「親日家」チャップリンに甘えていないか

チャップリンは親日家だった。そのことを証明する写真が見つかったと、きょう(2006年2月6日)の読売新聞夕刊が社会面で大きく報じています。

実際にチャップリンが日本を好きだったのかどうかについては、ここでは問題にしません。ただ、きょうの読売の記事からは、チャップリンが親日家だったことを示す写真が見つかったと言うには相当無理があるように思いますので、そのことを指摘したいと思います。

記事は、〈喜劇王チャーリー・チャプリン(1889〜1977)の親日ぶりを示す大正、昭和初期の写真約150点と、著名人がチャプリンに送った手紙約500通が広島市内で見つかった〉という文章で始まります。

ふーん、どんな写真が見つかったんだろう、と思うところです。その疑問に答えるように、記事は続いて、〈昭和を代表する大女優・初代水谷八重子がハリウッドで対面した際の記念写真や、初来日時に撮影した当時の斎藤実首相とのツーショットなど貴重な資料ばかり〉と説明しています。

え? それがどうして親日家の証になるんだろう。なんか落ち着かない気分になってきました。「遠路はるばる日本からやってきた大女優と記念撮影する=親日」というのも、「来日時に首相と記念撮影する=親日」というのも、どっちもちょっと強引すぎるような気がします。

きっと、本文中にすんなりわかる説明があるはずだ。そう気を取り直して、先を読み進めます。すると、写真の内容に関する記述が2カ所出てきました。ひとつは、〈水谷の写真は、ハリウッドで映画「サーカス」(1928年)を撮影中のチャプリンを訪ねた際のもの〉というもの。相変わらず、日本の大女優との記念撮影について書いています。もうひとつは、〈東京でおでんを食べる写真もある〉という15文字です。

東京でおでんを食べたガイジンはみんな親日家だといえるのであれば、なるほどねと納得できるところです。でも、それもちょっと強引、というか、どんな認識の持ち主なのかと疑いたくなります。

記事には、こんな説明しか出てきませんが、最後に映画研究家の次のようなコメントが載っています。〈「チャプリンが日本人と一緒に写った写真はどれも飾らない明るさがあり、親日ぶりを改めて実証している」〉

新聞記事におけるウルトラCというのは、こんな展開のものをいうように思います。親日ぶりを示す写真が見つかったと、具体的なデータで言うのではなく、およそ関係なさそうな記述で文章をふくらませ、最後で個人の主観的なコメントひとつで結論づけてしまっているのです。

写真は150点も見つかったということですから、親日家だと判断できるようなものもあるのかもしれません。であれば、それについて書くべきです。今回の記事には2枚の白黒写真を付けていますが、1枚は大女優との記念撮影、もう1枚は「おでん写真」です(おでんを食べるチャップリンの表情は、神妙にも険しくも見えますが、おいしそうに感じているようには見えません)。もし親日ぶりを示す写真があるのなら、そちらを載せるべきでしょう。

この読売の記事は、「チャップリンのような人が親日家であってくれたらうれしい」という、多くの読者がもつであろう思いに大きく甘えているように感じます。だれに迷惑をかけるわけでなし、読者にとっては喜ばしい内容なんだから、データとしてちょっとぐらいズレてても気にする人なんかいないだろう、といった新聞側の感覚が透けてみえます。

新聞は、推論やこじつけの発表の場ではありません。今回のように〈親日家チャプリン〉と大見出しをつけるのであれば、それをきちんとデータで示すべきだと思います。

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繰り返しになりますが、チャップリンは親日家ではなかったと言っているわけではありません。「親日家だったことを示す写真が見つかった」という記事について、その中身の薄さを取り上げたものです。
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by tmreij | 2006-02-06 23:52 | 本紙


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