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「無理心中」を安易に想定していないか

中越地震で被災し、親族宅に身を寄せていた高齢者夫婦が、遺体で発見されました。きょう(2006年2月15日)の毎日新聞、読売新聞の朝刊は、ともに社会面でこのニュースを報じています。

この種の出来事で新聞がよく使う言葉に、「無理心中」があります。今回も2紙とも、この言葉を使用。読売は見出しでも、〈無理心中か〉と書いています。

読むほうにとっても、何気なく読み過ごしてしまうような言葉ですが、本当はかなり注意して取り扱われるべき言葉のように思います。

無理心中を広辞苑(第5版)で引くと、「合意でなく、心中を欲しない相手を殺して、自分も共に死ぬこと」とあります。

今回のケースでは、夫(88)が室内で首をつって死んでおり、そのすぐそばのベッドの中で、妻(81)が右腕に刃物の傷をつけた状態で亡くなっていたとのことです。また、〈「迷惑をかけて申し訳なかった」〉(毎日)、〈「お世話になった。申し訳ない」〉(読売)などと書かれた遺書と、〈血の付いた刃物〉(読売)が見つかっているようです。

これらの状況から、〈(新潟)県警長岡署は、夫妻が無理心中をしたとみて調べている〉(毎日)、〈同署は無理心中とみて調べている〉(読売)と、両紙は伝えています。

妻が〈約4年前から寝たきり〉(毎日)だったことも考え合わせると、無理心中だった可能性はあると思います。ただ、上記のようなことが無理心中の決め手となるかというと、そうはならないと思います。一方、紙面をみる限り、無理心中ではない可能性――妻も命を絶つことを望み、夫に伝えていた――も、そう低くはないようにも思います。

このような状況で、新聞が「無理心中」という言葉を使うことは、フェアだといえるのでしょうか。警察の見立てだから仕方ないじゃん、という意見はあるかと思いますが、じゃあその見立てについて、新聞は根拠をしっかりと問うたのでしょうか。もし問うたうえで、納得して「無理心中」と書いたのであれば、読者に対しても当然、その根拠を説明すべきです。

「無理心中」という短い言葉には、表現は適切ではないかもしれませんが、ドラマチックな響きがあり、読者の情感に訴える強いインパクトもあるように思います。それだけに、自殺体とその親族の死体が一緒に見つかったときには、新聞はつい安易に頼ってしまってはいないでしょうか。

無理やり命を奪ったという点で、無理心中が普通の心中や嘱託殺人より不名誉であろうことを考えると、合理的な根拠がないのであれば、新聞はあえて無理心中について触れる必要はないのではないでしょうか。もし強力な根拠があるのであれば、それをきちんと伝えたうえで、無理心中の可能性について語るべきだと思います。
by tmreij | 2006-02-16 00:35 | 本紙


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