さて、ちょっと揚げ足取りというか、いちゃもんみたいなのですが(いつもそうですが……)、今回の朝日の記事で、以下の書き方が気になります。

〈女性は外見から東南アジア系と疑われて徹夜で事情を聴かれた後に逮捕された〉

これを読むと、なんだか、東南アジア系であることが悪いことであるかのような感じがしてこないでしょうか。

「疑う」を手元の国語辞典(岩波、第5版)でひいてみると、「(多く、悪いことを予想して)……ではないだろうかと思う」と出ています。例文には、「彼を犯人かと——」というのが挙げられています。

ふだんの会話でも、「疑う」はネガティブなことに関連して使うのではないでしょうか。「ソウルの街を歩いていたら、指名手配中の韓国人かと疑われて職務質問をされた」というのは自然だと思いますが、「ソウルの街を歩いていたら、近所の韓国人かと疑われて道を尋ねられた」というのはおかしいと思います。

今回の記事では、〈東南アジア系と疑われて〉ではなく、「東南アジア系と間違われて」と書くべきでしょう。

朝日は今回、〈日本人女性を誤認逮捕〉〈埼玉県警 外見で判断、徹夜で聴取〉という、どこよりも大きな4段見出しを掲げています。警察の差別的な逮捕に対し、強い非難を浴びせるねらいがあるかと思うのですが、肝心の記事本文(しかも前文)で差別的ともとれる表現をしていては、非難の効果が弱まるばかりでなく、逆に非難されるようなことになってしまいます。

新聞は、ふだんもそうですが、不当な差別を指弾するときには特に、記事に差別的な表現がないか(記者が差別的な感覚をもっていないか)を厳しくチェックすべきだと思います。

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ところで、なぜ身元の確認に手間取ったのかということについては、全国紙各紙は、女性があまり話をしなかったとされている点を挙げています。朝日と読売は、所持品に書かれていた会社を警察署員が訪ねたものの、女性の身元を確認することができなかった、という警察の説明も紹介しています。

各紙の記事内容に大きな違いはないので、これまでにわかっているのはこんなところなんだろうと思っていたのですが、東京新聞を読んでぎょっとしました。全国紙にはない、以下の記述があったからです。

〈女性の所有物から母親らしい名前が分かったため、女性の写真を母親(五八)に見せたところ、「知らない」と答えたため外国人と判断。二十六日午前五時すぎに逮捕した〉

なんと、警察は逮捕前に母親に会い、写真を見せて娘かどうか尋ね、母親からは「知らない」という返事を得ていたというのです。

これは、東京新聞の独自情報なのでしょうか。それとも、全国紙もこの話について知っていたけど、書かなかったのでしょうか。情報の正誤も含めて、気になります。
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by tmreij | 2006-02-28 22:29 | 本紙


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