こんなの「体罰」じゃなくて「暴行」でしょ

きょう(2006年2月7日)の毎日新聞朝刊の第2社会面には、〈けがのひざにも 体罰、顧問処分〉〈群馬の県立高〉というベタ記事が載っています。(おそらく東京本社発行のものだけだと思います)

全23行の地味な扱いではありますが、こうした事象をちゃんと問題視し、読者が多い社会面に記事を掲載したことは、評価できると思います。

しかし、記事をよく読むと、問題視の仕方が甘すぎるような気がしてきます。

記事によると、処分されたのは、前橋市内の県立高校の30代男性教員。この教員が、運動部の男子部員の〈顔を殴るなど計9回にわたって体罰をし〉、そのうちの1回では、〈けがをしていた生徒の右ひざをけって傷を悪化させ、生徒は入院して手術を受けた〉とのことです。群馬県教委の発表で発覚したようです。

この教員、ちょっとひどくないでしょうか。顔を殴ることだけでも十分問題だと思いますが、けがしているところをさらに痛めつけて入院させるといった、弱点を狙う野生動物みたいなことまでしていて、とても教員のふるまいとは思えません。

これを「体罰」と呼ぶのは、ごまかしのような気がします。れっきとした「暴行」であり、「傷害事件」だと思います。

そもそも「罰」というのは、悪い行いに対してこらしめることのはずです。それなのに、今回に記事によると、教員が「体罰」をしたのは、〈部員が指示どおりのプレーをしないことに腹を立て〉たのが理由です。そんなことでいちいち「体罰」をされていたら、生徒としては身が持ちませんし、だいたいにおいて、指示と違ったプレーをすることが悪い行為かというと、そんなことはありません。この点からも、「体罰」という言葉はふさわしくないと思います。

今回のような出来事は、県教委としては不名誉なことですし、大きな騒ぎにしたくないでしょう。そこで、「体罰」といったあいまいな言葉を持ち出し、大したことではないように見せかけようとしたり、あわよくば教育的な意味を印象づけようとしたりするわけです。しかし、新聞がそうした発表を無批判におうむ返しする必要はありません。仮に、被害者の生徒たちが被害届を出してなくて、刑事事件にはなっていないとしても、「暴行」という言葉を使ったって問題はないはずです。

子どもの教育は、痛い思いをさせるぐらいの厳しさがあってちょうどいいんだ。そんな認識をもっている人が、教員や保護者にも少なからずいるように感じることがあります。先生に叩かれたり蹴られたりしてけがしたぐらいでぎゃーぎゃー言うな、かえって感謝しろ、といった感覚です。まったくもって大人の身勝手な言い分としか思えませんが、きょうのような暴力教員に甘い記事を読むと、もしかしたら新聞も、同じような感覚を共有しているのではないかとの疑念が浮かんできます。

「体罰」がよい効果をもつときも、もしかしたらあるのかもしれません。しかしそんなのは、ごくごく限られた場合だと思います。少なくとも、〈部員が指示どおりのプレーをしない〉ときの指導方法として、「体罰」が適当などということはないはずです。

大人ならだれもが知っているように、学校ではふうつ、教員が圧倒的強者です。児童や生徒にとっては、たとえ暴行であっても、教員のすることにはだまって耐えるしかないことがほとんどです。教育の意味を込めた「体罰」とされるものは、往々にして実は単にカッとした末の行為だと思うのですが、それでも多くの子どもは、ただじっと我慢するしかありません。

新聞が、だれの立場で学校での「体罰」について取材し、記事を書くべきかは明らかです。記事によると、この教員は、〈減給1カ月の懲戒処分〉しか受けていません。そのことも含め、「教育者」たちの行為について、もっと批判的な視点が必要ではないかと思います。
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by tmreij | 2006-02-07 23:57 | 本紙


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